アントワネットの肖像画家 [l'histoires de femmes]
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)は、フランスの画家の娘として生まれました。
でもちょっとした家の事情(母親の事情)で、幼いころに親戚の家に預けられ、5歳までそこですごし、
6歳からは修道院に入れられました。
修道院の壁によく絵を描いては怒られていたと言われます。
父は早くから幼い娘の芸術的な才能を見出して、絵を教えました。
彼女が12歳の時に、その父が不幸にも事故死してしまいます。それからは父の画家仲間が
彼女に絵を教えたそうです。
ポリニャック夫人の肖像画
15歳になるころにはすでに肖像画に才能を発揮していました。
彼女が10代のころに描いた有名な肖像画は、弟のエティエンヌです。
当時、女性の芸術家は認められることがとても難しかったのですが、彼女の才能と、亡き父の仲間の
助力もあって、彼女はアカデミーの会員になりました。
父亡きあと、母は裕福な宝石商と再婚します。
そして彼女にも、お金持ちの美術商と結婚することを強く勧めたのです。
彼女は20歳でジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚します。
彼はお金持ちだったけれど、すごい女たらし。浮気者だったようです。
娘との自画像
結婚の5年後には、娘のジュリが生まれます。
なんと、陣痛が来ている最中も筆を離さなかったと言われます。
娘がでてくるその直前まで、筆を握りキャンバスへ向かい続けていたそうですよ。
そしてその1年後に夫婦でフランドルを旅行した際に、ルーベンスらフランドル派の絵にインスピレーション
を受け、光を取り入れた繊細でつややかな画法を生み出しました。
ニノン・ランクロの絵もルブラン作。
ニノン姐さんの素敵な格言はこちら→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-09-30-3
夫の大叔父が王室関係の仕事をしていたため、彼女はルイ16世妃のマリー=アントワネットの肖像画を
描く幸運を手にします。
アントワネットと子供たち
ちょうど彼女自身が娘を持っていたことは、母となった王妃に共感を抱かせるには十分だったことでしょう。
王妃としても、繊細な画風の女性画家を大変気に入って、自分付きの肖像画家に任命したのです。
そうして彼女は王妃やその子供たちとの肖像画を、30点以上も描いたようです。
フランス革命が起き、王妃のお抱え画家だった彼女の立場は難しくなり、国外を転々としていました。
オーストリア、ロシア、イタリア・・・・
どこでもその才能は尊重されたようです。エカテリーナまでもが惚れ込んでいます。
その頃はすでに夫とは離婚していたので、娘と2人で国外を移動していたのですが、娘はロシアの
貴族と結婚したようです。
もと夫や、弟たちの助力によって、反革命亡命リストから名前が外され、革命から2年後に帰国します。
1842年に亡くなるまでに、600以上の肖像画を残したと言われています。
自画像も結構残していて、娘と自分を描いたものも数点見られます。
画家としては才能があったものの、家庭運は恵まれなかったようです。
自画像
でも18世紀を代表する女流画家であることは、間違いのない事実です。
才能には 男も女もない。 要はその才能を受け入れるだけの 社会的土壌があるかないかだ! 解説でそのように感じました。
by 般若坊 (2012-01-26 14:25)
こんにちは、”娘と自画像”は親子愛を
感じますよ~。
by ryuyokaonhachioj (2012-01-26 15:06)
ベルサイユ宮殿で観た、美しいアントワネットの肖像を思い出しました・・・・
by rabbit (2012-01-26 15:44)
彼女自身 美人ですね〜
才能と美貌に恵まれたんですね〜!
by ribbon (2012-01-26 18:03)
きれいな絵だ~
ホンモノを観てみたいです
by chima (2012-01-26 23:03)
才能も美しさも兼ね備えたアントワネットが羨ましいです。
そういう兼ね備えられたものを発揮できる環境に彼女があったことも、また彼女が恵まれていたと言えますね。
by ナベちはる (2012-01-26 23:43)
好きな画家の一人です♪
美人ですよね~。
ロココ絵画のきらめきが大好きです。
by お針子姫 (2012-01-28 19:41)
環境・・・。(ヽ´ω`)何かわかる気がしますー。全てが満たされていると絵って中々描けないです。(⊃д⊂)
by 大林 森 (2012-07-14 16:50)