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黒の王妃 [l'histoires de femmes]

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かつてフィレンツエに多くの芸術家を集めて、ルネサンスの黄金期を築いたイル・マニフィコ(偉大なる)
ロレンツォ・デ・メディチ。

人柄がよく堅実な父の築いた人脈と信用で、フィレンツェの頂点に上り詰めた男。
彼のひ孫にあたる一人の女の子が、不吉な運命を背負って生まれたのは、月食の日でした。

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「この娘は、必ずや不幸をもたらすであろう・・・・」

このうわさが現実になったわけではないでしょうが、彼女を生んで間もなく、母は亡くなります。
父も、そのあとを追うようにあっけなく亡くなってしまいました。

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亡き父はウルビーノ公ロレンツォ2世。イル・マニフィコ・ロレンツォの孫にあたる人物。
母はオーヴェルニュ伯の娘マドレーヌ。

そして生まれて間もなく両親を失ってしまった不幸な小さな娘は、カテリナ。

カテリナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ。
フランス王に嫁いでフランス風にカトリーヌと呼ばれるようになる、あのフランス史上に残る
大虐殺を起こす人物です。

「月食の日に生まれた、不吉な娘」

そう言われる幼い彼女は、修道院に入れられました。

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ローマ法王庁に太いパイプを持ち、やがて家からも教皇を輩出するまでになったメディチ家。
当時の教皇はクレメンス7世。イル・マニフィコの甥にあたる人物でした。

少女になったカテリナはまたイトコのイッポリトと恋仲になりますが、教皇は野心家のイッポリトを
嫌っていたそうです。

そして、財力を得たいと願っているフランス王家と、彼らと親戚になり権力を得たいと願う教皇との
利害の一致により、彼女はフランス王家の第二王子と結婚させられることになるのです。

不幸なみなしごの彼女は、14歳でフランスへ嫁ぐことになったのです。
オルレアン公アンリは彼女と同じ14歳。

フランソワ1世は、幼い二人の初夜を、自ら見届けたと言います。
お父さんが初夜を見届けるなんて・・・・イヤですよねぇ(*´д`)

Diane de Poitiers2.jpgディアヌ・ド・ポワティエ

このお父さん、心配性だったのでしょうか?
幼い息子のために無事、世継ぎができるように経験豊富な愛妾を与えるのです。
18歳年上の、ディアヌ・ド・ポワティエです。

アンリはもっと幼いころからディアヌにあこがれを抱いていたので、彼はディアヌに夢中になります。
これがカテリナ・・・・カトリーヌにとっての人生最大の屈辱であり不幸でした。
彼はディアヌにたしなめられてカトリーヌとの間に10人の子供を作りました、が、カトリーヌのことは
少しも愛していなかったのです。→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-08-10-2

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だから彼女は「お嫁入り道具」だった錬金術師や預言者、魔術師たちとの遊びに夢中になります。
神秘学にのめりこんで、愛されない不幸を紛らわしていたのです。

彼女が40歳の時、夫のアンリが馬上の槍試合で目を突かれて亡くなってしまいました。
奇妙な死に方です。
これによって15歳の長男フランソワ2世が王になり、彼女は摂政となりました。

mary.FrancoisII1.jpgフランソワ2世

ここからは彼女の権力欲に火が付きます。

間違って毒殺してしまった、という説もありますが、長男が突然亡くなります。
そして10歳の次男が次の王位につきました。シャルル9世です。

ma.charles9.jpgシャルル9世

その頃、フランスでは新教と旧教の対立が激しくなっていました。
フランソワ2世の王妃スコットランドのメアリ・スチュアートの旧教徒のおじが、宮廷で発言権を強め、
新教を弾圧していました。これはシャルル9世が王位を継いだことでなくなりましたが、コリニー提督
という人が、新教徒のナヴァル王アンリと、カトリーヌの娘マルグリットを結婚させ、旧教国スペインと
戦争を起こさせようと画策していました。→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-04-27-2

margo8.gifマルゴ

そのため、カトリーヌは娘の婚礼の祝いの日にパリに集まった新教徒を皆殺しにしたのです。
これが世に言う聖バルテルミー(バーソロミュー)の大虐殺です。

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コリニーはとらえられ、カトリーヌの命令によって手足とあたまをバラバラにされ民衆にさらされた
あとセーヌ川に投げ捨てられたそうです。

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フランスの食文化に洗練された習慣をもたらしたことは評価させるものの、夫の死から黒衣に身を包み、
長年自分を苦しめてきた夫の愛妾を何もかも取り上げたうえで田舎に追いやり、邪魔者は容赦なく
毒殺、暗殺を繰り返してきたカトリーヌ。

月食の日に生まれた娘は70歳で病死し、王子たちもみな死に絶えて、ヴァロワの血統は絶えたの
でした。
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Hirosuke

(*´д`)

by Hirosuke (2012-08-23 06:38) 

旅爺さん

我家に月食の日に生まれた者はいね~かな?
by 旅爺さん (2012-08-23 08:54) 

macinu

この時代背景とってもすきです~
by macinu (2012-08-23 12:13) 

ayu15

名画の背景に隠れた悲劇・・。悲しいです。
でも残された絵画はすごいと思えます。
by ayu15 (2012-08-23 16:03) 

sadafusa

こうやってみると、フランソワもシャルルもマルゴも
母親に似てますね。

この間、サンタ・マリア・ノッベラのファーマシーの香水みてたら
「王妃の香水」っていう名前の香水ありまして、
お店の人に「この王妃って誰のこと?」って聞いたら、
「もちろん、カトリーヌ・ド・メディシスです。フィレンツェの人は
彼女のことをとても誇りに思ってるんですよ」との答え。
へぇ~とか思いました。買おうかなとか思ったんだけど、
香りのわりにはメチャ高いのでやめました・・・・。
by sadafusa (2012-08-23 20:02) 

水無月

食は遥か昔は不吉なものと考えられていた、とは聞いていましたが…
すさまじい人生ですね!
by 水無月 (2012-08-23 20:21) 

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