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リヴォリ通りにて。 [Paris 2015]

リヴォリ通りはセーヌの流れに沿って右岸に位置します。




ルーヴル美術館の脇、ちょうどメトロ1号線が下を通っています。






耳より情報!あります!
ルーヴル付近のリヴォリ通りはカフェやホテル、お土産屋さんが軒を連ねていますが、もしお土産のキーホルダーなどを買うならば、ルーヴル付近よりもパレ・ロワイヤルから東側で買ったほうが同じ商品でもお安いです!




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「トルストイがここに住んでいたよ」のプレート発見。


Wikipediaに書いてありましたが、彼はパリに滞在中に公開処刑を目の当たりにして「物質社会に失望」したそうです。




彼はきっと社会とか階級の中で生きる人々を描き続けることで「人生ってなんだろう?」と思ってしまったのかもしれないですね。


フランスではレオンと呼ばれるのですねー。
(ロシア誤ではレフ)








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ホテル・レジーナの隣の横断歩道の中間地点に立つのは、黄金に光り輝くジャンヌ・ダルク。


おそらくはフランス史上最年少の英雄?
彼女を有名にしたのはナポレオンだったそうです。




そしてぱっかぱっかと軽快な蹄の音が響いてきたかと思うと・・・




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わ~!!


馬車です!



馬車の隣をこちらは跳ね馬エンブレムのフェラーリがばびゅ~んと通りすぎていきます。
この写真ではちょうどメルセデスが隣を走っていますね。
中心地は東京よりもランボルギーニやフェラーリの遭遇率が高いのでワクワクします♪



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馬って本当に美しい生き物です。

でもアスファルトを走り続けるのはなんかかわいそう・・・
排気ガスまみれだし、車と同じ道だから、慣れているだろうけれど怖いだろうなぁ・・・



なんて考えながら、




ホテル近所なのでリヴォリ通りはよく歩きました。






天使か魔女か。”声”に導かれた聖少女・ジャンヌ・ダルク [l'histoires de femmes]

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ジャンヌはロレーヌ地方のドンレミ村の娘です。
農民の娘と言われますが、3人の兄と1人の妹を持つ、比較的裕福な家の娘だったそうです。
すなわち、ある程度の教養も知性もありました。



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ただ、想像の域を出ることができないのは、彼女に関する記録が抹殺されてしまっているからです。
フランス国内での認識もかなり低かったようです。



彼女をはじめて評価した有名な人物は、ナポレオンだと言われています。
それまではほとんど知られていなかったのですって。



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この少女を、ある日突然神がかりになってフランスをイングランドとの戦いから勝利に導き、王に見捨てられて
火刑に処せられたかわいそうな気違いと見るか、信念のために若い命を国に捧げた聖少女と見るか。



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当時のフランスは、イングランドと領土争いが続いていました。
シャルル6世に嫁いだものの、彼が発狂して暴力を振るい始めたために悪女となって、シャルルの弟や
いとこを誘惑して私利私欲の鬼と化したイザボー・ド・バヴィエールについては、以前に書きました。




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イザボー。





彼女は腹を痛めて生んだ実の息子シャルル王太子を、自分の権力保持のために夫シャルル6世の息子
ではなく、不義の子だと公言したのです。



だから王太子は自分のアイデンティティに長年悩んでいたようです。
そりゃあ、そうですよね・・・・実の母親にそんなこと言われたら;;;;



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シャルル王太子。



イザボーは夫のいとこオルレアン公と結託してイングランドと連合したブルゴーニュ派についていました。



娘カトリーヌ(シャルル王太子の姉)はイングランド王ヘンリー5世の妻でヘンリー6世を産んでいます。
(シャルル王太子の姉・カトリーヌ・ド・ヴァロワについてはこちら。お暇な方はどうぞ~~)
      ↓             ↓            ↓
     http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-06-28-6




いっぽうシャルル王太子は、父王亡き後、王位をイングランドから奪還すべく、アルマニャック派として闘っていました。しかし情勢はかなり不利でした。


その頃のことです。17歳のジャンヌは、神の啓示を聴きました。



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大天使ミカエルの囁き・・・。





フランスを救いなさい。





そこで彼女は守備隊長に会いにゆき、王太子シャルルに謁見を申し出ます。



シャルルは彼女を試したと言います。
身代わりを玉座に座らせて、自分は臣下の中に紛れます。
もしも彼女が本物の聖少女ならば、王太子が誰なのかわかるはずだと思ったからです。




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ジャンヌは迷わず、臣下たちに紛れ込んだ王太子の前にひざまずいたそうです。

王太子とジャンヌは二人きりで話をしたと言います。
誰にも聞こえないし、誰にも知ることのできないある秘密を、ジャンヌは囁いたと言います。
それから、彼女は正式に軍を与えられたのです。



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そして彼女は4000の軍を率いてイギリス軍を破りました。
白い馬にまたがり軍の先頭に立って戦場を駆け巡る少女を見て、形勢不利なフランス軍は戦意を高めたと言います。





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その後、仲間の男たちの嫉妬で軍は勢力をそいでしまいます。
そして彼女は、国内の反対勢力にとらわれて、イギリスに送還され、異端審問にかけられるのです。
イングランドはただ彼女を殺すのではなく、徹底的に見せしめにしてから殺そうと考えました。
だから70数名の裁判官を用いて、半年近くも彼女を魔女裁判にかけたのです。



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この時代のヨーロッパは、なにかあるにつけ魔女裁判を行いました。
不思議なもの、説明のつかないものはすべて魔女のせいにして、不特定多数の人々を犠牲にするということを繰り返していました。



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魔女の処刑法は火あぶりと決まっています。
彼女はたった19歳で火刑に処されました。
王太子は彼女のおかげで即位できたのに、彼女への身代金の支払い要求を無視しました。





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リュック・ベッソンの描くジャンヌは、もとスーパーモデルのミラ・ジョヴォヴィッチをジャンヌにして、迫力あるものに仕上げてあります。戦闘殺戮シーンに「もういいよ~」と感じることもあるんですが(笑)ほんとうに、迫力があります。





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私なら何かの主義のために19歳で死を選ぶなんて絶対にいやですけど(正直言って)。

一説によると、彼女は前王シャルル6世の愛妾の一人が生んだ私生児で、シャルル王太子の異母妹であったとも言われます。





そうなると彼女はシャルル6世の血を引く正当な王位継承者・・・。
もし、シャルル王太子のほうが母であるイザボーの浮気の子だとすれば、ジャンヌのほうが真の王位継承者なのです。




あるいは、ジャンヌも王妃イザボーの浮気の子で、死んだことにして密かにドンレミのダルク夫妻に預けられたのではないかとも言われます。そうすると彼女は王太子の妹と言うことになります。



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どちらであってもどちらでなくても、、シャルルが彼女を見捨てたのは嫉妬のためだったかもしれません。味方を鼓舞して勝利に導いたのが、王位を継ぐべく自分ではなく、ちっぽけな少女ですから。



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あるいは、彼女が本当に父王の妾腹の子ならば、その統率力やカリスマ性に、自分の王位を心配したのかも・・・。



彼を自信のない男にいてしまったのは、悪女である母親です。
ふつう、「お前はお父さんの子じゃないから、王位継承権なんかないのよ!」なんていいませんよね^^;;;




・・・どっちにしろ、男の嫉妬も怖いものです。





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