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Antique Mirrors:*:°・☆ヾ(δ_δ。)*☆*:° [なんちゃって博物誌]

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これは私が持っているものではないけれど、ネットサーフィンしていて見つけて一目ぼれした鏡です。

アール・ヌーボーのアンティーク。
100均SHOPの大きな鏡もよいけれど、こんな鏡を持っているのもよいですね。
毎日覗いていたら、なんか美人になれそうな気がしますw

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鏡をのぞく必要がなくても、ついつい手に取ってしまいそう。

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鏡のような無機質で直線的なものを、流れるようなラインで縁取るなんて、うっとりの美しさです。

白雪姫のお妃さまの魔法の鏡じゃないけれど、なんか答えてくれそうなw

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ヴィクトリアンスタイル。

あぁ、すてき。 いったい、いくらするんでしょう?

鏡の歴史は、はっきり言って、あってないようなものです(笑)。

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だって、水に映った自分の姿で身づくろいすれば、それは立派な鏡になりますから。

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これはフタ付き!!


水に映る自分の姿にうっとりしたアドニス。

黒曜石の表面を磨いたり、銅を磨いて鏡として使うこともありました。
でも黒曜石だと色がわからないし、銅もぼんやりだから、あまり使い勝手が良くなさそうですね。

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アール・ヌーヴォー。指をひっかけるタイプ。


中世のヴェネチアのガラス職人たちが今の鏡のもととなるようなものを発明しましたが、
とても手のかかる製法だったそうですよ。

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持ちやすそうです♪


今の鏡は19世紀のドイツで発明された方法で、いまだに同じような製法ですって。

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美しいアール・ヌーヴォー。人魚の鏡。


手にしっくりとくる手鏡を見つけることができたときはうれしいですね。
持ち歩き用は小さめで、柄が短くていいけれど、家用はちょっと大きめで、柄が持ちやすくて
細くも太くもないものがよいです^^

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裏に青いガラスをはり付けた、こんなかわいいものも。


壁にかけるタイプも、大きくて四角ければ見える範囲が広くていいけれど、
デザインもこっていると、飾るのが楽しくなりますね。

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こんなアール・ヌーヴォーもかわいいです^^


花の絵が裏面に描かれているのもいいですね。

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こんなものとか、


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こんなもの。


中には、貝をはり付けたものも。

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美しいフォルムのジョージアン。


これは銀細工ですって。きれいだけど、ちょっと重そうですね^^;;;

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お気に入りはありましたか?



トロール [なんちゃって博物誌]

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トロールは、北欧神話の妖精の一種です。
おもにノルウェー、スウェーデン、デンマークなどに見られます。

地域によってはその外見は大きさまでもバラバラです。
あるものは山ほどの巨人であったり、あるものはアリくらいの大きさだったりします。

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巨人は森のお化けのような外観らしいです。
小人はアリくらいから15cmほどの大きさで、こちらのほうは、

※醜い
※金と水晶をたくさん持った、丘や塚の地中で暮らしている
※騒音を嫌い、特に教会の鐘やドラのような金属音を嫌う。
※気に入った人には幸運を、気に入らない人には不運を与える。
※魔法で何にでも姿を変えられる。
※盗み癖があり、人間のものを盗む。
※自分の子供を置いて、人間の子をさらう。
※日の光にあたると石になり、日が沈むと元に戻る。

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赤ちゃんが知らないうちにトロールの子ととりかえられていることもあり、もしも子供が、

※なかなか体が成長しない
※がつがつとなんでも食べるすさまじい食欲である
※親の言うことを決して聞かず、乱暴である

などの時は、取り替えられた子…「取り替えっ子」であると言われました( *´艸`)

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日本だと「お前なんて橋の下から拾った子なんだから!」というところを、
北欧では「お前は取り替えっ子なんだから!」とでもいうのでしょうかwww

北欧といえばフィンランドの『ムーミン』。トーベ・ヤンソンという女性のイラストレーターが作った、無害な、
かわいらしいトロールのキャラクターです。

彼女は15歳からイラストレーターとして政治の雑誌の表紙のイラストを描いていましたが、
第一次世界大戦がはじまったころに、戦争への抗議として、鼻の長い小さなトロールの怒った絵を表紙の
どこかに必ず描き始めたのです。それがムーミンの始まりだとか。

さまざまなアーティストを刺激するトロールは、現在でも有名なお話に登場したり、
ゲームのキャラクターになったりしていますね。

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私のお気に入りは、ジョン・バウアーという19世紀後半から20世紀初頭のスウェーデンの画家です。
彼の絵はとてもかわいらしいのです。
トロールの形が定まらないのには、北欧特有の理由があるからなのかもしれません。

それは、白夜です。
太陽の沈まない、夜中でも薄明るい白夜。

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森の中は鬱蒼として、その上白夜ならば、昏(くら)い森の中で木々が風でざわめくだけで、人にはなにか
別のものに見えてしまったのかも。

薄闇が見せる幻覚や、ちょっとした恐怖心が生み出した想像の産物。
それがトロールとして語り継がれ、同時に切っても切れないものとして、親しまれ続けているのかもしれません。




新装版 たのしいムーミン一家 (講談社文庫)

新装版 たのしいムーミン一家 (講談社文庫)

  • 作者: トーベ・ヤンソン
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/04/15
  • メディア: 文庫



ムーミンのたからもの (講談社の創作絵本)

ムーミンのたからもの (講談社の創作絵本)

  • 作者: 松田 素子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/08/11
  • メディア: 単行本



MOOMIN ムーミン公式ファンブック (e-MOOK) (e-MOOK 宝島社ブランドムック)

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  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2011/11/17
  • メディア: 大型本



ムーミン画集 ふたつの家族

ムーミン画集 ふたつの家族

  • 作者: トーヴェ・ヤンソン
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/03/26
  • メディア: 単行本



L'escadron Volant [なんちゃって博物誌]

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フィレンツェの大富豪の家系にしてフランス王妃、3人のフランス王の母となった「黒の王妃」、
カトリーヌ・ド・メディチ。

多くの歴史の本に記されていますが、彼女は必ずしも美しい女性ではなかったようです。
そのかわりに知性は当代一で、最高の教養を身につけていたそうです。

フランスにナイフとフォークのテーブルディナーを持ち込んだのも彼女。
それまでは手づかみで食べかすは床に捨てる、汚れたらパンで拭くといったかんじ。
パンはお皿であり、お手拭きでもあり。びちゃびちゃになれば床に捨てます。それを犬が食べるのです。

アイスクリームも彼女。
下着の原型となるペチコートも彼女。
占星術もそして毒殺も彼女w(「毒殺する」は「イタリアする」と言いました)

夫のアンリ2世には愛されたとは言えません。
彼にはディアーヌ・ド・ポワティエという、18も年上の愛妾がいました。

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ディアヌ


彼女は夫に愛されない不満を満たそうと、占星術や神秘学にはまったと言われます。
そして夫が馬上槍試合で目を突かれて事故死すると、夫の愛妾を田舎に追いやって
自分の息子の摂政として政治的手腕を発揮します。

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当時はカトリックとプロテスタントがいがみ合っていました。
だから彼女は自分の言うことを聞かない貴族たちは、ある手段を用いて言うことを聞かせていました。

それがエスカドロン・ヴォラン。

日本語では「飛行隊」とか「遊撃隊」と訳されるようです。
で、どんな最強軍団だったかというと、実は、貴族の子女、しかも見目麗しき美女ばかりを集めた
最強美女軍団だったのです。

ありとあらゆる手練手管を仕込まれた、最強の美女集団・・・・・そう、反対派の人たちを色仕掛けで誘惑して
言うことを聞かせるための侍女たちのことです。

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そんなうまく行くわけないやん・・・・と思うでしょう?

これが結構、うまく行っていたのですw

カトリーヌから使命を授かった美女たちは、反対派を誘惑して言いなりにするのです。
時には息子たちや婿にも美女たちを仕向けたこともありました。
誘惑のプロですから、おちない男はいなかったのです。

おそるべし、カトリーヌ。

セミ ~幸運のお守り~ [なんちゃって博物誌]

いま、旬のモノといえば、これでしょう。
そう・・・・あちこちで地上での短い命を謳歌している、セミです。

cicada5.jpg> 長い間、土の中に埋もれていて、地上での命はごくわずか。 一週間程度で、繁殖をえたら命尽きるセミたちは、どこかミステリアスではかなげです。 その性質から、変身や復活の象徴ですって。
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ヨーロッパでは幸運のシンボルです。
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特に南のほう(でしか見られないと思うのですが)では、幸運のお守りなんです。 お土産品としても人気らしいですね。 でもここはあえて、美しいセミ?をピックアップですよ♪
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さすがラリック、美しいですね。
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これは羽のデザインのリング。
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う~ん、ヘアアクセ・・・のセミ?でもやっぱり、アール・ヌーヴォーは美しいですね^^
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  セミの抜け殻も、幸運のお守りとしてアリ…だと思います( ´艸`)

バベルの塔 [なんちゃって博物誌]

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バベルの塔は『旧約聖書』のジェネシスに登場します。
架空の建物とも、本当にある遺跡の一つだとも言われています。

もともと人々は、同じ言葉を話していたそうです。
そして神のもとへ近づこうと、塔を築き始めました。

神は怒り、人間の傲慢さを止めさせようとしました。
塔を完成させないように、人々の言葉を分けて、世界中に散らばらせたそうです。



・・・・人々はいまでは、英語やスペイン語、北京語のような共通語を用いて、コミュニケーションを
可能にしています。

でも、傲慢からそうするのではないです。
現代は、それで神に挑戦しようなんて思わないですしねw

ちなみに、言葉を理解しているだけでは、あまり意味がないです。
お互いの文化や考え方を理解しあってこそ、思いやりや優しさが生まれますね。

もしかしたら、もともととこの世に言葉が一つしかなかったころは、
そういった感情がなかったのかもしれません。

でも今は、相手に対して偏見や優越感を持つのではなく(それは結構、ちっぽけな考え方です)、
仲良くしていけるとよいですよね?

政府や政治がだめならば、民間レベルではあんな醜い行為はやめてほしいです。
美術館のHPを改ざんすることも野蛮な行為です。
そんなことが主張を通すとでも思っているのでしょうか?
自らの名声のためだけにあらぬ攻撃を仕掛けることも迷惑です。

私たちは同じ間違いを繰り返さないためにも、良識と品位を保ち、理解し合おうとすることが
大切です。



聖骸布 [なんちゃって博物誌]

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聖遺物とは、カトリックにおけるキリストや聖人たちの遺骸、遺骨、遺品のことを言うそうです。
それらは一つでも手に入れば、教会の宝として信者の信仰心を高めます。

おもに、11世紀から13世紀にかけてのレコンキスタの時に、十字軍によって持ち帰られたそうです。
もちろん、フランスあたりに広まったのにはテンプル騎士団の絶対的な力が不可欠だったかもしれないですね。

聖骸布もそのひとつ。
これはキリストが磔刑になった後、その遺体を包んだとされる布のことです。

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中世にはたくさん出回ったそうですが、画家が描いたものだったり、勿論と言えばもちろんですが、
ニセモノばかりでした。

現存する唯一の聖骸布は、イタリアのトリノにある「トリノの聖骸布」と呼ばれるものです。
言い伝えによれば、

十字軍によってエルサレムから持ち込まれ、テンプル騎士団がフランスに、そして1353年には
ジェファロア・ド・シャルニエ公が所有者として、リレーという地に聖堂を建てた際に聖遺物としました。

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1839年にある司教が偽物と断定しましたが、人々の信仰心のほうが勝ったようで、その事実は
うやむやにされました。

1453年にサヴォイア家に所有権が移り、1578年にはトリノへ移されました。
イタリアが共和制になったことも関係あるのでしょうか? その後、ローマ教皇に所有権が移りました。

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2000年に一般公開、その後修復されて2010年にふたたび公開されたそうです。
ヒトの血液が付着しているそうですが、今となってはもう真実は闇の中。
誰もキリストの顔を知らないし、彼のDNAも残っていませんから(当たり前ですがw)。

布に着いた花粉がレバノン杉のものであり、エルサレムあたりの布に間違いないことは証明されていましたが、
実は、1988年の放射性炭素測定法によって14世紀のものと判明しています。

これは、ホンモノとかニセモノとかは、どうでもいいのではないかと思います。
つい、いたずら心で人を騙そうとして作ったわけではなくて、信じて待つ人々の期待に応えたいがために
作られたものなのかもしれません。

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釣りに出かけたお父さんが、楽しみに待つ家族のためにボウズの時に市場で魚を買ってクーラーボックスに
入れて持ち帰る・・・・みたいなw

まぁ、聖遺物を持ち帰って英雄になりたかったのか、高値で売ることが目的だったのかはわかりませんが、
結果的には「だまされた!」と失望する人よりも、ありがたいと思う人のほうが多いということをみれば、
これはこれでいいでしょう。

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今となっては14世紀のものとして重宝すればよいことです。


魅惑の護指 [なんちゃって博物誌]

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私を魅了する中国文化の一つは、これ、護指です。

ゴシ、とは・・・・

清朝時代にはやった、長い爪を保護するキャップのようなものです。

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さて・・・

ネイルアートの専門家でいらっしゃる方々はよくご存知でしょうが、爪のファッションの歴史はホントに
とても古いです。

およそ7000年前の人々はすでに爪を染めていたという記録があるそうなので、「文明」という言葉を表す
キーワードの一つと言えるのかもしれません。

古代のおされさんたちは、植物の汁などで爪を染めていました。
インドでは爪を赤褐色に染め、さらにヘナで指先の曲がるところ、DIP関節までを模様を描いて染めました。

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エジプトでは爪を赤く塗ることは最高位の女性にのみ許されていたそうです。
クレオパトラは赤褐色に塗っていましたが、なんと彼女のカラーは彼女だけの特注カラーだったとか。

北米大陸の先住民の女性たちも、ヘナで爪を染めていました。

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5000年前の中国では最高位の女性は金や銀に染め、次が赤と黒。そして淡い色はその下の位の
女性に許されていたそうです。

日本でも古代、中古の女性がベニバナやオシロイバナで赤やピンクに爪を染めていたそうです。

もちろん、共通して言えることは、爪のおされは身分の高い人々のものだったということです。
これが発達して、爪の長さにまで影響します。

身分の高い人々は雑用や力仕事をしない。
したがって、手はキレイなのです。

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2600年くらい前になると中国を中心に、アジアでは男女ともに小指の爪を伸ばすという文化が生まれました。
これは裕福な人々の象徴となりました。
たぶん、今でも左の小指の爪を伸ばすのは富の象徴、という地域が残っているかもしれません。
(男性が小指の爪を伸ばしていたら、私などは生理的嫌悪感を感じちゃいますがww)

こうなると、爪というのはいつ何時折れるかもわからないので、保護する必要性が出てきます。
そこで登場するのが爪キャップともいえる護指です。

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もちろん、なくても生きていける・・・生活には余計なものです。
だからこそ、贅を尽くして美しく仕立て上げられたのです。

素材は象牙、金、銀、メノウ、べっ甲、貴石、半貴石。

特にファッションアイコンとなったのは、ご覧になった方も多くいらっしゃるでしょう、そう、清朝の最強の
悪女にして女帝であった西太后です。

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彼女の爪は長くて、握手するのが大変だったそうです。
外国の特使や高官がそう書き残している文献があるそうですが。

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美への執着が強く、ツバメの巣などの美容食から宝石類の装飾品、金糸を縫いこんだ豪華絢爛な絹の
衣裳など、お金に糸目はつけなかった西太后。

もちろん、彼女の護指も豪華なものでした。

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権力への執念は半端ではなく、実の子や甥も自分が権力を握るための手駒にすぎない彼女でしたが、
すべては自分がいつまでも豪華絢爛に着飾ることができて、ぜいたくな暮らしをすることが第一の目的
だったのでしょう。いいことは言い伝えられていないですが、この護指の美しさを残してくれたことには
感謝、です。

べっ甲は軽そうだけれど、金や銀で作って宝石をちりばめたら、結構重そうです。
たぶん、箸を持ち続けているよりも重いでしょうね。指、疲れないですかね?

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纏足も恐ろしいですが、まぁ、西洋のコルセットにも言えることですが、ときにファッションとは、苦痛に耐える
事なのかもしれませんね(纏足はまったくの女性蔑視といえますが)。

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武術で言えば、剣を持つ時の手を守る護拳というものがあるそうですね。
美しさと武術。対極にあるように思えるものたちに共通のモノがあるとは興味深いでしょう?



サンタ・マリア・デル・フィオーレ [なんちゃって博物誌]

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花のマリア大聖堂。
フィレンツェのランドマークの一つです。
ラテン十字の形に横たわる、カトリック教会。

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13~19世紀にかけて建築されました。140年間。
う~~ん、とてもややこしいのですが、まあ、簡単に言えば、たくさんの芸術家、建築家たちの合作とでも
言いましょうか。140年もかけたので、当然と言えば当然かもしれませんね。

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あぁ、残念。礼拝堂の扉の画像をなくしてしまいました(´;ω;`)
ロレンツォ・ギベルティによる、金の装飾を施した銅製の扉。
この扉をミケランジェロが「天国への門」と呼んだことから、今でもそう呼ばれています。
ちなみに、ここにある扉はレプリカだそうです。
興味のある方はぜひ訪れて見てみてください。

建築物の一部は世界遺産に登録されているそうです。
そして、聖堂はイタリアでいちばん大きいそうですよ。

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もともとこの場所にはむか~しから聖堂がたてられていたそうです。
それが月日や戦争などで崩壊して、1200年代の終わりにここに大聖堂をたてる計画が決定されたのです。
フィレンツェといえばメディチ家の本拠地。
薬商人だった彼らの紋章があちこちにみられますね。

中世はルネサンスの華やかな中心地であり、私たちも名前を聞けば知っている芸術家たちが
ここに集まりました。

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一方では黒死病のような人間の力ではどうすることもできない災いにも見舞われて・・・
この大聖堂はぞれらをずっと傍観しながら140年の歳月をかけて作られたのですね。

建物だけではなく、彫刻や絵画も美術館並みに素晴らしいですね。


とっておきのフィレンツェ/トスカーナ: おいしいものと素敵なところ

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  • 作者: 古澤 千恵
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/03/22
  • メディア: 単行本



フィレンツェ 通いつめて見つけた「食べ歩き&買い物」案内 (イタリア旅ガイド)

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  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2010/04/06
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フィレンツェ美術散歩 (とんぼの本)

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  • 作者: 宮下 孝晴
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1991/01
  • メディア: 単行本



フィレンツェ史(上) (岩波文庫)

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  • 作者: マキァヴェッリ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/03/17
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銀色のフィレンツェ―メディチ家殺人事件 (朝日文芸文庫)

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  • 作者: 塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞
  • 発売日: 1993/10
  • メディア: 文庫



女主人の霊がさまよう幽霊屋敷 [なんちゃって博物誌]

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アメリカのカリフォルニア州サン・ノゼといえば、シリコンバレーと呼ばれるIT産業のメッカだと、
社会の授業で教わりました。

日本でも大企業の社員さんがよく出張で訪れる場所ではないでしょうか。

ここに奇妙な幽霊屋敷があります。
殆どの人が知る、有名な「迷宮」。

それは、ウィンチェスター・ミステリ-ハウスと呼ばれています。

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これはおばあちゃんになってからの写真


1839年に生まれたサラは、裕福な家庭で美しい娘に育ちました。
彼女は147cmの小柄な女性でしたが、その美しさは噂に上るほど有名でした。

彼女はシャツ製造で稼いだウィンチェスター家のウィリアムと1862年に結婚しました。
ちょうどその少し前、彼はライフル製造を始めた父の会社を受け継いだのです。

4年後には娘が生まれますが、先天的な病気のためにたった数日でなくなってしまいました。
それからは子供を授かることなく年月が過ぎて、1866年には、夫が肺結核でなくなってしまいました。

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20万ドル以上の莫大な遺産を受け継いだ彼女は、悲しみに沈んでいました。
お金はいくらあっても、愛する人たちは共にいることがないからです。

会社の持ち株やいろいろな権利だけでも、一日に1000ドルのもうけがありました。
悲しみに沈む彼女に、友人が交霊会に誘います。

そこで霊媒師は彼女に告げるのです。

「あなたが愛する人たちを奪われたのは、あなたの亡きご主人の会社で作ったライフルで死亡した、
多くの人々の怨念のためなのです。今住んでいる邸を売り払い、西に行きなさい。そこに邸をたてなさい。
そして、建築し続けるのです。それを続ける限り、あなたは生き延びることができるでしょう」

彼女は、言われたとおりにします。

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そしてサン・ノゼにたどり着いて、ここに奇妙な邸をたてはじめたのです。

ドアを開ければそこには壁。

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階段は双方から出会い、行き止まる。

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ドアを開ければ急こう配で庭の芝生に向かい、
階段をのぼればその先は壁。

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これらは、悪霊をだますためのトリックだと言います。
ヴィクトリアンスタイルのかわいらしい建物の中は、まったくもって迷宮のようです。

13の階段
13の窓の客室、
13のパネルがはめ込まれた壁、
13のパネルの床。

13はキリスト教徒にとっては忌み嫌う数でしたが、彼女にとっては特に執着した数字でした。

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365日昼夜を問わず建築しつづけられたこの巨大な迷宮は、サンフランシスコ大地震でも全壊を
免れたといわれます。

ステンドグラスもちょっと変わっていて、クモの巣のデザインになっていたりします。
160以上の部屋があると言われていますが、実際の数は誰も知らないようです。
2つあるダンスホールのような大広間では、時々、交霊会もおこなわれていたとか。

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1922年に彼女が死亡するまで、増築は続けられたとか。

今ではツアーのある人気の幽霊屋敷です。
今でもサラがこの迷宮の中をさまよっているといううわさがあります。
自らの妄執にとらわれたのでしょうか・・・・


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ハロウィンや13日の金曜日などには、肝試しツアーも行われているらしいですよ・・・



ミノアの王と神話の島 [なんちゃって博物誌]

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地中海地方にはたくさんの古代文明があるから、専門家や詳しい人でないと、私たちには
ちょっとわかりづらいというのが、正直なところですねw

ギリシア神話を読んでみると、史実とフィクションがたくみに混ざり合っています。
これはその影響を受けているのであろう?ともいわれる、日本の『古事記』にも言えることですが。

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いろいろな文明の中で、クレタ島で発達した文明を、ミノア文明と呼びます。
紀元前3000年ごろから1500年ごろまで栄えていたようです。ということは、いまから5000年前。

でも、水洗トイレもあったのですって。のちに栄えるローマ帝国も上下水道が整っていましたが、もう
こんな昔からそうだったのですね~。ヒトの生活の基盤は何千年たってもそう変わらないという・・・w

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『オデュッセイ』によれば、9歳で王位についたミノス王の治める、敵の侵入の心配のない平和な国。
クノッソス宮殿が王の住んでいる場所でした。

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ところで、クレタといえば迷宮に閉じ込められた怪物ミノタウロスが思い浮かびます。
ミノタウロスはミノス王の王妃の子で、頭が牛なのです。

おぞましい話です。
ミノス王は白い牡牛をポセイドンにいけにえに捧げる約束をします。でも、牡牛の美しさゆえいけにえに
するのが惜しくなって、代わりにほかの牛をいけにえに捧げ、ポセイドンを激怒させます。

ポセイドンは王妃に、牡牛に欲情する呪いをかけるのです。
これによって王妃は牡牛と交わり、ミノタウロスを産むのです。

ミノタルロスとは、「ミノス王の牛」という意味だそうですね。

彼は成長すると超乱暴者になったために、迷宮に閉じ込められます。
食べ物はなんと、人間の子供!!!!
子供たちは定期的にいけにえに捧げられるのです・・・・・

このミノタウロスを倒したのがテセウス。前に、アリアドネの時に紹介しました。
→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-09-05
(テセウスなんかと結婚しなくて、アリアドネにとっては別の幸せが見つかってよかったです)

ヘラの悪巧みの嫉妬から、ヘラクレスの王者になるべき運命を横取りして王になったエウリュステウスは、
ヘラクレスに無理難題を12も与えましたね。

そのうちの一つが、クレタ島の暴れ牛を仕留めるというものでした。
もちろん、ミノス王も手を焼く暴れ牛は、ヘラクレスによって退治されますが・・・・

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クレタ島と牛は、切り離せない関係なのですね。
彼らの農耕の中心は、まぎれもなく牛だったのでしょう。
ギリシア神話では牛は神聖な生き物であり、時には神そのものであるとされます。

白い牡牛に変身したゼウスが、エウロパを誘惑し、その背にのせてさらったという話も、ヨーロッパの
起源としてありますよ。→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2012-02-27-2

そしてクレタと言えば(私には)、のもうひとつは、これです。
3人の女性のフレスコ画。

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『3人の女王たち』と呼ばれます。女王なのか、娼婦なのか、侍女たちなのか・・・謎ですが。
このパステルの色合いが、いかにも海洋文明という雰囲気が出ていて好きです。

いるかも描かれていますね。これも古代ギリシアでは聖なる動物です。
漁師や、魚たちも描かれています。

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実に生き生きとしていて、見ていると楽しい気分になります。
壁画とかフレスコ画は、その当時の人々の暮らしぶりを感じ取ることができるという点でも、文字以上に
表現力が高い場合が多いですね。

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エジプト文明の影響も受けていたと言われます。だからちょっとエジプト風のフレスコ画もありますw
文字は線文字や象形文字があったようです。

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紀元前1400年ごろに、アカイア人の侵入によって滅んでしまったと言われていますが、21世紀の
現代でも、その文明の片りんを見ることができます。

20世紀に英国の考古学者によって発見されるまでは忘れ去られていたという点も、現存の要因と
なったのかもしれません。

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5000年の時を経てもなお、遺跡として残るそのすばらしさは、これからも現代人が意識して守って
いきたいですね。



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オリンピックも始まったことですし、これからしばらくの間、毎日ひとつずつ、過去記事からイギリスに
関した記事を再アップしておきま~す^^(忘れなければ)

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