ランチのカレー
地元でよく行くカレー屋さんが、京成百貨店に支店を出したのは、結構前から知っていました。
でも言ったことがなかったので、この前、ランコムのサンプルが当たって取りに行くときに、
友達とランチしてみました。
まず、セルフサービスだったのでちょっとびっくり。
本店は普通ですので~( ´艸`)
ナンの形もちょっと違いますね~。
焼く人が違うとナンも違うのでしょうか。
ランチセットのキーマカレーを注文しました。
800円。お安いです。
味はちょっと薄目。でも食べているうちに、これでもいいかもと思えてきましたw
友達はライスにしたのですが、すごい量です@_@
お茶碗にみっちり、2杯分くらい盛ってありましたww
セットのカレーの種類がもっと選べるといいのですが・・・・。
私はやっぱり本店が好きですw
ジェニフィックのアイセラム
【ジェニフィック アイセラム ライトパールを体験!】ランコムのジェニフィックのアイセラムの試供品が当たりましたw
で、百貨店でもらってきました♪
わーいヾ(*´∀`*)ノ☆+:;;;;;:+☆ 5mだけど~2.100円の価値~~
ちゃんと現品と同じく、銀のボールがついています。
このひんやりするボールで軽く指圧しながらつけます。
細かなしわなどの目元のトラブルに悩むならば、きっとお気に入りになりますよ。
ついでにカウンターでつけてくれましたが、
「これといって、シワはないですねぇ」と言われましたw
でも予防です、予防~~( ´艸`)
黒いボトルのセラムはもうけっこう前から使っています。
国産と外国製では塗る順番が違うとは、カウンターできいて初めて知りました☆
指圧ができるので、お疲れ気味の目元には最高に効きます。
小じわやクマはすぐに消えちゃいますよ。
〈ランコム〉10,000名 様モニター募集中!応募はこちら→https://www.beaute-lancome.jp/gen201208/
バスバッグ
お風呂に行くときに持っていくバッグです。
一応、防水加工ですねw
ミニサイズのシャンプー、コンディショナー、ボディソープにボディローション、ブラシにフェイスタオル、
そして使い切りのローション、メイク落とし、乳液に洗顔フォーム。
あ、順番ぐちゃぐちゃ( ´艸`)
温泉など行くときに便利ですねっ♪
ファッション・アイコンとしてのヴィクトリア女王 [なんちゃって博物誌]
大英帝国の最も輝かしい時代の統治者といえば、ヴィクトリア女王でしょう。
「君臨すれども統治せず」」といわれたソフトな政策で、長い繁栄を築きあげました。
今回は、政治的なこととは無関係に、ファッション・アイコンとしての女王についてです。
3歳まで、彼女はドイツ語で育ちました。
生まれて間もなく老いた父が亡くなり、母国語がドイツ語である母と生活していたためです。その後、
英語をはじめとして、まだ幼いうちにいくつかの外国語を習得しました。
叔父たちが子もなく次々と亡くなったため、18歳で王座がめぐってきます。
この肖像画はウィンターハルターの描いた「即位の日のヴィクトリア女王」です。
ステュアート・サファイアを正面に飾り、その上には「黒太子のルビー」と呼ばれる巨大なレッドスピネルが
飾られた王冠をかぶっています。このスピネルは、長い間ルビーだと勘違いされていました。
若い女王が好んだ宝石は、ガーネットです。
明るい赤の宝石を好んで身につけたと言います。
玄孫エリザベス2世もつけているティアラ。
21歳で母方のいとこで1歳年下のアルバート公と結婚します。
女王は求婚されることはできないために、自らアルバート公に求婚したそうです。
彼女は純白のウエディングドレスを初めて世に広めた人です。
オレンジの花輪は、多産の象徴だそうです。
重いマントをまとわない、このような花嫁姿は、中流階級の女性たちの間で流行していたスタイルを取り入れたものでした。
王室の人気を回復するために、女王はこのような花嫁姿をしたといわれています。
これにより、ヴィクトリア女王の人気は急上昇、親近感を抱いた世の女性たちは彼女の真似をし始めます。
19世紀、イギリスでは産業革命によって、資本家がたくさん生まれます。
これによって貴族でなくてもお金持ちな人たち、中流階級が生まれてくるのです。
中流階級の女性たちは、ほしいものを手に入れるに足りる財力を持っていました。
だから女王が身に着ける宝石やそのデザインは、すぐにミドルクラスの女性たちに流行りました。
エトルリアやケルトで遺跡が発見されたことにより、古代風のデザインが人気になりました。
あるいはゴシック風のデザインが、そして1860年代には南アフリカにダイヤモンドの鉱脈が発見されたことにより、ダイヤも大流行しました。
おもに、ロマンティックでナチュラルなデザインが好まれたようです。女王が好んだという蛇のデザインの装身具や、鳥や虫をかたどったアクセサリーもたくさん作られました。
前に紹介した、REGARDやDEARESTが流行ったのもこのころでした。明るいブルーを基調とした七宝も流行りました。
ファッションだけではないのです。
まだ英語に不慣れな夫にはドイツ語で話しかけ、夫が寂しくないように、ドイツの習慣であったクリスマスツリーを飾りました。そしてクリスマスツリーを飾る習慣が、イギリスに広まったのです。
21年後、夫が亡くなると、ヴィクトリア女王は喪服しか着なくなり、公式の場にもほとんど姿を見せなくなります。
身に着ける宝石も、「モウニングジュエリー」と呼ばれる、愛する人の死を偲ぶものに変わりました。これまた大流行。ジェットという木の化石やフレンチガラスでできたジュエリーです。
お暇なときにどうぞ、ジェットのうんちく
↓ ↓ ↓ ↓
http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-04-14-21
(モウニングジュエリーについては、また別の機会に詳しく書きますね^^)
産業革命によって装飾品も大量生産されるようになりました。
市民も資本さえあれば、宝石を身に着けられる時代になったのです。
物静かなひとつ年下の夫の助言をよく聞き、国民に愛された女王。
9人の子供たちはドイツを中心に血縁を広め、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれました。
円満な家庭生活を築き、国を統治した女性として、マリア・テレジアと並び称されます。
一方で、血友病の遺伝子を保持するために、男系は早世するという悲しみもありました。
(ラスプーチン事件の発端となった血友病の皇太子アレクセイは、彼女のひ孫にあたります)
そして時代の変革期のファッションアイコンとしても、欠かせない人物でもありました。
(ちなみにこのエメラルドのティアラ、めっちゃかわいいです♪)