無常~MUJO~ [なんちゃって博物誌]
ローマのスペイン広場ほど近く、気を付けないと見落としてしまいそうな地味な外観のお寺があります。
1626年に建てられたカプチン会の教会、サンタ・マリア・イマッコラータ・コンチェツィオーネです。
ここには約4000体のカプチン会の修道僧たちの骸骨が・・・・装飾されています。
「なんでそんな気味が悪いところに行くのよ~~ぉ。そんなとこよりもバッグ見に行こうよ~~」とぶーぶーと文句を言う友人たちを引き連れて(だって、別行動でいいよといったら、不安だから絶対にいやだっていうのですもの)、地図を片手に訪れました。
ここはフランチェスコ会から分裂したカプチン会の教会ですが、簡単に言えば、清貧をベストと考える宗派
でしょう。托鉢をしますが、衣服と食べ物以外は一切受け取らないという、徹底ぶりだそうです。
”What you are now we used to be: what we are now you will be”
→、我々はかつてあなたたちのようだった。あなたたちはいずれ、我々のようになるのだ。
と書かれたプレートがあります。
キリスト教の考えでは、火葬はしないのだそうです。
魂が肉体を抜けて「最後の審判」と下されて天国へ行けることが決まったときに、再び肉体が必要になる・・・
という理由でミイラにしたそうです。
だからカプチン僧たちには、ミイラづくりに詳しい者たちが多くいたそうです。
このように、天井や壁一面に、人骨が装飾されています。
死神を模した全身像が持つカマも、すべて人骨です。
法王の許可を得てからこのような装飾を始めたらしいのですが、これはすでに最後の審判を受けて天国へ
行った使者たちの、もはや不要なモノだからこうして再利用されているのでしょうか?
それとも、生きている私たちになにかそれぞれに感じ取ってほしいという意図なのでしょうか?
けしからん、冒涜だ、と日本では言われるかもしれないですね。
平安時代の人々の思想では、死んだらそれで終わり、死者は鳥辺野や化野(あだしの)に捨て置いてしまう
ことが多かったため、歴史に名を残す人々のお墓がよくわかっていないことが多いですね。
それとは思想が違っているのでしょうが、「あなたがたもいずれこうなる」というメッセージは、現代の私たちに
とっては(私たちは僧ではなく凡人なので)生を楽しんでいきなさい、ということだと思います。
貴族の世の中が終わり、武士が台頭し、栄枯盛衰を繰り返す日本の中世に貫かれるのは、無常感です。
無常とは、世の中は常に移り変わる、永遠に同じものなどないという考え方です。
私たちはこうして生きているけれど、遅かれ早かれいつかは必ず、死を迎えます。
こんなにたくさんの骸骨、不気味といえば不気味ですが、
「ほら、よくご覧なさい。私たちの姿をご覧なさい。あなたもこうなるんですよ。それまで悔いのないように生きなさいね」
と語りかけてくるようです。
まったく、怖くはなかったです。
それどころか、一種ユーモアさえも感じます。
小学2年生のころ、朝、学校の踊り場で上級生の書いた詩が貼りだしてあるのを読みました。
タイトルは「死」。
「死ぬのは怖い。とても怖い」と書いてあったのを読んで、はっと立ちすくみました。
つまり、自分もいつかは死ぬんだな、と気が付いたのです。
7歳の私は、その日の夜は怖くて眠れなくなりました。
眠ってそのまま死んでしまったら怖い!と思ったからです。
人間はたった一度だけ生まれて、たった一度だけ死ぬんですね。
四柱推命では、生まれた月日や時間で運命が決まるとか、名前でも運命が決まるとか言いますが、
すくなくとも本人の考え方や生き方も、自分の運命に作用すると思います。
だって、職業や生活習慣によっても顔つきが変わるというでしょう?
オカルトとか神秘主義とは違って、カプチン会の修道僧たちの抜け殻を見て、そんなことを考えました。
カプチン会といえば必ず出てくるのが、パレルモの修道会に安置されているロザリア・ロンバルドのミイラです。
彼女はたった2歳で肺炎で亡くなってしまいました。
でも90年以上たった今でも、まるで眠っているかのように安置されています。
世界一美しいミイラとして有名です。
「死を想え」は、ヨーロッパ中世の思想です。
(ヨーロッパの中世は日本の中世と少し時代が違いますが)
戦争や黒死病などで、人々はいつ死ぬのかわからなかったのです。
だからこそ、そのような考え方が生まれたのでしょう。
悔いのない人生なんてなくて、むしろ悔いだらけで終わる気がしてならないですが、それでもいつか来る
「その瞬間」までは、できる限り生きたいなと、かつてカプチン僧だった骨たちを見て、そう思いました。
ちなみに、コーヒーの「カプチーノ」は、カプチン僧の頭巾から命名されたそうですよ( ´艸`)
*この記事は去年書いたものですが、思うことがあってちょっと加筆してみました。
1626年に建てられたカプチン会の教会、サンタ・マリア・イマッコラータ・コンチェツィオーネです。
ここには約4000体のカプチン会の修道僧たちの骸骨が・・・・装飾されています。
「なんでそんな気味が悪いところに行くのよ~~ぉ。そんなとこよりもバッグ見に行こうよ~~」とぶーぶーと文句を言う友人たちを引き連れて(だって、別行動でいいよといったら、不安だから絶対にいやだっていうのですもの)、地図を片手に訪れました。
ここはフランチェスコ会から分裂したカプチン会の教会ですが、簡単に言えば、清貧をベストと考える宗派
でしょう。托鉢をしますが、衣服と食べ物以外は一切受け取らないという、徹底ぶりだそうです。
”What you are now we used to be: what we are now you will be”
→、我々はかつてあなたたちのようだった。あなたたちはいずれ、我々のようになるのだ。
と書かれたプレートがあります。
キリスト教の考えでは、火葬はしないのだそうです。
魂が肉体を抜けて「最後の審判」と下されて天国へ行けることが決まったときに、再び肉体が必要になる・・・
という理由でミイラにしたそうです。
だからカプチン僧たちには、ミイラづくりに詳しい者たちが多くいたそうです。
このように、天井や壁一面に、人骨が装飾されています。
死神を模した全身像が持つカマも、すべて人骨です。
法王の許可を得てからこのような装飾を始めたらしいのですが、これはすでに最後の審判を受けて天国へ
行った使者たちの、もはや不要なモノだからこうして再利用されているのでしょうか?
それとも、生きている私たちになにかそれぞれに感じ取ってほしいという意図なのでしょうか?
けしからん、冒涜だ、と日本では言われるかもしれないですね。
平安時代の人々の思想では、死んだらそれで終わり、死者は鳥辺野や化野(あだしの)に捨て置いてしまう
ことが多かったため、歴史に名を残す人々のお墓がよくわかっていないことが多いですね。
それとは思想が違っているのでしょうが、「あなたがたもいずれこうなる」というメッセージは、現代の私たちに
とっては(私たちは僧ではなく凡人なので)生を楽しんでいきなさい、ということだと思います。
貴族の世の中が終わり、武士が台頭し、栄枯盛衰を繰り返す日本の中世に貫かれるのは、無常感です。
無常とは、世の中は常に移り変わる、永遠に同じものなどないという考え方です。
私たちはこうして生きているけれど、遅かれ早かれいつかは必ず、死を迎えます。
こんなにたくさんの骸骨、不気味といえば不気味ですが、
「ほら、よくご覧なさい。私たちの姿をご覧なさい。あなたもこうなるんですよ。それまで悔いのないように生きなさいね」
と語りかけてくるようです。
まったく、怖くはなかったです。
それどころか、一種ユーモアさえも感じます。
小学2年生のころ、朝、学校の踊り場で上級生の書いた詩が貼りだしてあるのを読みました。
タイトルは「死」。
「死ぬのは怖い。とても怖い」と書いてあったのを読んで、はっと立ちすくみました。
つまり、自分もいつかは死ぬんだな、と気が付いたのです。
7歳の私は、その日の夜は怖くて眠れなくなりました。
眠ってそのまま死んでしまったら怖い!と思ったからです。
人間はたった一度だけ生まれて、たった一度だけ死ぬんですね。
四柱推命では、生まれた月日や時間で運命が決まるとか、名前でも運命が決まるとか言いますが、
すくなくとも本人の考え方や生き方も、自分の運命に作用すると思います。
だって、職業や生活習慣によっても顔つきが変わるというでしょう?
オカルトとか神秘主義とは違って、カプチン会の修道僧たちの抜け殻を見て、そんなことを考えました。
カプチン会といえば必ず出てくるのが、パレルモの修道会に安置されているロザリア・ロンバルドのミイラです。
彼女はたった2歳で肺炎で亡くなってしまいました。
でも90年以上たった今でも、まるで眠っているかのように安置されています。
世界一美しいミイラとして有名です。
「死を想え」は、ヨーロッパ中世の思想です。
(ヨーロッパの中世は日本の中世と少し時代が違いますが)
戦争や黒死病などで、人々はいつ死ぬのかわからなかったのです。
だからこそ、そのような考え方が生まれたのでしょう。
悔いのない人生なんてなくて、むしろ悔いだらけで終わる気がしてならないですが、それでもいつか来る
「その瞬間」までは、できる限り生きたいなと、かつてカプチン僧だった骨たちを見て、そう思いました。
ちなみに、コーヒーの「カプチーノ」は、カプチン僧の頭巾から命名されたそうですよ( ´艸`)
*この記事は去年書いたものですが、思うことがあってちょっと加筆してみました。
この子も以前テレビで見ましたが、
しばらく、頭から離れなかったです。
by 春分 (2011-05-11 22:09)
ミイラとも思えない、可愛らしい寝顔の子ですよね。
私も、何かの特番で見たとき、えっ!ミイラなの?っと
驚いたほど、綺麗なお顔で、ぐっすりと寝ているようでしたね。
世の中には、考えられない、想像できない出来事ってあるんだなぁーって思い、ちょっと悲しい気分にもなってしまいました。
by まぁちゃん (2012-03-18 00:26)
原子爆弾やミサイルにこだわっているお国のワンマンさんもミイラにこだわってます。
by 風太郎 (2012-03-18 04:57)
ここの前まで行ったのですが、臆病者の私は入らなかった。
骸骨の目のところの空洞・・・じーっと見つめられるようで怖いんです。
いつかは死ぬのだから、生を楽しむ・・・わかったようなわからないような。
by 斗夢 (2012-03-18 06:22)
わたしも小学生の頃、同級生の書いた「死ぬのは怖い」といった内容の作文で同じような感覚を覚えました。
確かに悔いもあるでしょうが、なんとか生き抜いて納得のいく人生としたいものです。
by はなぶく宇宙人 (2012-03-18 09:36)
外国の協会は尼僧が亡くなると骸骨を飾って保存する所がありますね。
ギリシャのメティオラ修道院でも沢山の尼僧の骸骨を見て来ました。
by 旅爺さん (2012-03-18 09:44)
知らなかったです。
ミイラですか。
ただ寝ているようにしか見えません。
by 楽しく生きよう (2012-03-18 10:14)
話には聞いていたけど、
初めて見ました。
ミイラは何度か見たことがあるのですが、
全然違いますね。
by etu (2012-03-18 13:42)
骸骨をこんな風に装飾用に使うなんて宗教の違いと云えばそれまでですが
何となく罰が当たるような気に成りますね、死者は御霊を祀ってこそ安らかに眠れると思いますが我が家は仏教ですからそう教えられました。
死んでまでさらし者にされたくないと思いますね。
by 馬爺 (2012-03-18 17:36)
無事に生まれました!元気な男の子です!(´▽`)
安産な方だと思います。ありがとうございました(^^♪
世界一美しいミイラ、これも親が子供を思う気持ちから
ミイラにして保存したんですよね。
今になるとその気持ちが分かる気がします。
by kumakichi (2012-03-18 18:34)
たしかに、とても綺麗です。
まるで眠っているかのようとは、まさにその通りですね…。
by ひだひだ (2012-03-18 18:42)
Memento mori。
シルバーアクセでスカルを身につけているおにいさんたちも
そんなことを考えているんでしょうか( ´艸`)
by ゆう (2012-03-18 19:16)
今日昼過ぎにテレビでやってました。90年以上も前なのに????
今にも目を覚ましそうなミイラでした。
by くにちゃん (2012-03-18 19:26)
こんばんは。
綺麗なミイラが存在するんですね。
今にも目を覚ましそうな気がします。
by JR浜松 (2012-03-18 20:13)
ほんとミイラには見えませんねぇ。
今にも目を開いて瞬きをしそうな・・・。
ほんと不思議です^^
by yoshinonoko (2012-03-18 20:43)
こんばんは~♪
お祝いコメント有難うございました(^^ゞ
これからも宜しくお願いしますぅ~。
カプチーノの由来!面白いですねっ(*^^)v
by DON (2012-03-18 21:01)
お祝いコメントありがとうございました!
ローマにそんなお寺があるんですね☆
nikiさんのblogは勉強になります^^
by まお (2012-03-18 21:41)
今、生きているのが、全てなんだと思います。菜の花が季節で茹でて食べました。菜の花は私の一部となり、そして、何処かに行くのだと思います。私が「菜の花、ありがとう。」と思えば、そうなるのだと思います。
死の話題で、食いついちゃいました。どうしてかな?
by moritake (2012-03-18 22:27)
「我々はかつてあなたたちのようだった。あなたたちはいずれ、我々のようになるのだ」
全くその通りです。
岡林信康が「ガイコツの歌」で、「どーせ、てめえらみんなくたばって、おいらみたいになっちまう」というフレーズがあり、私はひどく心をうたれたものですが、考えてみれば、魂の抜け殻となった肉体は単なる物質にすぎません。自然に帰してあげれば、それを糧としてまた新たな生命を養うことになるはずです。
チベットなどに残されていた鳥葬などはそんな輪廻の一環として行われていたのかもしれません。
しかし、夥しい骸骨の中におかれた時、どのようなことを自分は考えるのだろうかと、記事と写真を拝見しながら、考え込んでしまいました。
by 伊閣蝶 (2012-03-19 13:16)