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バイロンと女難と13日の金曜日 [l'histoires d’hommes]

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ジョージ・ゴードン・バイロンは、10歳の時に父がなくなり、バイロン卿となりました。

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足が不自由でしたが、それ以上にその美貌で有名でした。
ケンブリッジに入学してからは、放蕩の限りを尽くして悪名をはせます。
勉強に飽きた(初めから身が入っていませんw)ので、途中退学してヨーロッパ中を巡る旅に。

そこで発表した詩集で「一夜目覚めてすでに天才詩人」と本人が日記に記すように、
一躍時の人となります。
そして社交界でレディ・キャロライン・ラムという女性と会って恋に落ちますが、
お互いの虚栄心を満足させるような恋愛だったので、長続きしませんでした。
バイロンは社交界の花を落としたい、キャロラインは天才詩人をモノにしたい、程度だったのです。
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多くの浮名を流した美男の天才詩人とこの女性のことについて特筆するのは、
実は彼女のせいでバイロンがそうと公言するほど女性嫌いになったからです。

彼女はヒステリックになり、絶縁状を送りつけたバイロンを、ある舞踏会で刺し殺そうとします。
公衆の面前で!!⊂´⌒∠;゚Д゚)ゝつ <

取り押さえられて失敗すると、コップを割ってそれで自分を刺そうとしたのです。
「バイロン、バイロン、バイロン~~~!!!!」と泣き叫んだといいます;;;;

「恋愛がこのように終わるなら、二度とごめんだ」といって、
バイロンは女嫌いになったとか。

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そしてスイスやイタリアへ放浪の旅に出て、ギリシア戦争に従軍するためイタリアへ。
でも、それは13日の金曜日でした。

金曜は不吉なので出港することを避けるのが、当時の漁師や船乗りの習慣でした。
金曜に出向すれば、シケに遭うと言い伝えられていたのです。

やっとのことで船を出してくれる船乗りを見つけましたが、本当にシケになり、
海は大荒れに荒れました。

その上、トルコの戦艦に邪魔をされたり、さんざんだったようです。
やっとのことでギリシアのミソロンギにたどり着いたとき、バイロンはマラリアに倒れてしまいました。

そして彼は、「私はもう行かねばならない」と言い遺して、なくなりました。
ギリシアの古典主義に傾倒したために独立戦争に従軍したいと思ったようですが、
ギリシアのために戦えなくて、無念だったことでしょうね。


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(。・_・。)2k

そこからなの?13日の金曜日って?
by (。・_・。)2k (2011-06-17 01:04) 

niki

いいえ~。
キリストが十字架にはりつけにされたことから、キリスト教社会では
13日の金曜日を不吉な日と考えるようです。
建物にも13階がなくて、12階の次は14階になりますんです、ハイ。
by niki (2011-06-17 01:20) 

rtfk

辛い思い出によって恋が嫌になる・・・そのくらい真剣で命がけの恋は
今の世の中にはあるんでしょうかね~・・・。
by rtfk (2011-06-17 07:47) 

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