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白龍をいざなう琵琶 [平家物語]

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経正(つねまさ)は清盛の二番目の弟・経盛の息子で、敦盛の兄です。

清盛やその弟たちの子息たちは、いわばハイブリット世代。
武家に生まれながら貴族のように風雅に秀で、和歌や楽を好むものがたくさんいました。
貴公子然として文化的なたしなみも身につけた世代なのです。

経正も幼いころから楽にたぐいまれな才能を発揮しました。
守覚法親王から国宝級の琵琶・青山を授かったほどです。

弟の敦盛は熊谷に討たれる時もその懐に小枝という名の笛を偲ばせていましたが、兄は琵琶でした。
近江の国の竹生島に参詣した際に、リクエストに応じて琵琶を奏したところ、彼の袖の上に白龍が現れました。
その音色のあまりの美しさに感動した竹生島の神が、白龍となって現れたのだと言われます。

鈴木守一の『経正弾琵琶図』は、鬼気迫る迫力のある静謐な絵ですね。

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能楽の『経正』では、彼が都落ちをする際に青山を法親王に返しに行ったというエピソードが使われています。
こちらは小雄鹿という名の琵琶ですが、平家物語をモチーフに江戸時代に作られたものだそうです。

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一方、菊池契月の描く経正は、少し雰囲気が違いますね。
戦場にいてもなお、撥(ばち)をにぎる経正は、何を想うのか・・・・?

人が望んだ通りの生き方をできることは、望まない生き方をしなければいけないことよりもまれでしょう。
清盛の一族に生まれたが故の栄華と破滅を味合わなければいけなかったハイブリット世代。
暗く沈み遠くを見つめる目は、その先に何を見出しているのでしょう。

清盛の弟の忠度(ただのり)もまた、和歌の道を愛した武将でした。
富士川の水鳥の羽音を敵襲と勘違いして退却した孫の維盛も。
平安貴族たちのように風雅に生きることができたら、もしかして幸せだったかもしれない人たちです。

経正もまた、そんな一人だったのかもしれません。
彼は一の谷で戦死しました。

桜町中納言 [平家物語]

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さくらの花は咲いて七日で散ってしまう、そのことを残念に思った中納言藤原成範(しげのり)は、
中国の泰山の守り神・泰山府君にそのことを嘆きます。

彼の風流な願い事に感じ入った泰山府君は、花の命を伸ばしてやった・・・・という話は、世阿弥の能、
『泰山府君』です。

泰山府君とは、平安末頃の山桜と里桜の交配種の桜です。
この時代の一般的な貴族たちの庭に植えられたり接木されたりした種類なのでしょう。

桜をことのほか愛し、自分の邸の庭を桜で埋め尽くし、毎年春の花の季節を静かに愛でたといわれる
中納言藤原成範。彼は「桜町中納言」とよばれました。

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しかし彼は優雅でのんきな平安貴族なのではありません。大変、不遇の人なのです。

父は後白河法皇の寵臣でしたが、平治の乱で敗死してしまいます。
成範は清盛の娘と婚約していたけれど、これによって婚約破棄、位を落とされて左遷されました。
そして清盛の娘は左大臣に嫁いでしまうのです。

左遷の翌年には以前の位を取り戻して朝廷に戻ることができましたが、そのときはすでに、彼は
影の存在でした。

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光を受ける人々(=清盛の一族)がいれば、影の人々もいます。
彼は不遇を嘆くよりは、現実逃避を選びました。

すべての不幸を忘れて、吉野山の桜の林を自邸の庭に再現することに、魂を注いだのです。
出世も、愛するひとも、なにもかもが彼の手をすり抜けていきました。

残るははかない、春の夢のみ。



この絵は中村岳陵『桜町中納言』です。

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今週は、勝手にさくら特集ですww
さくらのお話をいくつか書くつもりです。


維盛入水 [平家物語]

維盛(これもり)は清盛の長男・重盛のこれまた長男、つまり、平家の跡取り息子でした。
彼はまるで女の子のような、華やかな美しい少年でした。

ひとつかふたつ下の腹違いの弟・資盛(すけもり)とは大の仲良し、何をするのも一緒でした。
まだ平和だったころ、弟と舞った青海波の舞の美しさは、光源氏と頭の中将にたとえられたほどに
華やかですばらしいものでした。

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でも彼ら一門に滅亡の影が差しかかり、祖父も、もともと丈夫ではなかった父もなくなって、彼は微妙な
立場に立たされました。

父は長男とはいっても池の禅尼(清盛の正妻)の子ではありませんでした。
だから彼は嫡男であっても、一門では暗に軽んじられていたのです。

平家が都落ちする際、彼は都落ちを拒みます。
でも無理矢理に妻子と引き離されて、連れて行かれるのです。

彼はもともと、武芸は苦手でした。宮廷での華やかな生活が恋しくて仕方ありません。
戦など、はっきり言えば、彼の知ったことではないのです。
そしてその不安定な気持ちから、彼は大失態を犯してしまいます。

富士川。
できないと言ったのに、叔父たちは彼を大将にします。
早朝に源氏と対決することになった前夜、水鳥の羽ばたく音を敵の夜襲と勘違いして、退却を
命じてしまいました。

遊女や宴席を踏み越えて退却したと、あきれられてしまうのです。

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この前代未聞の逃亡は、都の人々の嘲笑の的になりましたが、多くの要因が重なり、不幸な方向に作用して
しまったようです。絢爛豪華に出陣しただけに、余計に非難されてしまったのでした。

この時から、叔父たちの自分を見る目がバカにしているように思えてきます。
思い浮かぶのは、都の妻子のことばかり。
幼馴染の妻の、優しい笑顔。

そののち、あちこちの戦いで次々と身内が亡くなります。
維盛はだんだん、精神状態が不安定になってきました。
そしてとうとう、夜陰に紛れて陣から逃亡してしまうのです。
これは、一門に対する最大の背信行為となってしまいました。

そんなとき、少年のころに使っていたもと召使に再会します。
滝口という少年は、いまや僧形になっていたのです。
維盛は滝口のもとで衝動的に出家してしまいます。彼の顔には、安堵の笑みがこぼれたことでしょう。
背中にのしかかっていた平家の嫡男の重圧から、やっと解放されたのです。

彼と数名の従者たちは、滝口とともに熊野へ向かいます。
そこで維盛は補陀落渡海(ふだらくとかい)をまねて、入水するのです。

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補陀落渡海とは、僧がある一定の年齢になったら、念仏を唱えながら箱に詰められ、海に流されることです。
維盛は手を合わせ念仏を唱え、心の中で都の妻子にわびました。

彼はいまや、幸せに満ちていました。
彼の入水を見届けた従者の一人が、その様を八島にいる一門の人々に報告したと言われます。



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腰抜けとか弱虫扱いされる維盛ですが、私は一概にそうだったとは思いません。
彼の中では彼なりの葛藤があったことでしょう。

宮廷で華やかさの中で育った彼ら、孫世代にとって、武士としての気骨を求められることは、
難儀であったことでしょう。

自分に合わない道を強いられるほど、つらいことはありません。
弟の資盛は活発で、風流なことも武芸もよくこなしたようですが、彼はどちらかといえば文化人だったようです。




敦盛 [平家物語]

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源氏方の武将・熊谷次郎直実は、16歳の息子・小次郎直家とともに、何とかして名のある敵将を
倒し、手柄を上げたいと焦っていました。

息子の直家は初陣です。
ここで父子ともに手柄を立てて、鎌倉殿(頼朝)に取り立ててもらおうという心づもり。

まだ夜も明けきらないうちに一の谷の敵陣に臨んで、二度も名乗りを上げたのに誰も打ち取ることは
できませんでした。

平家方は、義経の軍に追い立てられるように退陣し、船で逃亡を試みていました。
そのなかに、逃げ遅れた武者がひとり。

萌黄のグラデーションの鎧を着て、鍬形打った兜をかぶり、黄金の飾りの太刀をはき、連葦毛の馬に乗り
波間に船めがけ駆け出す様子を見て、熊谷はしめた、と思いました。

あの格好、名のある武将に違いない!

「そこなおかた!!敵に背を向けるとは卑怯なことですぞ! 」

波打ち際の立派な鎧の武者は、熊谷の声に振り返ります。
そして引き返してきたところを、強力の熊谷は馬から引きずりおろして砂の上に組み敷きました。

熊谷はその武者を見てはっと息をのむのです。
まだ16,7ばかりの、ほんの若武者。息子の直家と同じくらいなのです。

そしてそのかんばせの美しさ、おなごと見まごうばかりです。
太刀を振り下ろそうとした熊谷の手が躊躇して震えました。

「いったい、どこのお方なのでしょう? お名乗りください、お助けしましょう」
若武者はきっ、と熊谷を見上げ、恐れもせずに言い返します。
「そういう貴公は?」
「武蔵野国の熊谷次郎直実と申します」
若武者は気高くも生意気に微笑します。
「さては貴公にとっては好敵手。名は名乗らぬが、首を取りひとに尋ねてみよ」

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さきほど、早朝の名乗りのとき、息子の直家は手に軽傷を負いました。
それだけでもとても心配した熊谷は、今、自分が組み敷くこの少年の親のことを考えました。
息子と重なるのです・・・・

熊谷には、迷いが生じました。父性が太刀を持つ手を小刻みに震えさせます。
手柄は立てたいが、この少年を殺すことは・・・・・

しかし、彼らの背後に源氏の兵たちが五十騎ほど、馬のひづめを響かせて近づいてきました。
「殺せ! 早く殺せ!」
若武者は熊谷をにらみあげます。生き恥をさらすことを、死よりも屈辱的と考えているのです。
潔く高貴なその態度に、熊谷の心は激しく揺れました。

たとえ自分が逃しても、後ろから迫りくる味方の誰かが、この少年を討ち取るだろう。
彼は念仏を唱えて、少年に太刀を振り下ろしました。

熊谷は泣き崩れました。
首を包もうとしたときに、若武者の鎧から、横笛がぽろりと落ちました。

このようないくさ場にも、笛を持つとは、なんと風雅な。
それに比べて、手柄を焦るわが身が、なんとあさましいことか。

彼は冷静になり人間らしさを取り戻すと、後悔の念でいっぱいになりました。
そしてのちに、出家したと言います。

この若武者は、平敦盛。清盛の甥にあたる17歳の少年でした。
横笛の名手として知られた風流人で、貴公子らしく気高い魂の持ち主でした。

私は源氏派ではなく平家派なのでw、このあたりの源氏側目線の書き方が嫌いです(笑)

熊谷が反省したからと言って、なんなの?!と高校生のころに思っていましたw
風流人を殺すなんて、なんと無骨な野蛮人っ!なぁんて。
出世を望み焦るあまりに誰かを犠牲にすることになって、その事実に自ら打ちのめされる・・・・
共感できるポイントがなにもありません~~。

清盛は横暴だったかもしれないけれど、子供世代には武士としてよりも、都人としての教養のほうが
高かったのですよ。

音楽や芸術、学を愛し、和歌を詠み舞を舞う。だから私は源氏でなく平家派なのですw


祇王 [平家物語]

祇王は清盛の寵愛を一心に受けていた美しい白拍子でした。
ある日、自分の芸に自身のある、野望に燃えた怖いもの知らずの美少女の白拍子が、
清盛に芸を見てほしいと邸に押しかけます。

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取り合おうとしない清盛に、祇王が優しく口添えしました。
これがあだとなり・・・

その美少女、仏御前の芸を見た清盛はたちまち魅了され、祇王を追い出してしまうのです。
それまで世間の羨望を一心に集めていた祇王は、たちまちに奈落の底に落とされました。

そればかりか、仏御前が退屈しているから芸を見せに来いとの呼び出しがかかります。
母と妹の生活費のために、彼女はプライドを捨てて清盛の屋敷へ上がるのです。

仏も昔は凡夫なり
われらもつひには仏なり
いづれも仏性 具せる身を
隔つるのみこそかなしけれ

という今様を詠んで舞いました。
「そのかた(仏御前)も昔は無名で、誰だっていつだって彼女にとって代わる誰かがやってきます。
いつかは私のように、そのかたも次のかたも、捨てられるのですよ」
というような意味にもとれる歌です。

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家に帰るとあまりの悲しみで死にたくなりましたが、母と妹のために思いとどまって尼になりました。
嵯峨野の山奥に母娘3人、静かに暮らすことに決めました。

数年後、誰か戸を叩くものがおりました。
出てみるとあの仏御前です。

彼女は自分が祇王の地位を奪うつもりではなく奪ってしまったことを詫びて、髪を下ろして許しを請いに
来たのです。いまでも清盛の寵愛は厚いが、それがいつなくなるとも限らない恐怖に、彼女も日々
脅かされていたのです。

祇王は恨み言も言わずに彼女を歓迎しました。
そうして平家が滅ぶことも知らずに、彼女たちは嵯峨野の山奥で、心静かに余生を過ごしたということです。
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a.HesiodListening to the Inspiration of the Muse.Edmond Aman-Jean.small.jpg

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