サラとミュシャ [Paintings]
サラ・ベルナールは娼婦と弁護士の間に生まれました。
修道院で育ったけれど、生活のために女優と娼婦になりました。
サラについてよく知られていることは、棺の中で寝ていたことでしょう。
ベッド代わりに特注の棺に寝ていたんです。ベルギーの貴族との間に男の子を生み、
のちにその子は作家になります。
アルフォンソ・ミュシャは、今のチェコに生まれました。
貴族にパトロンとなってもらい、美術学校に通いました。
この二人を結びつけたのはずばり、「芸術」です。
1895年、無名のグラフィックデザイナーだったミュシャに、サラが舞台のポスター制作を依頼しました。年末で依頼を受けてくれるところがなかったからです。するとこれがおおあたり。
「ジズモンダ」とう舞台のポスターはうけにうけて、ミュシャはたちまち有名になりました。
私は『黄道十二宮』などほかの絵も好きですが、ここではサラ関係に絞ります。
『黄道十二宮』はこちら。
↓ ↓ ↓ ↓
http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-04-07-2
続いて、
「椿姫」
「メディア」
「トスカ」など、次々と話題のポスターを作成しました。
サラは右足にけがをして切断しても、仕事を続けていたそうです。
亡くなったとき、国葬されました。
ひとは生まれは関係ない、どう生きたかが大切なんだということを教えてくれます。
四角四面に生きるという意味ではなくて、どう世の中に影響を及ぼしたかです。
ミュシャは老後は故郷に戻り、たくさんの作品を残しました。
チェコがナチスに解体された時、国旗や切手のデザインに深くかかわっていた彼は拷問を受けました。
それがもとで78歳で世を去ったそうです。
アール・ヌーボーで二つの感性が出会ったことで、素晴らしい作品がたくさん残されました。
この人の絵は目の表情が凄いですね。
by せいじ (2011-06-10 12:23)
ミュシャ・・
いつか、本物が欲しいです^^
夢ですが・・
by mphoto (2011-06-10 21:55)
若かりし頃、ミュシャにゾッコンの時代がありました。
by 扶侶夢 (2011-06-11 20:13)
ミュシャとエゴンシーレの世界、
不思議な感じで気になります。
by pocoApoco (2011-06-12 00:12)
ミュシャが好きで、部屋に飾ってあります。(もちろんポスター程度のもの 笑) ミュシャが好きの半分は描かれている女性の魅力です。サラ・ベルナールは映画が生まれるとすぐに出演していますが、残念ながら当時の映画はサイレントでしたね。
by sig (2011-06-12 15:44)
どう生きたかが大事。心にしみる言葉です。
by elzawild (2011-10-08 22:24)