端麗王 [l'histoires d’hommes]
フィリップ4世(1268‐1314)は、兄の死によって皇太子となり、17歳でフランス王となりました。
王の象徴である二頭のライオンを両側に従えたこの絵は有名です。
彼は容姿が大変に美しかったことから「ル・ベル(端麗)王」と呼ばれたそうです。
その端麗な容姿とは裏腹に、剛性で厳格な性格であったようです。
フランスでは名君の一人として知られていますが、悪名もいくつかあります。
教皇ボニファティウス8世に暗殺団を送り込み、ローマ近郊の教皇の別荘にて暴行させ
86歳の教皇を憤死させて、自分の息のかかったフランス出身のクレメンス5世を後釜に据えました。
そして教皇庁をアヴィニョンにおいて、思い通りに操ろうとしました。
(これが歴史で習った「アヴィニョン捕囚」)
16歳の時に結婚した5歳年下の妻はナバラ王女でしたが、彼女は結婚後もナバラの統治者でありました。
ナバラを自分のものにすべく、妻を毒殺した・・・という噂もありました。
(しかし、彼女の死後、王は巡礼の旅に出ているのでこれは噂だけだったのかもしれません)
当時のフランスは国家規模の財政難に苦しんでいたのですが、経済の立て直しのために
彼が目を付けたのは、ユダヤ人とテンプル騎士団でした。
テンプル騎士団 → こちら
ユダヤ人から全財産没収。
テンプル騎士団からも。
テンプル騎士団のリーダーだったモレーは、「自白」強要されて悪者にされました。
「神はわれらの死の復讐をなさる」
と、火刑になる直前に言ったそうです。
そのあと間もなく、王はイノシシ狩りに出かけ、落馬します。
脳梗塞により、生まれた地へ運ばれて数日後、亡くなるのです。
クレメンス5世も同年に亡くなっています。
モレーの呪い・・・・?
願い [Lorem ipsum (創作)]
「それ」はたくさんの人たちの人生を蹂躙し、
もてあそび、奪い、悲しみの淵を作り出した
「それ」に送り込まれた人たちは
知る必要のなかった狂気の中に身を置かされ、壊され、
「それ」に大切な人を送り出した人たちは
知る必要のなかった重い苦しみを背負わされた
「それ」はそんなものなのだという人もいるけれど
もし今後「それ」が起きれば
今までの「それ」とは比べられないほどの最悪な結果になるだろう
「それ」は顔も名前も知らない相手と憎み合わせる
仲を裂き、険悪にし、偏見や間違いを植え付けさせる
誤解や怒りをあおりたてる
「それ」は異常な事態だからと
他者の人生を破壊してよい理由にはならない
「それ」は終わった後も永く永く、まるで火種のように
多くの人々の心の中に痛く痛くくすぶり続ける
「それ」を知らない私たちは、
「それ」を始めてはならない
そしてもういいかげんに、憎しみ合うことはやめて
これからのことを一緒に考えていかなくてはならない
一緒に、生きていかなくてはならない
何かを奪う「それ」を起こさない、
多くを生み出す、
誰も大義名分のために奪われないで済む、
そんな未来のために。