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イル・ゴットーソ [l'histoires d’hommes]

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豪華王ロレンツォの父、ピエロ。
彼は48歳でメディチ家の当主の座につきますが、若いころからいろいろと病気に悩まされ、
「痛風王(イル・ゴットーソ)」なる呼び名で呼ばれています。

彼はコジモの妻・トレドのエレオノーラの子供ではありません。

たった5年ほどの統治の間に、さまざまなお家の危機を経験します。
コジモ亡き後にメディチ家をフィレンツェから追い出そうと画策した人たちがいましたが、
彼自身の運の強さとまだ少年だった息子ロレンツォの働きによって阻止されました。

首のリンパ腺が晴れていたけれど、メディチ家にしてはイケメンのほうだったようでw

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大変に几帳面な性格で、父親の葬儀でかかった費用は、召使に与えたお金まで書き留めたそうで。
その性格がフランス王ルイ11世にとても気に入られて、外交官時代にメディチの紋章をフランス王家の
3つのユリで飾ることを許されたくらいでした。

美しい妻とともに芸術に深い関心を寄せ、父同様に芸術家たちに惜しみない庇護を与えました。
画家たちはピエロの家族の肖像画を多く描きました。

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妻のルクレツィアは詩人でもありました。


ボッティチェリはピエロの長男・のちの豪華王ロレンツォとは5歳違いでした。
ピエロ夫妻はこの画家を家族同様に扱ったそうです。

彼は病気でなくなりましたが、亡くなる直前に、彼の威光をかたり、街を荒らしまわる輩が出現し、
心を痛めたと言われます。芸術家たちにだけでなくフィレンツェの市民たちにもおしみない寄付を
与えた彼だからこそ、短い統治期間でも名を残すことができたのかもしれません。

芸術に関心を寄せるだけでなく、自らも詩人として作品をいくつかを残した知的な美人妻と
その子供たちを描いた絵の話は、また今度です。

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