灰色オオカミと火の鳥と [いろんなブンガク]
ロシアの民話です。
ある国の王様が、リンゴ園に立派な黄金のリンゴの木を持っていました。
自慢のリンゴの木でしたが、この実がたびたびなくなることが続きました。
王様は馬番の青年イワンにみはらせました。
彼は犯人を突き止めました。
夜、燃え盛る火の鳥が黄金のリンゴを盗むところを目撃し、これを捕まえようとしましたが、
羽を一つとるのがやっとでした。
イワンはこの羽を王様に献上して真相を話しました。
すると王様はこの羽を見て火の鳥が欲しくなり、イワンに捕獲を命じました。
イワンは火の鳥の住処を求めて旅に出て、途中の道で灰色のオオカミに出会いました。
オオカミは火の鳥の捕獲法を教えてくれました。
オオカミの言うとおりにすると、火の鳥を捕まえることができました。
王様は大変に喜んで、火の鳥を黄金の籠に入れました。
王様は気をよくして、今度はイワンに別の任務を授けました。
海を越えた遠い国の絶世の美女と評判の姫君をめとりたいので、迎えに行ってくること。
イワンはまたもや旅に出ました。
旅のお供は灰色オオカミ。イワンはオオカミの背にまたがって旅に出たのです。
姫君を迎えに行ったイワンは、彼女と恋に落ちます。
オオカミは美女に変身し、自分が王の前に出て、王を虜にしました。
そしてオオカミが化けた美女が、王様と結婚することになるのです。
結婚式の日、祭壇の前で誓いの口づけをしようとしたその時に、オオカミは元の姿へ。
あまりの驚愕に王様は死んでしまいました!
そこでイワンが次の王になり、姫君と結婚してよい君主になりました。
ちなみに・・・
イワンは火の鳥を黄金の籠から逃がしてやり、黄金のリンゴをつまみ食いするのにも
目をつぶりました。
そのおかげか、イワンの国は末永く反映しましたとさ。
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イワンは王様の3人の息子のうちの末の王子ということもありまります。
王子の場合、上の二人の兄にはめられて命を落とし恋人も取られそうになります。
しかし、オオカミの機転によって命の水をかけてもらって生き返り、すべてを手に入れて
末永く幸せに暮らしましたとさ、となります。
ヨーロッパにおいて、3という数字はよく用いられますよね。
3人の女神、3人の子供。
3人の子供の場合は、末っ子が主人公となることが多いです。
あ、3匹のこぶたもそうですよね(笑)
オオカミは狡猾で邪悪、死のイメージが強い一方で、困難の克服という意味もあります。
The Snow Queen [いろんなブンガク]
いや、レリゴ~ではないですよ、オリジナルのほう(笑)。
アンデルセンの作品の中でも、レトリックに富んでいてミステリアスなお話の一つ。
カイという少年とゲルダという少女は仲良し。
でもある日、悪魔の鏡の破片がカイの心臓に突き刺さって、
カイは人が変わってしまうのです。
いい子だったのに、それまでの彼とは違った言動が目立ち始めます。
そしてある日、雪が激しくふぶいた日に、雪の女王が彼を気に入って連れ去ってしまうのです。
透き通る美貌の華奢で冷たい雪の女王。
カイはたちまち、女王にあらがうすべもなく魅了されてしまうのです。
でも女王に愛され続ければ、いつかは氷に化してしまう。
そういう少年がもう何人もいたのです。
カイが行方知れずになって悲しみに沈んでいても仕方がないと、ゲルダはカイを探す旅に出ます。
途中何度も危ない目に遭いいよいよ盗賊に殺されかける、といううときになって、彼女は盗賊の娘に気に入られて救われるのです。
盗賊の娘のハトから、カイの居場所をうわさに聞いたゲルダは、ようやく雪の女王の宮殿にたどり着き、カイと再会を果たします。
ゲルダの目から零れ落ちた熱い涙のしずくが、カイの心臓に染み入って悪魔の鏡の破片をとかしました。
カイは正気を取り戻し、目の前の幼馴染の少女を認めました。
喜んだ二人は手をつないで仲良く故郷へ帰っていきましたとさ。
お気づきになったでしょうか?
思春期に差し掛かった少年と少女のそれぞれの精神的成長の物語。
たぶん・・・ゲルダはカイよりもちょっと年下。
幼馴染の純粋なかわいい女の子よりも、ある日ふと、きれいなお姉さんに心奪われるカイ。
異性への興味に目覚め、翻弄されるがままにのめりこむ。
一方、女の子はそんな男の子の状況が理解できない。病気とさえ思ってしまう。
目を覚ましてよとばかりに色々な手を尽くすけれど、小さな少女はきれいなお姉さんの性的魅力には到底かなわない。
少年が狂っているあいだ、少女はあらゆる困難を経験し、時には貞操の危機に遭いながらもなんとか精神的な成長を遂げる。
盗賊の女の子に気に入られるというところは、ただ単に女の友情についてのことなのか、あるいは思春期の少女特有の疑似恋愛的な感情なのかは・・・どうなのでしょうね。
少女が女としての自信を身に着け始めたころ、少年もやっと落ち着いて正気に戻り始める。
あんなにミステリアスで魅惑的な年上のお姉さんが、普通に見えてくる。
そしてちょっと頼もしく、女性的な魅力も身に着けたあやうげにチャーミングな少女を見てかわいいな、と感じるのです。
ということで。
これは少年と少女の成長の物語・・・・じゃないですか?
(と、勝手に解釈しました)
十二夜 [いろんなブンガク]
十二夜とは本来、キリストの誕生から12日目、1月6日を表します。
東方の三博士がイエスの誕生を星の導きによって知り、お祝いに駆けつけたことを祝う日だそうです。
1月5日にクリスマスの飾りを外し、クリスマスが終わる日。
そう、知っていましたか?
クリスマスの飾りは1月5日にはずすそうです。
で。
こちらはタイトルに”Twelfth Night, or What You Will”と、「十二夜」が入っているシェイクスピアのコメディ。
じつは、mituさんのブログにお邪魔して愛らしいビオラの花を拝見した時に、はっ!とこの作品のことを思い出したので書きたくなってしまいました。シェークスピアの中でも私のお気に入りの作品の一つです。
Wikiってみたところ、本来の十二夜にはあまり関係がないみたいです。
たぶん、上演されたのが1月6日という記述があるらしく、それでつけられたタイトルなのでしょうか?
上演の主賓が登場人物と同じ名前のイタリアの貴族だったそうですよ。
日本の古典にも『とりかへばや』という、兄妹が入れ替わるお話がありますが、これも男女の双子のお話しです。(とりかへばやは、正式にはそっくりな異母兄妹ですが)
男装した妹が、令嬢と、令嬢に求婚している侯爵との間に入り、一方方向の三角関係になり、そこに嵐で行方不明になっていた兄がくわわり、おかしな四角関係になるというお話です。
このお話ができたきっかけというストーリーで、、”Shakespeare in Love”という映画が作られています。
若き日のシェイクスピアが貴族の娘と恋に落ちるという話ですが、これも主人公の女性の名前は同じ。
ビオラ・・・英語読みではヴァイオラ。
映画ではハッピーエンドではなくて、作品の『十二夜』はハッピーエンドです。
それにしても『十二夜』の令嬢は勘違いしたまま小姓と結婚しちゃうし、
兄も男装した妹と間違われて見ず知らうの令嬢にプロポーズされてすぐにOKしちゃうし・・・
コメディーだからありえるのでしょうか。
十二夜(映画)→ こちら
恋に落ちたシェイクスピア(映画)→ こちら
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麗しのワシリサ [いろんなブンガク]
ロシアの民話。
ある商人にワシリサという娘がいました。
彼女が8歳の時に母親が病死してしまいます。
母は娘に木でできた小さな人形をわたし、困った時には人形においしいものを与えれば、
きっとためになる助言をくれるからと言い遺しました。
月日がたち、彼女が十代になると、父親は再婚しました。
再婚相手には2人の娘たちがいました。
ほかの話同様に、ママ母とママ姉たちは、ワシリサにつらく当たり、嫌な仕事を押し付けていました。
父親が商用で家を空けている間、ママ母娘たちはワシリサを追い出してしまいます。
明かりがなくなったから、魔女の家に行ってもらって来いというのです。
バーバ・ヤガという魔女は森の奥深くに住んでいます。
大きなすり鉢に乗って彼女が移動するときは暴風雨が巻き起こります。
彼女の家にはめんどりの足が生えていて、あちこちに移動するのだそうです。
子供を取って食べてしまうのが大好きで、彼女の家には犠牲者たちのしゃれこうべで作られた柵が張り巡らされているのです。
森の中でワシリサは夜明け頃に白い騎士に、昼頃は赤い騎士に、夜には黒い騎士に遭いました。
バーバ・ヤガはワシリサを見つけて家に連れ帰ります。
そしてあかりが欲しいならば条件をすべてクリアしろというのです。
辛くて大変な仕事をたくさん押し付けられましたが、母の形見の人形の助言によって次々とクリアしていきます。
それでもあまりのひどさにワシリサは逃げ出してしまおうと考えました。
でも人形は、どんなにつらくても逃げてはいけない、と言うのです。
彼女は人形の助言に従いました。
なんども3人の騎士が魔女の家の前を通りすぎました。
ある日、魔女はワシリサに質問はないかと尋ねます。
彼女は3人の騎士の正体を訊きました。
魔女はそれらは日、太陽、夜だと答えました。
ほかにないかと訊かれたときに、人形がもう質問するなと助言します。
人形の言葉に従って質問はないと答えると、彼女は解放されました。
その時に、塀の骸骨を一つ持っていくように言われます。
どくろにはあかりがともっているのです。
ワシリサが家に帰りつくと、どくろの目から出た鋭い光が、悪いママ母娘を焼き殺して、たちまちのうちに灰にしてしまいました。
ワシリサはもうどくろが誰も灰にしないように、それを地中に埋めました。
魔女の家で様々な困難を乗り切ったおかげで何でもできるようになり、手に職も付けました。
そして彼女はのちに幸せな結婚をして、夫と父と末永く平穏に暮らしたそうです。
スラヴのシンデレラは、灰は灰でもちょっとおそろしい灰が登場しますね。
もみじすれば・・・ [いろんなブンガク]
秋山の 黄葉(もみじ)を茂み 迷ひぬる
妹(いも)を求めむ 山道(やまぢ)知らずも
柿本人麻呂の歌、『万葉集』です。
タイトルは、「人麻呂が妻を亡くし、血の涙を流すほど悲しんで詠んだ歌」。
山の木々がもみじして、あまりにも茂っているものだから、
妻が迷ってしまっている
でも私は道を知らないから
彼女を探すことができないのだ
山の奥は、冥界に続く。
そんな言い伝えがあったそうです。
愛する妻が亡くなって、彼はまだ悲しみの淵深く立ち直ることができていません。
秋になり色づく木々の葉は、どこか怪しげな、恐ろしげな感じがして、
心がざわざわと波立つのです。
死者の魂を鎮めるための紅葉狩り。
いろづく錦繍の迷宮は、どこか狂気を感じさせます。
愛する妻はなくなったのではなく、もみじする山の中に迷い込んで出てこられないのだ。
だから彼女は、私のもとへ戻ってこられないのだ・・・
でも私にはどうすることもできない。
もみじする木々が、道を隠して阻むから。
もみじが、私たちの間を阻むから。
だから私は、紅葉と同じくらい赤い、血のような涙を流すばかり・・・
そう考える人麻呂の深い悲しみ、見えましたか?
妖精の騎士、愛の力で再び人間に・・・ [いろんなブンガク]
スコットランドには、『タム・リン』というおとぎ話があります。
カーターホフの野原には、タムという妖精が出現します。
彼は美男の妖精で、付近の人間の少女たちは、彼に近づかないように言い聞かされていました。
誘惑されて、純潔を失うからです。
でもジャネット(マーガレットとも)はいいつけを守りませんでした。
彼女はタムと出会い、果たして妊娠してしまいました。
彼はかつては地上の騎士で会ったけれど、落馬して命を失いそうになった時に、妖精の女王に救われてその仲間になったとジャネットに話しました。
今は丘の下の王国(妖精の国は丘の下にあると伝承されています)で、女王の家来となっているのでした。
しかし、彼はもうすぐ自分が「十分の一税」として地獄に送られると感じ始めていました。
十分の一税とは、ここでは毎年妖精が地獄へ魂をひとつ、送らなければならないことを意味します。
ハロウィーンの夜。
ジャネットはタムを救うことを決心しました。
夜、妖精たちが行列をなすので、白い馬に乗ったタムが通りかかったら彼を馬から引きずりおろし、ジャネットが彼を決して離さないでいることができれば、彼は人間の世界に戻ってこられると言いました。
ジャネットはタムの言うとおりにしました。
妖精の女王はジャネットを妨害しようと、タムの姿を爬虫類や猛獣に変えます。
でもジャネットは腕の中のタムがどんな姿になろうとも彼を決して離しませんでした。
女王は負けを認め、タムを諦めました。
そうしてジャネットはタムを人間に戻し、彼らは家族になることができました。
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人間と妖精のおとぎ話は、多くがアンハッピーエンドになります。
これは双方の世界が合いいれないことを意味します。
日本でも妖怪との結婚譚はありますが、やはり幸せな結末は少ないですね。
慈悲深き霊鳥と王子の物語 [いろんなブンガク]
ペルシアのサーマーン朝の詩人フェルドウスィーは、10世紀の終わりから30年の月日を費やして大叙事詩を完成しました。それが『王の書』、シャー・ナーメ。
いくつか、今でも語り継がれる物語がありますが、今回はその中のひとつを。
シームルグとザールの物語です。
ワシに似た体躯、犬の頭、ライオンのツメ、クジャクの美しさを持つといわれる霊鳥・シームルグ。巨大な鳥で、クジラをわしづかみにできるといわれています。
たいへん賢く慈悲深く、盆地を取り囲む山に棲むといわれています。
ある時、王様に待望の王子が生まれました。
しかし、王子の髪は生まれながらに真っ白でした。
瞳もまつ毛も黒いのに、頭の髪だけは真っ白です。
なにか不吉なことの前触れではないか・・・そう考えた王は、王子をエルブース山脈に連れて行って、なんと置き去りにしてきてしまったのです。
置きざりに去れた幼い王子を見つけたシームルグは、王子を自分の巣に運び、自らのひな鳥たちとともに彼を育てました。
シームルグは彼に「ダンスターン・エ・ザンド」(偉大なる策略)と名付けて、いつくしみ育てました。そして王子はたくましく育ったのです。
一方、息子を捨てた王に子供は生まれず、ずっと自分が捨てた白髪の王子のことが頭を離れませんでした。やがて月日がたち、白髪の青年が山にいるといううわさを聞くとうれしくなって会いに行きました。
父王と再会した王子は、人間の世界へ戻る決心をします。
そして父王は彼にザールという名を新たに与えました。
ザールが人間の社会へ戻るとき、育ての親の霊鳥シームルグは、自分の羽を抜いて彼に与えました。
「困ったときはこの羽を燃やしなさい。すぐにお前のもとへ駆けつけるから」と言って。
さて、ザールはカブールでルーダーベ姫に出会って、一目で恋に落ちてしまいました。でも彼女は敵対する王の娘だったので、周囲に大反対を受けました。
たび重なるザールの説得と占い師の「生まれてくる子供は何度もこの国を救う勇者となるだろう」という言葉に、父王もやっと折れて結婚を許してくれました。
ザールはルーダーベ姫と結婚し、やがて姫は懐妊、出産の時を迎えました。
しかし彼女はおなかの子供が育ちすぎてひどい難産に苦しみ、命を落としそうにまなりました。
ザールはシームルグの言葉を思い出し、その霊鳥の羽を燃やしました。
するとシームルグが現れて、なんと今で言う帝王切開の方法を医者に指導したのです。そして薬草の作り方を教え、切開の傷口に塗るように言うと、傷はたちまちのうちに良くなり、姫は元気になりました。
生まれた子供はロスタムと名付けられ、予言の通りにペルシアで一番の戦士になり、何度も国を救いました。
シームルグは1700年は生きるといいます。
寿命が近づくと自らの身を炎に投じると言われているようです。
この鳥のモデルはゾロアスター教のサナーエという鳥らしいです。「生命の樹」にすんでいて、種をまき散らし大地に植物を育ませたといわれます。
何とも幻想的な話ですね。
孫子勒姫兵 [いろんなブンガク]
周末期。
呉王は孫子の兵法家としての能力を試したいと思い、宮中の美女を集めてこれを訓練させ
ました。
その中でも王の一番の寵姫は隊長でしたが、彼女はばからしいと冷笑するばかりで、孫子の
命令に従いませんでした。
隊長が指揮官をバカにするので、他の美女たちも命令に従いません。
孫子はこれを隊長の責任だと言って、王がとめるのも聞かずに、王の寵姫を斬り捨ててしまい
ました。
他の美女たちはみな恐れて、以後、孫子の言うことにしたがったそうです。
孫子の冷徹な、真の兵法家としての実力を見た王は、彼を認めたと言います。
そりゃね、女子はこういうのキライですからね。
いくら王の命令とはいえ、やってられないって思ったのでしょうねw
でも斬り捨てるとは、ひどい話です。
『デカメロン物語』 ボカッチオ [いろんなブンガク]
フィレンツエ近郊で裕福な商人の子として生まれたボカッチオは、ナポリで商業見習いと
法律を学び、文学修業や人文主義的な教養を存分に身につけました。
28歳でフィレンツェにもどり、ルネサンスを代表する教養人として有名になります。
彼の書いた『デカメロン物語』は、近代小説の走りといわれ、イングランド・ルネッサンスの
チョーサーの『カンタベリ物語』に影響を与えました。
ダンテの『神曲』にたいして『人曲』とも呼ばれました。
Winterhalterの『デカメロン』。
この話は、ペスト(黒死病という伝染病)を避けてフィレンツェの郊外に集まった3人の男性たちと
7人の女性たちが、10話ずつ交代で面白い話を語っていくというものです。
人間の人間らしい欲望を素直に描いています。
これは神こそ至上の存在とあがめていた社会を変化させるきっかけとなったと言っても
過言ではないでしょう。
でもボカッチオ自身はあるとき、一人の修道士に天罰が下るだろうを非難されると、
それまでの享楽的なものの考え方を一転させ、ギリシア古典研究や外交官などの
仕事に精を出すことにします。おかげで、『ホメロス』を初めてラテン語に翻訳しました。
ダンテと合わせて「ルネサンスの3人衆」と呼ばれたペトラルカとは友人でしたが、
彼の死にがっかりしたのか、その翌年にショックを受けて亡くなったと言われています。
Waterhouseの『デカメロン』。
ところで、肖像画家のウィンターハルターと、いろいろな物語から題材を得ているウォーターハウス、
どちらの『デカメロン』がお好き?
バサラのさくら [いろんなブンガク]
『太平記』に様々なエピソードが残る佐々木道誉。
バサラ大名として有名ですね。
バサラとは、奇抜な格好や行動をする風流人です。
彼のバサラぶりが現れたさくらの話があります。
お花見にいらっしゃいと、彼から花見の招待が人々に送られました。
日本一の生け花をご覧に入れましょう・・・・と。
招かれた人々は度肝を抜かれます。
満開の桜の大樹の根元が、壺で囲われていて、さくらの大樹はあたかも壺に挿された一輪(?)の
花のようです。
人々のあっけにとられた表情を見て、彼はニヤリとしたことでしょう。
娘婿の父と権力争いをした時、将軍の邸で花見をするからという誘いをことわって、わざわざ同じ日に
大原野で別の花見を開催します。
京中の芸人やきれいどころが集められ、この世のものとは思えないほどの、絢爛豪華な花見を行った
と言います。
彼は南北朝の武将でした。
部門のさくらは、優雅なだけではなく、どこか滅びの美学のようなものを感じさせます。
藤原定家のさくらは、ただひたすらに幻想的で美しい。
でも西行の桜は、どこか破滅とか終焉を感じさせる・・・・
連歌を愛し、さくらを愛で、型破りな方法で風流を愛した道誉。
バサラな生き方、できるものならしてみたいものです。
東山魁夷の絵です。