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ぐるぐる [Paintings]

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『生命の樹』。

クリムトのこの絵は、元気が出ないときに見るのが好きです。
黄金とぐるぐるを見つめていると、なんだかパワーがわいてくるような気がします。

ぐるぐるは長方形とともにクリムトがよく描くモチーフですよね。
いえ、むしろ、長方形よりもよく使われます。

ぐるぐるは女性を象徴していると聞きました。
(長方形は男性)

木という生命力をあらわすものに、ぐるぐるをたくさん描きこんでいます。
女性は命を生み出す性だから・・・・

クリムトの女性観は、尊敬でも軽視でもなく、きっとどこか畏怖のような感情が強いのかなと感じます。
多くの女性を描きました。少女も老婆も、妊婦も娼婦も淑女も女神も悪女も。
妖艶さを表現しながらも、どこかでは畏れているのかとも思わせます。

私はクリムトの研究家ではないので、詳しくはわかりませんけれど。
絵は、見る人によって解釈が変わってきます。
解説を読んでから見ても、なにも先入観なしに見ても、どちらでもいいと思いますが、
どちらかといえば後者の見方がいいかもしれません。

見る人の心の状態や価値観によっても、名画と言われる絵がつまらなかったり、有名でもない絵に
強く共感したりしますね。

私にとってこの絵は、元気が出ないときになぜかいつも心に浮かびます。
左右に首を傾げたり、正面からぼんやり見つめていると、こころが穏やかになります。

みなさんにも、そんな絵がありますか?




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ヒミツを目撃...。 [Paintings]

ロココ様式というのは、18世紀のフランスの美術様式です。
イメージで言えば・・・・ヴェルサイユ宮殿。ゆるいかんじの貴族好みの様式ですww

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この絵は、世界史の資料集で初めて見た覚えがあります。

ジャン・オノレ・フラゴナールの『ぶらんこ』という絵です。

真ん中のブランコの女性は既婚者です。
彼女の背後でブランコを押しているのは、彼女の夫。何も知らず、楽しそうです。
彼女はきっと、「もっと高く~!」なんてはしゃいでいるのでしょう。

左下でのけぞっている若い男は、歩いていて突然ぶらんこのご婦人が飛んできたから驚いている、
わけではないのです。

じつは・・・

彼は彼女の愛人です。
そして、この絵を画家に発注した本人。
当時の女性は、まだ下着を履いていなかったので、その角度から中が見えてしまいます。
つまり・・・彼女は夫に高くこがせて、わざと、若い愛人を挑発しているのです。
彼女の視線がそれを物語っています。

そして彼の頭上のキューピッドの石像にもご注目あれ。
「しー」と、秘密の保持のポーズ。

ちなみに、ペチコート(今の下着の原型)の発明はもうちょっとあとです。
ご婦人がドレスのままでも乗馬できるようにと作られました。

ヴェルサイユ宮殿にはトイレがなくて、庭のあちこちで、貴婦人も立ったまま用を足していたとかw
だからヴェルサイユはとっても臭かったそうですw

(●´▽`)ナハハ




ゆるぎなき意志 [Paintings]

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ジョン=エヴァレット・ミレーの絵です。
「聖バルテルミーの日のユグノー教徒」。

恋人が心配して、ローマン・カトリックのふりをすることを進めています。
白い紐を彼の腕に巻きつけようとしているのを、ユグノー教徒である彼は拒否するのです。

聖バルテルミーの虐殺は、1672年にフランスのカトリーヌ・ド・メディチによる、カトリックのユグノー大虐殺です。
信じられないことに、カトリーヌ・ド・メディチは、この大虐殺を自分の娘の結婚式に行ったのです。
→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-04-27-2

女性はカトリック教徒。
男性はユグノー。

私のために、どうか今日だけは、カトリックのふりをして、と懇願する女性。
でも彼は自らの信仰を貫こうとします。

信仰によって、二人の未来には暗い影が差すことを、容易に想像できます。

わかりあえない両者。
それによって起きる、小さな不幸。

これは宗教的な信仰の違いだけで考えるのではなく、民族間や人種や、国と国との関係においても
言えることだと思います。

私自身は・・・信仰に命を懸けることは無理だと思いますが。
でも信念を失うことは・・・ちょっと、こわいです。


永遠の楽園 [Paintings]

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ポール・ゴーギャンは1848年にパリに生まれました。
父は新聞記者で母は社会主義女性活動家の娘。
この出自は彼の生涯を通して彼の生き方の大きな影響を与えることになりました。

父も母も、富める者を批判し、貧しき者たちの擁護者だったのです。

17歳で船員となり、世界中を就航します。
23歳で株の仲買人に、25歳でデンマーク人女性と結婚、その後4男1女の父に。
しかし、金融恐慌で仕事がなくなり、彼は画家になる決意を固めるのです。
それからは貧乏暮らし。

妻の実家に居候して、暗い絵をたくさんかきました。
やがて印象派と出会い、ドガに敬意を抱きます。

ブルターニュ地方に滞在したあたりから、彼の中で何かが目覚めます。
この地方の人々の暮らしの素朴さ、おおいなる自然。
「野生」という言葉が、彼の脳裏を巡ります。
そして南仏のアルルでゴッホと共同生活を送り、「耳切り事件」を経て、
再びブルターニュへ。
彼の中での文明社会と野生は、次第に二極化されてお互いの立場を明確にしていきました。

ジャポニズムを経て、彫刻や陶器の製作を経るころには、彼の中の疑問はますます膨張し始めます。
頭の中で「野生」が、「帰ってこい」とささやき始めたのかもしれません。
「帰る」?どこへ?

gauguin1.jpg『「黄色いキリスト」のある自画像』


この絵は、三重の肖像画と言われています。
オルセーで見られます。
自分の両脇には、キリストと、陶器の『グロテスクな頭部としての自画像』。
自分が生まれ育った普通の西洋社会と、自分の中に育った「野生」。
彼自身、その「野生」を無視することは、もはや不可能になっていました。

彼はいつしか、少年のころに見た南国の楽園に「帰りたい」と思い始めます。
文明を捨てて、野生の中に埋もれて死にたいと思うのです。

そして43歳の時、タヒチに赴きます。

aa.jpg『テハマナの祖先たち』シカゴ美術館所蔵。


ゴーギャンがタヒチで同棲した女性です。
文明化された洋服に身を包み、彼女の背後の壁には、伝統的な神々の絵が描かれています。

彼は二度、タヒチを訪れます。
でもそこは決して「楽園」ではなかったのです。
かれはそれでも、足りない何かをこの島に見出そうとしたようです。

文明社会(フランス)では、ままならない人生。
原始社会(タヒチ)は楽園かと思いきや、植民地として西洋化が進んでいる。

gauguiniaoranamaria.jpg『イア・オラナ・マリア』MET所蔵。
原始社会の聖母マリアとキリストを描いた絵です。
彼は何かを探し続けます。

そして2度目のタヒチ。

gauguin神の子の誕生.jpg『テ.タマリ・ノ・アトゥア』(神の子の誕生)。ノイエ・ピナコテーク所蔵。


骨折した足が悪化し、金銭的問題もあって、ゴーギャンは暗く沈みます。
そのうえ、新しい恋人・パウラが妊娠するも、子供は死産でした。
画面中央、死神が赤ちゃんを持ち去って行きます。

そしてフランスの長女・アリーヌが、たった20歳で死んでしまったという知らせが届いたのです。
楽園にも楽園はない・・・。

彼の求める世界も幸せも、どこにも存在しない。
彼は「死」を思うようになり、ある大作に取り掛かり始めました。

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『我々はそこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのだろうか』。オルセー。

両極にいる、赤ん坊と老婆。
たたずむ青い原始の神。
木の実を取る、中性的な人物。

末期の絵の色彩が暗いのは、梅毒に視神経が侵されていたためでした。
明るい南国的な色彩を用いていると思いながらも、実際には暗い色を用いていたのです。

自殺未遂を経て、マルケサス諸島の島に移り住み、55歳で心臓発作で亡くなります。
なくなる少し前、フランス政府の憲兵隊といさかいを起こします。
タヒチの植民地化、フランス人たちの現地人たちへの扱いを批判したのです。

平等や貧民への慈愛を重んずる彼だからこそ、健康を害したぼろぼろの体でも、
そうせずにはいられなかったのかもしれません。

彼の絵の多くは、土産物としてただ同然に売られたと言います。
彼はフランス領アトゥナの墓地に眠っています。


ゴーギャン―私の中の野性 (知の再発見双書)

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  • 作者: フランソワーズ カシャン
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 1992/03
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ノアノア (ちくま学芸文庫)

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  • 作者: ポール ゴーギャン
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1999/10
  • メディア: 文庫



ノア・ノア―タヒチ紀行 (岩波文庫)

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  • 作者: ポール・ゴーガン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1960/01
  • メディア: 文庫



Flora [Paintings]

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イヴリン・デ・モーガンの絵、2作目はフローラ、春の女神です。
1作目はこちらです→  http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-08-18-2

春の女神といえばボティッチェリがどうしても避けられない絶対的なイメージですが、このヴィクトリア朝の
女流画家の絵もすばらしいですよ。

なんという美しさでしょう?

おじさんがラファエル前派の画家だった影響で、17歳から美術を習い始め、
おじの買ったフィレンツェの別荘に半年間滞在して、ルネッサンス絵画に魅せられたようです。

当時の英国では、ダーウィンの進化論がもてはやされて、キリスト教絵画のたぐいはあまりぱっとしません
でした。でも、彼女の絵は、見るものを引き付ける美しさがあります。

透明度の高い、神々しい美しさです。




かわいそう、だけど・・・・ [Paintings]

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ジャンバティスト・グルーズの『死んだ小鳥』。
1800年に描かれました。

飼っていた小鳥が死んでしまい、少女が悲しんでいます。
かわいがっていたし、とても悲しいのだけれど、少女には「死」が恐ろしいのです。

彼女は、小鳥に触ることができません。

愛情を注いだ小さなものの、小さな死。
死とは何か・・・・生きるということもよくわからずに毎日を過ごす少女の、初めての「死」との対峙。

小学生のころ、飼っていたひよこが死んでしまった時、私は弟に埋めてもらいましたっけ。
かわいかった姿が見るも無残に伸びきって硬直している姿を見て、「死」を恐ろしいと感じたことを
思い出しました。


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『ためさるゝ日』 [Paintings]

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江戸幕府がキリスト教を禁止にしたのは、幕府の方針と相反する教えだったからです。
幕府は将軍がトップです。なにをするにもエラい。
そして社会は明確な身分制度を敷いて、士農工商を分けています。

神の前ではみな平等、と説かれると、将軍の権威もあやしくなります。
「平等」は非常にまずいのです。

だから布教を禁止にして(1612年)強制的に改宗させたし、カトリックを伝えるポルトガル船の来航を
禁止したし、どうしても言うことを聞かない者は、ひどい拷問にかけて殺してしまいました。

九州は外国船の来航が多かったし、幕府がもともと外国との貿易を長崎の出島に集中させておいた
ために、キリシタンと呼ばれた信者が江戸よりもはるかにたくさんいたようです。

身分制度に苦しむ農民たちはもとより、大名までも信者は幅広くいたのです。
キリスト教禁止令が出されてから焼く200年間、彼らの受難ははじまります。

観音像をマリアに見立てたり、改宗したと見せかけて実は隠れて信仰しつづけたり。
キリストやマリアの絵を踏めるか踏めないかによって、信者であることを確かめたり、密告をうけつけたり。

拷問はそれは残酷なものでした。
逆さにはりつけて海の中に放置したり、蓑を着せて油をかけて火をつけたり。
はりつけ・火刑は当たり前、耳そぎ、試し切り、雲仙岳の煮えたぎる硫黄に突き落とし。

それでも信仰を捨てないで殉教する人たちは、老若男女、大勢いました。
それだけ、幕府の身分制度に不満を持っていたということなのでしょうね。

虐げられていた人々にとって、心の安らぎの場は大切だったのでしょう。
それがキリスト教でなくても、きっと同じだったと思います。

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私は宗教のために死ぬことは絶対に無理ですけど、もし、精神的な自由が認められない国に生まれて
しまったとしたら、どうにかして亡命しようとすると思います。誰かに魂を押さえつけられて生きなければ
ならないと思うとぞっとします。

この絵は鏑木清方の『ためさるゝ日』。
長崎丸山の遊女の宗門改めを描いています。

やはり場所が長崎なだけに、この遊郭にはキリシタンの遊女たちがたくさんいたのでしょう。

自分の信仰を踏みにじらなければならない彼女の表情には、ためらいの色が浮かんでいます。
東インド会社のシンボルである帆船の模様の着物を着た彼女は、今、必死で自分と戦っているようです。

はたして彼女は踏んだのでしょうか、踏まなかったのでしょうか?


意志のゆくえ [Paintings]

フランスの画家ジャン=バティスト・グルーズ(1725-1805)はリヨンで生まれ育ち絵を学び、
25歳で上京しました。

パリでも才能は認められましたが、当時の流行であった貴族の宮廷画のような絵ではなく、
一般市民の生活を好んで描いたそうです。

彼は市民革命の生き証人ですね。
60代から社会の変革を目にして、何を思ったでしょうか。

この絵は『父の呪い』と言います。1777年に描かれました。

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アイデンティティに目覚めて、自ら軍隊への入隊を志望する息子。
たぶん、大切な一人息子なのでしょうか。父は猛反対。
反対されればされるほど、意志を貫こうとする息子。

「僕はもう子供じゃないんだ。父さんの言いなりにはならないよ!!」

「うるさい、この親不孝者が。お前ごときが軍隊に入ってなにになる?!」

「僕の人生だ、好きにするさ!」

そんな声が聞こえてきそうです。
息子にすがりついて父に許しを請うように息子を諭す母親。
どうか落ち着いてお父さん!と父を止めようとする彼の姉か妹。
どうか考え直して!行かないで!と彼に懇願するのは妻と幼い息子でしょうか。

家族の危機です。
でももう息子は、革命軍の制服を着ています。

「親に逆らってまで成し遂げるお前の意志とはなんだ?!」

父の怒りは、思い通りにならない息子に対するものでしょうか・・・?
それとも、そんな運命を導いた時代への憎しみでしょうか?
家族を捨ててまで時代を変えることに加担しようとするわが子は、命を懸けようとしているのです。

そして、父に逆らってまで意志を貫こうとした息子への代償は・・・・

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父の死でした。

『罰せられた息子』。
1778年に描かれました。

時代を変えようとする若い情熱は、父の死という取り返しのつかない不幸を招いてしまいました。
もしもここで彼が革命軍をやめたら、父は死に損です。
彼も逆らった意味がなくなります。

家族を不幸のどん底に落とした息子の決意・・・・

彼はこの後、どうしたのでしょうか。



『聖母と聖餅』 [Paintings]

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この麗しい聖母を見た時、「わ~、ラファエロみたい~」と思ったのですが、案の定、ラファエロの聖母を
もとに描かれたそうでした。聖餅とは、聖体に用いるパンのことだそうですね。

フランスの画家ドミニク・アングル(1780-1867)は、新古典主義を描きました。
『玉座のナポレオン』や『グランド・オダリスク』のほうがよく知られているかもしれないですが、
この聖母も素敵です。

彼の絵はなんというか、いい子ちゃんの絵、という感じがします。
傑出するオリジナリティはないけれど、構図や基本を綿密に踏まえて描かれているようです。

ラファエロやミケランジェロの影響が大きいのは、イタリアにいたからでしょうか。
女性的というよりもどこか中性的な魅力のあるツンデレ系のマドンナはラファエロのお得意ですが、
アングルの聖母はその冷たさはないようです。

聖母だけで赤ちゃんのイエスを抱っこしていないのも(私的には)珍しいです。

モネのヴェネツィア [Paintings]

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夕暮れのヴェネツィア。

二人目の妻とともに訪れたこの水の都で、モネは特に夕景を愛したようです。
夕日に染まる姿、あるいは黄昏のグラデーションに昏く浮かぶ水の都を何枚か描いています。

私がヴェネツィアを訪れたのは学生のころで・・・・
夕暮れとか朝焼けとかは、団体行動の規制で見られなかったので残念です。

今度訪れるときは夕暮れに水路から水路を渡ってゆっくりと散歩しながら、
こんな時間帯のこの都を眺めてみたいと思います。

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