ウソか思いこみか?・・・思い込みなら、しかたないかも? [Unsolved Misteries]
1896年、ポーランドのある農家で、一人の女の子が生まれました。
フランツィスカ・シャンツコフスカ。
もしかするとこの女の子は、物静かで思慮深い、地味な性格だったかもしれません。
生まれた家柄も場所も時代も、彼女の満足するものでなかったことは、ちょっと想像することができます。
彼女は想像の中でだけ、お姫様になって、そこに幸せを見出していたのかもしれません。
第一次世界大戦がはじまったころ、彼女はベルリンの軍事工場で働き始めました。
愛する婚約者は出征しています。
ひたすら無事を祈り、働く日々。
でも1920年のある日、訃報が届きます。
婚約者が全線で戦死したのです。
若くて美しい女性にとって、戦争でそれらを無駄にして過ごさなければいけないことは、どのような
苦痛でしょう。しかも、愛する人までも戦争に奪われてしまったのです。
彼女には、ほかには何もなかったのです。
24歳の彼女が絶望したとしても、無理もないことだったでしょう。
工場で製造していた手榴弾。
誤爆だったと言う説もありますが、もしかしたら、わざとだったのかもしれません。
戦争を、自分の薄倖の運命を呪いながら、彼女はそれを落としたのかもしれません。
手榴弾は、爆発しました。
彼女は、工場から失踪した、ということになりました。
それから間もなく、ベルリンの橋の上から、川に飛び込もうとしている若い女性が、警察の巡査長によって
助けられました。
その女性は傷だらけでした。名前を聞いても、決して名乗りません。
身分がわからないことで、警察は彼女を精神病院に収容しました。
病院で彼女は、「フロイライン」(=おじょうさん)と呼ばれました。
彼女はどうやら記憶がないようで、自分のことについて何も話しません。
憂いをたたえた悲しげな美しい瞳。
どことなくはかなげで品のある横顔。
いつしか誰かが、彼女はもしや、アナスタシアではないか? と言い出し始めます。
アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。
1918年の夏に、父であるロシア皇帝ニコライ2世や母の皇后アレクサンドラ、3人の姉たちと1人の弟と
ともに、一家でレーニンによって処刑されたロシア皇女・・・・
処刑された時、皇女は17歳。そして精神病院のフロイラインは20歳そこそこに見えました。
おまけに、彼女は自分はアナスタシアかもしれないと信じはじめたのです。
彼女は皇女よりも5歳は年上ですが、童顔だったのかもしれないですね。
それからは、慣性の法則が働いたように、彼女の運命は勢いよく転がり始めました。
「処刑されたはずの皇女が生きていた!!!」
世間は騒がしくなりました。
そんなはずはないという人たちと、きっとそうなんだという人たちが、彼女の周りに集まりました。
手榴弾の爆風でできた体中の傷は、銃殺刑でできた傷だと、誰かが言い出しました。
アナスタシアに身体的特徴が似ていると、もと側近が証言しました。
・・・はじめから、世間をだますつもりは、あるいはなかったのかもしれませんが。
本当に、記憶がなくなったのか?
あるいは、今までの人生をすべてナシにしたいという強い願望が、思い込みを産んだのか?
周りに皇女だと言われ、いや、皇女ではないと言われ、そのことで強い自己暗示にかかったのか?
彼女を皇女に仕立て上げ、おこぼれにあずかろうとする人々に、利用されたのだろうか?
あるいは、純粋に皇女が生きていてほしいと望んでいた人々の願望に応えたのだろうか?
いろいろな憶測が生まれますが、本人ではないために真実はわかりません。
とにかく彼女は、ロマノフ王朝最後の皇帝の生き残った末娘として、ロマノフの莫大な遺産を受け取ることを
主張して、訴訟を起こしました。
彼女は、望み通り、まったく違う人生は、手に入れることができたようです。
不幸なお姫様として、人々から注目される人生。
アナスタシアは病弱だったそうです。
今みたいにDNA鑑定があればことは簡単に済んだでしょう。
コンピュータに骨格をスキャンして比べれば、本人か赤の他人かもすぐに判明したでしょう。
でもこの時代はまだそんな科学捜査は不可能だったのです。
結局、だれも彼女が本物なのか偽物なのかを確証することができなかったため、この訴訟は長い期間の
あとに却下されました。
ポーランドの農家の娘、フランツィスカ・シャンツコフスカは、1920年に行方不明になったまま、生死さえも
わかりませんでしたが、のちに彼女の兄弟がこの記憶喪失の「ロシア皇女」をみて、自分たちのきょうだい
であると認めました。でも、「彼女の新しい仕事をじゃましいてはいけない」と言ったとか言わなかったとかで、
それ以上「ロシア皇女」がフランツィスカだと言うことをやめたそうです。
(あるいは、支持者たちに口封じのお金でももらったのかもしれませんが・・・)
彼女は、アナと名乗り始めます。
チャイコフスキーという姓を名乗りますが、支援者の力添えでアメリカにわたってからは、アンダーソンと
名乗り始めました。
そしてグリーンカード取得のために、アメリカ人支援者のマイク・マナハンと結婚しました。
・・・彼女がもしも、純粋に「ポーランドの農夫の娘で、薄倖の女性」である自分の人生を捨てて、
夢のようなお姫様としての人生を望んだだけだったとしても、周りは明らかにおこぼれにあずかろうとした
人だらけだったことでしょう。
アナが結婚した男性は、自分はのちにロシア皇帝になるのだと周囲にうそぶきました。
もしも彼女が初めから悪意に満ちた詐欺師であれば、おそろしく才能のある詐欺師だったことでしょう。
1920年に騒がれ始めてから1984年に肺炎で亡くなるまで、彼女は何の仕事もしなかったのですから。
死ぬまで、支援者の援助で暮らしたそうです。
アナスタシア皇女の実の祖母にあたるフョードロヴナ皇太后は、殺された孫娘を名乗るアナに、決して
会おうとはしませんでした。本物かどうか確かめてほしいという人々の話など、聞き入れなかったのです。
・・・ディズニーのアニメと現実は、悲しいくらい違っていますね。
アナスタシアのおばあちゃん。
皇太后にとってアナが本物であるか偽物であるかなど、どうでもいいことでした。
彼女の息子や嫁や孫たちは、時代に殺されたという事実だけで、十分だったからでしょう。
ロマノフの血筋の親類たちが、彼女を偽物としていろいろな証拠集めをしましたが、結局、真相にたどり
着くことは、いつももう一歩のところでできませんでした。
晩年、アナは田舎でひっそりと猫たちと暮らしました。
周囲には変人扱いされながら。
でも、うそつきとか詐欺師とか言われるよりは、ネコ屋敷の変なおばあちゃんだと思われるほうがよかった
かもしれません。
はたして、稀代の詐欺師だったのか、自己を捨てたいがための強烈な自己暗示の中にみずから
とらわれて、引っ込みがつかなくなってしまった哀れな女性なのか・・・・
真相はわかりません。
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近年、アナスタシアの姉と弟の骨が発見されて、ヨーロッパのあちこちのロマノフの血筋とDNA鑑定したところ
一致しました。
一方、アナの小腸の一部とも照合されて、やはり一致しないことが判明しました。
それでも根強い支持者たちは、その小腸がほんとうにアナのものではないと言ったり、誰かの陰謀だと
言ったりするようです。
いづれにせよ、「処刑された美少女が、実は生き残っていた」ということに、ひとはロマンを感じるのでしょう。
信じたい人は信じればいいし、信じない人は信じない、思いこみたい人は思い込み、ナンセンスだと言えば
それはそれで・・・。
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映画ラストエンペラーを思い出しました。愛新覚羅 溥儀と似たような人世だったのでしょうか。
by 風太郎 (2012-02-11 04:42)
ディズニーの「アナスタシア」に流れる曲、うーん、何て曲だったか思い出せないけど、あれ、好きなんだけどなぁ。
【YAMATO高校♪合唱部】
by Hirosuke (2012-02-11 07:16)
「追想」という映画に出てくる
アナスタシアのテーマという曲が好きでした。
アナスタシアの本物、偽物のエピソード、
面白く拝読しました。
by cafelamama (2012-02-11 07:56)
なんだか、2度殺されたような気がしますね。
by Safari (2012-02-11 08:37)
源義経がジンギスカンになっちゃうよりは真実味がありそう??
by ぶんじん (2012-02-11 08:56)
読みながら、第二次大戦までのポーランドに生まれなくてよかった、
なんて全く別のことを考えていました。
by 斗夢 (2012-02-11 09:48)
意図の有無は別にして、他者の人生を生きるというのは非常に興味深い主題です。
by アヨアン・イゴカー (2012-02-11 10:19)
バーグマンの追想の背景が、よく理解できましたね。
by たいちさん (2012-02-11 18:13)
またまた興味深く、じっくり読ませていただきました。
by vega (2012-02-11 20:02)
成程真実は 小説 より 奇 なりですね。
by 馬爺 (2012-02-11 21:45)
いつも楽しく拝見してます。 本当に私の知らないことばかりです。 ありがとうございます。
by ja1nuh (2012-02-11 23:10)