芸術の庇護者。 [l'histoires d’hommes]
コジモ・デ・メディチは、父ジョヴァンニの後を引き継いで、実質上フィレンツェの最大の実力者となった人物です。
ロレンツォ・イル・マニフィコのおじいちゃんに当たります。
メディチ家は同じ名前の人がたくさんいるのでややこしいです>_<
他にもコジモ1世や2世もいますね。この人は区別して「エルダー」と呼ばれたりするようです。
ややこしいので、ロレンツォ豪華王をアンカーにして人物関係を述べています。
ジョヴァンニは人柄の良さをヨーロッパ中の権力者から信頼されて、メディチ家を金融王にした人でした。
でも、政治的にはまだ権力がなかったのです。
父の死後に党首の座に就いたコジモは、金融面でも権力面でもナンバーワンになりました。
それには、ライヴァルの家との死闘を潜り抜けてきたことが背景にありました。
当時、メディチ家と並んで実力者だったのがアルヴィッツィ家。
でもこの家は市民に嫌われていました。
悪いことをしてのし上がったからなのです。
一方の振興メディチ家は、ジョヴァンニが築いた信頼がありました。
市民はみんな、メディチ家の味方。
だからアルヴィッツィ家は、コジモを亡き者にしようと企てました。
自分たちに対する反逆罪という名目でコジモと逮捕監禁、死刑にしようとしたのです。
でもメディチ家が軍を調えているのを耳にして、勝ち目はないと悟り、コジモを開放し、フィレンツェから
追放するだけにしました。
パパ・ジョヴァンニの信頼と人脈のおかげで、他の共和国や教皇がコジモの味方をして、和解調停に
話がまとまります。
周囲からはアルヴィッツィに対する反感が最高潮に達し、ついにはアルヴィッツィのほうがフィレンツェから
追放されることになったのです。
名実ともにフィレンツェの実力者となったコジモは、莫大な財産を芸術に費やします。
プラトン・アカデミーと呼ばれる文化人や芸術家たちのためのアカデミーを設立し、
外国から学者たちを招き入れました。
フィリッポ・リッピのおもしろエピソードは、過去記事で本日のラストに再UPしてありますので、
おひまならばご覧ください♬
妻のエレオノーラ。11人の子供がいました。
コジモの跡を継いだ息子のピエロは、治世わずか5年で病死してしまいますが、コジモの栄光は孫の
ロレンツォに引き継がれることになります。
芸術が発展し、保護・保存されたのは、彼のお蔭ですね。
by たいちさん (2012-08-26 09:57)
塩野七生にはまっています。
「花の都」フィレンツェと「海の都」ヴェネツィアの対比は興味深いです。
なかでも、最後まで君主制を嫌ったヴェネツィアでは、個々の芸術家がその才覚で売り出したことに対して、君主制を取り入れたフィレンツェが芸術の庇護者を得て隆盛を迎えたところの差は大きいと思います。
by 井関 太郎 (2012-08-26 10:22)
この方のこと初めて知りました!
nikiさんの記事を読むとすごく知的な自分に変身したような気になります(笑)
いつもありがとうございます^^
by 水無月 (2012-08-26 10:52)
全てがそうではありませんが、偉大な芸術家の裏には、やはりスポンサーが居ますよね(^^)メディチ家は凄いスポンサーです!!
by さうざんバー (2012-08-26 14:09)
メディチ家というと芸術の庇護者という印象が強いです。
今のヨーロッパ芸術があるのもその貢献度が大きいのでしょうか。
by 青竹 (2012-08-26 14:52)