きみだけがすべて。 [l'histoires de femmes]
ベッシー・ウォリスは1896年にアメリカのペンシルヴァニアで生まれました。
父親は正式に認知してくれないままに早逝してしまい、彼女は貧困の中で育ちました。
このちょっと不幸で平凡な女の子が、大人になって世界中を騒がせるようになるとは、一体誰が
想像できたでしょうか?
20歳で海軍飛行中尉ウィンフィールドと結婚します。しかし結婚直後に第一次世界大戦は始まり、夫とは
別居状態に。妻はアメリカ、夫は上海。彼女は上海に向かいますが、結局、二人の愛情は燃え上がることない
ままに冷め切っていました。
1927年に離婚して、翌年にはお金持ちの男性、アーネスト・シンプソンと再婚しました。
そしてロンドンに渡りました。
もうおわかりですか? 彼女はシンプソン夫人、という名で世界中に知られた女性です。
1894年に英国の王族として生まれたエドワードは、「プリンス・チャーミング」とよばれるイケメンで
魅力的な皇太子でした。
彼は周りにいくら身を固めるように言われても、蝶々のようにあっちの花、こっちの花を飛び回る独身貴族。
女性の扱いは手慣れたもので、ガールフレンドは星の数。
毎日華やかなパーティを開いては、気ままに生活していました。
ウォリスは皇太子の愛人の取り巻きの一人だったのです。
既婚者だし、格別目立つ美女でもなかったので、皇太子の愛人も彼女を安全圏に入れていたのです。
でも、予測はおおはずれ!!!
皇太子はウォリスに恋してしまったのです。
もちろん、まだ彼女は人妻ですから、王室は大、大、大反対!!
でも1936年、ジョージ5世が亡くなって王位が空くと、皇太子がエドワード8世となることが決まりました。
ウォリスはこのころ二度目の離婚をします。
王位か、彼女か、どちらかを選べと、彼は選択を迫られます。
「あたしと仕事とどっちが大事なのっ!?」と彼氏に詰め寄る巷の女性たちのレベルではありませんw
国から答えを迫られたのです。
だから彼は決断を下しました。ウォリスを選ぶ、と。
1936年12月11日、BBCで発表されたことは、世界中でトップニュースとなりました。
王位は彼の弟がジョージ6世として継ぎました。
一説には、エドワードはドイツ(ナチス)寄りの思想の持ち主だったために、すんなり退位を認められたとも
言われます。
1937年に彼らは英国を離れ海峡を渡り、パリで結婚し、ウィンザー侯爵夫妻と呼ばれました。
そして1972年にエドワードが亡くなるまで、二人はひっそりと仲睦まじく暮らしたそうです。
ウォリスは悪女みたいに言われます。
でも、こればかりはどうしようもないことです。
外的圧力に負けない、運命的な出会い。
これがこの恋が「世紀の恋」と呼ばれるゆえんなのでしょうね。
有名なお話だけど、詳しい顛末は知らなかったので勉強になりました。
このお二人は、お顔がよく似ていますね。やはり、運命の出会いだったのでしょうね。
by お水番 (2011-10-30 08:35)
ウィンザー公の、精神的な脆さを、チャールズ皇太子は引き継いでしまったのかも。
チャールズが王冠を捨てて、ウィリアムが王になったら、
英国民は拍手喝采する...だろうか。
by ナツパパ (2011-10-30 17:44)
運命とはどなたが決められるのでしょうか?
生まれた時から決まっているように思うんですがね・・・・
by kiko1578 (2011-10-30 19:12)
はじめまして。
ちょっと場違いな気がしますが
失礼します。
面白がってコメント書いています。
こんな話ぜんぜん知りませんでした。
住んでる世界が違うんですもんね。
―そういうことに疎いのですぅ。
また寄らせていただきます。
by さきしなのてるりん (2011-10-31 21:37)