上宮厩戸豊聡耳皇子 [l'histoires d’hommes]
安田靫彦の『夢殿』は、ひとめぼれした絵です。
安田靫彦の絵を始めてみたのは、中学生の時、国語便覧の『飛鳥の春の額田王』でした。
静謐ですっきりとしていて、気品にあふれていて美しい。彼の作品のほとんどがそうですね。
歴史画といえば、私は彼の絵が一番好きになりました。
この絵は聖徳太子が、法隆寺の夢殿で瞑想している姿を描いたものだそうです。
瞑想していると、仏教の聖僧が現れて、太子を諭すという・・・・・。
ぴんと伸ばした背筋が、なんとすがすがしいことでしょう。
本当の名は「上宮厩戸豊聡耳皇子」(かみつみやのうまやどのとよとみみのみこ)。
ちょうど聖徳太子の時代に仏教が半島から伝わったと学校では習いましたが、もうすでに彼のおじいちゃんの
時代には伝わってきていました。
用明天皇の皇子で、名前からすると賢い皇子だったようですね。
当時は蘇我氏と物部氏の権力争いの真っただ中。
蘇我氏はまるでギャングですねぇ。政敵であれば天皇さえも暗殺しちゃう(屮゜Д゜)屮 アワワ;;;;
そんな蘇我氏と遠縁で娘婿でもある皇子は、がっつり蘇我氏側。
日本初の女帝であった推古天皇も蘇我馬子の姪ですから、蘇我氏の全盛期ですね。
冠位十二階、憲法十七条、法隆寺建立、六角堂建立。
いろいろなエピソードがありますが、天皇でなかった分、政治的手腕を恵まれた環境で発揮できたのかも
知れないですね。
49歳の若さでなくなってしまいますが、皇子が亡くなった時、民衆は深く悲しんだと言われます。
天皇にならずともそれだけ徳が高かったから、聖徳太子と呼ばれたのかもしれないですね。
この呼び名が時代考証と合わないとか、太子自体が存在しなかったのではという説もありますが、
古代なだけに神秘に包まれて、かえって良いかもしれないです。
この絵は、国立博物館蔵です。
初めて知りました。なんか下を噛みそうな名前ですね。
聖徳太子の名が一番親しみを感じますね・・・(^。^)
by SIBA-dog (2012-03-20 01:08)
ハンサムな絵ですよね~
実在していない可能性が騒がれた時はなんだかがっかりしました。
いないとしても、いろんなエピソード自体を大事にしていれば
いいじゃないかと・・・なんだか憤った記憶が^^;
深い瞑想、してみたいなぁ。
by nana_hyr (2012-03-20 01:08)
こんにちは。
聖徳太子は歴史上、超有名ですが、最近は架空の人物だったという説も出て来てますね、私が読んだ怪しげな本では蘇我入鹿だったとかお隣の国の王子で用明天皇の養子に来たとか(ちなみにこの本ですと天智天皇、天武天皇も帰化人)色々書かれていて、読んでいてヒックリ返りそうになりました。(;^_^A
by 月乃 (2012-03-20 04:28)
何でもありの世界なんですね。
by 楽しく生きよう (2012-03-20 05:51)
最近は、蘇我氏は大化の改新(乙巳の変)から権力の中枢に座った中臣(のち藤原)家にはめられた・・・という説も有力ですよね~。歴史の不思議で面白いところですね。
by shinobirika (2012-03-20 09:07)
実は「イエス・キリスト」だった…なんて説もあるんですよね。
厩(うまや)で生まれたエピソードが名についているからだそうですが、
ちょっと安易な感じがします。
by Hirosuke (2012-03-20 10:51)
山岸涼子の「日出処の天子」を読むと、
聖徳太子像は激変してしまいます。
マンガだからこそ描ける
歴史の闇の部分ですね。
by A・ラファエル (2012-03-20 11:10)
この絵、本当に綺麗ですよね。
いま国立博物館は桜にちなんだ展示やコンサートなどあるようです。
桜もたくさんあるので、近いうち行ってみようと思ってます♪。
by あきら (2012-03-20 11:28)
私の中に勝手に作り上げた偶像の聖徳太子がいて
学生時代から好きなんです。(笑)
by がり (2012-03-20 14:26)
古代の事は、ロマンにあふれてますね。
どんなふうだったのかな??
その当時、仏教というのは、
最先端の学問。。。というか、教えだったの
かな??なんて、ふと、思いました。
by qooo (2012-03-20 14:40)