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A ’super’ model for real [l'histoires de femmes]

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カーメン・デロリフィチェさんは、現役のモデルです。

銀髪の美しい人。
服を魅力的にみせながらも、本人も決してその個性を忘れてはいないという、モデルの中のモデル。

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イタリア系の父はヴァイオリニスト。
ハンガリー系の母はダンサーだったそうです。

NYに生まれ育った彼女はバレエダンサーを目指していましたが、背が高すぎて断念しました。
21世紀の現代、いったいぜんたい、何がすごいことなのかといいますと、彼女は1931年世界恐慌のさなかに
生まれ、今年で81歳になられるということなのです。

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彼女は15歳の時にNYで写真家の妻によって街中でスカウトされて、モデルの道に入ったそうです。
時給7ドル50セントでモデルを始めました。

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栄養失調でやせっぽちの少女は、モデリングのときに服のサイズが合わず、見えないところを縫い詰めて
着ていたそうです。

そして16歳、史上最年少でファッション雑誌『ヴォーグ』の表紙を飾ります。
50年代に結婚して一人娘をもうけました。
(娘さんは心理学者だそうです)

3度結婚しましたが離婚して、1978年からモデリングを再開したそうです。

「引退という言葉はぴんと来ないわ。寝たきりになった時が、引退の時よ」と彼女はいいますw

日本のバラエティ番組で紹介されたこともあるので、彼女のことをご存知の方もいらっしゃるでしょうね。
彼女は食べたいものを食べたいだけ食べるという生活をしています。
そして、普段着は上質でシンプルなものを着るようにしていると言っていました。

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もちろん、何も手を加えていないわけではありません。
シリコン注射はしているようですが、それでもこのお年でこの美しさはやはり驚異的です。

美しさの秘訣は、毎日裸で鏡の前に立つことだとテレビで言っていました。
彼女のトレードマークである美しい銀髪は、年4回ほどその色を手入れされるそうです。

友人だった人に騙されて90年代に大金を失うことになったそうですが、しかたなく働き続けているわけでは
なく、人生を楽しみながら働いているという感じを受けます。
人生は山あり谷あり。女の人生はその生き方が表情を作り出します。

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なんでも、一つの道を長い年月をかけて貫き続けていくと、だれにもまねのできない輝きが生まれると
思います。ファインダーや紙、その他の媒体を通しても、彼女のオーラは感じ取ることができますね。

ほかの何ものでもない、この世で唯一の存在になること。
くちで言うほど、たやすいことではありません。


Je reviens・・・ [l'histoires de femmes]

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Je reviensという香水があります。
美しい南フランスの海のような色のボトルで、フローラルアルデビドのいかにも
フランスらしい・・・というイメージの香りです。

「私、戻るわ」と訳されます。
なんか意味深な名前ですね。

15世紀の女性、フランソワーズ・ド・フォアは、なんかこの言葉にピッタリです。
彼女はフランシス1世という王様の愛妾の一人で、シャトーブリアン伯爵夫人と呼ばれました。
(フランシス1世はワルママのルイーズ・ド・サヴォワの息子です)

彼女は王の愛妾でありながらもちゃんと愛する夫がいたのです。

ロートレック子爵の娘で、幼いころからすごい美少女。
ブルターニュのお城で侍女としてつかえていた時に、19歳の美青年貴族に見初められました。
うわ~、光源氏と紫の上みたいです@_@

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彼の名はジャン・ド・ラヴァル。
彼女は14歳で女の子を生みます。

子供が生まれて1年後、二人は結婚するのです。
いまでいうできちゃった婚みたいですね。

でも二人はそれはそれは仲睦まじく暮らしていたのです。

フランソワーズは結婚してもその美しさを失うどころかますます色香を増して、魅力的な女性になります。
黒髪にすらりとした長身、出るところは出ていて誰もが羨むプロポーション。
ラテン語を話し、詩を制作することも。

美女大好きなフランソワ1世は彼女のうわさを聞いて、いてもたってもいられなくなり、ラヴァル夫妻を
自分のもとへ呼びつけます。もちろん、絶世の美女という噂のフランソワーズ見たさのためです。

でも夫は勘付いて、妻は病気で来られませんと言ってフランソワーズを置いていきます。
どうしても彼女を見たい王は、何度もしつこく呼びつけます。
そして手違いでついにフランソワーズがやってきます。王の計略にはまったのです。

もちろん、彼女を見て王はひとめぼれをしてしまいました。
でも・・・・彼女はなかなか王になびくことはありませんでした。

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もしかしたら彼女は相当したたかな女性だったのかもしれないです。
彼女の気を引くために、王は彼女の夫を重役に就けます。兄はミラノ総督です。

それから王はプレゼント攻撃を開始しますが、彼女は絶対になびきません。
自分がもったいぶればぶるほど、王は夫を昇進させたり彼女を丁重に扱ったりするのです。
なびくと見せかけてふいとそっぽを向く。
冷たくしたかと思えば、優しく話しかける。

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こうしてじらすこと2年!!

普通の男性ならば、望みがないとあきらめるでしょうか。
でもお王は百戦錬磨の風流人です。
じらされる恋愛ゲームは嫌いではないのです。
すぐに手に入る女はつまらない、手に入れるまでてこずるほうがおとし甲斐がある・・・・とばかりに
翻弄されるのを楽しみます。

フランソワーズのほうもじらせばじらすほど夫が優遇されるので、がんばります。
でもやはり女性ですから、そうしているうちにも王に好意を抱いていきます。

でも、覚えてます? ワルママのルイーズ・ド・サヴォワ。
彼女はフランソワ1世を溺愛する母ですが、フランソワーズが大嫌い。
そりゃあ、息子を振り回す小悪魔な小娘に好意をもつ母親はいないでしょうけれど。

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まだほんの少女のころに見初められて結婚したフランソワーズは、20代になっていまや第二の
女の人生を謳歌していました。

ワルママが彼女を気に入らなかった別の理由は、フランソワーズは王の愛妾でありながら、あちこちで
愛人を作っていて、その何人かはワルママが目をつけていた殿方だったからです。

一度、ひとりの男性を取り合ったこともありました。

王が神聖ローマ帝国のカール5世の人質になると、ワルママとの対立を避けて夫のもとへ。
平穏に暮らして宮廷での華やかな「遊び」はすっかりわすれたころ、王が帰国して、新たな美女が
その寵愛を受けていると聞くと、彼女は宮廷へ舞い戻ります。

たんに悔しかったからなのか、あるいは夫とは違う愛情を王に持っていたのか。なぞです。
しばらくその新しい愛妾と寵を競いましたが、すでに王の寵が自分にすべて向けられていないと悟ると、
また夫のもとへ戻りました。

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夫、寛大ですね。
君主が自分の妻に横恋慕したのに、王に逆らうことはできないためにおとなしく従うしかなかったようです。

それにしても、戻る場所があるなんて、フランソワーズは女冥利に尽きるラッキーなひとでしたね。
逆はよくきくけれど^^;;;


ワルママのムスメ [l'histoires de femmes]

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白雪姫やシンデレラのように、けなげな主人公が継母にいじめられる話はたくさんあります。
でも、継母でもけっこうウマが合えばうまくやっていけるものです。

これがもし、実の母親だった場合の話をしてみましょう。

自分のヨクボウだけのために生き続ける女は、母親になるのは向いていないようです。
たとえば、フランス史上に残る稀代の悪女・イザボー・ド・バヴィエール。
自分の息子に王位を譲るのを嫌がって、息子を愛人の子供だから相続の権利はないと言い放ちました。
西太后も、自分が贅沢で美しい暮らしを続けるために、実の息子を殺したようなものです。

これがもし、母と娘だったら?

しかも、母がものすごいジコチューなワルママで、娘を憎んでいたとしたら?

(屮゜Д゜)屮 アワワ;;;;

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今回は、ワルママはアングレーム伯の未亡人でフランス王フランソワ1世の母、ルイーズ・ド・サヴォワ
と、その娘でフランソワの姉のマルグリットについてです。

ルイーズはサヴォワ大公の娘として生まれ、11歳の時にシャルル・ドルレアンと結婚しました。
そしてマルグリットとフランソワを生みましたが、夫が急死してなんと19歳で未亡人になってしまうのです。

それからの彼女は息子を王位につけることに心血を注ぎました。
それが彼女の生きる原動力のようなものでした。

彼女の望みは実現します。
愛する息子はフランソワ1世としてフランス王となるのです。

その後、人生の目標を(達成したために)失った彼女は、あちこちに愛人を作り始めます。
狂い咲きです。息子の愛妾と、ひとりの男を取り合ったこともありました。

さて、娘のマルグリットのほうです。
彼女は幼いころから2つ年下の弟と仲良く育ちました。
弟は文学少女だった姉の影響をうけて、文学好きになりました。

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彼はいつも姉のあとをついて回ります。
母は、それが面白くなかったのです。

姉にべったりの息子。
母の嫉妬は自分の娘に向けられます。
だからなのでしょうか? 宮廷でも悪評高いアランソン公シャルル4世と結婚させてしまいます。

・・・ふつうの母なら、娘にはよい相手と結婚してほしいと思うものでしょう?

ところで、以前にルイーズ・ド・サヴォワに惚れ込まれて結婚を断ったために、祖国を捨てて敵に寝返った
大元帥の話を書きました。本日の4番目に再UPしておきましたので、お暇な方は読んでみてくださいね。

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このシャルルはフランソワの結婚式でその母ルイーズにひとめぼれされちゃったわけですが、
実は彼は、幼馴染だったマルグリットと再会して、ちょっといいなと思うのです。
マルグリットのほうも美男の誉れ高い彼に再会してキュンとなります。

お互いに既婚者でしたが、ほのかに恋心を抱きました。でも・・・・

邪魔したのはマルグリットの母のルイーズ!

14歳年下のシャルルを、権力をちらつかせてモノにします。
娘の初恋の相手を奪う母・・・

母の恋人を奪った娘もよくいますが(サンドからショパンを奪おうとしたサンドの娘とか)・・・
母と娘が女として男を奪い合う、すごいですね。


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マルグリットは対抗していないですが。
そのうち、体が弱かったシャルルの妻が死ぬと、ルイーズはシャルルに結婚を迫るのです。
でもシャルルは断ります。ルイーズは権力を得るために利用しただけにすぎず、彼にはルイーズに
愛はないからです。

フランス王の母である自分のプロポーズを断ったことに激怒したルイーズは、シャルルを徹底的に
破滅させようとします。しまいには彼を敵国に逃亡させることになります。

感情だけで行動すると、ろくなことになりません。
敵国に逃亡したシャルルはその後、フランスと戦ってフランソワ1世を生け捕りにしてしまうのです。
(そのあいだ、ワルママが摂政を務めていました。)

ちょうど(?)その頃、マルグリットの夫が死んでしまいます。
フランソワ1世が敵に捕らわれたことを、一緒にいた彼が妻(マルグリット)と姑(ルイーズ)にひどく
非難されたため憤死したとか。

マルグリットは愛する弟の奪還のために、スペインへ向かいます。
でもフランソワ1世、捕虜でも丁寧に扱われていて、その上敵の神聖ローマ帝国皇帝カールのお姉さん
が未亡人だったのを、うまいこと落としていたのです。

かくてスペインで、マルグリットはシャルルと再会します。
たぶん、二人はここで結婚を誓い合ったのかもしれません。

シャルルはフランスに戻りたいと思うようになります。
フランソワ1世を返す条件に、ルイーズが取り上げた自分の全財産を戻してくれるようにと条件を出します。

結局、フランソワ1世はカールの姉をお妃にして、自分の子供を人質にさしだすことで無事(?)帰国します。
するとシャルルの財産を戻すという条件だけが、ワルママのルイーズによって反故にされてしまいました。

そしてワルママは今度は娘をナヴァル王に嫁がせます。
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初恋は実らないのですね・・・。

マルグリットはシャルルとの結婚をあきらめて、ワルママの政略結婚にしたがいました。
ところが、これが彼女に幸せをもたらすことになりました。

ナヴァル王エンリケ2世はとても彼女を愛してくれたようです。
彼女はここで王妃として、好きなことを好きなようにすることができました。

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彼女の好きなもの。それは、文化活動です。

片田舎ながら多くの芸術家たちを庇護したことで、フランス・ルネッサンス期を作り上げることになったのです。
しかも彼女はメディチに嫁いだエレオノーラのように、庇護者としての立場にとどまらず、文学作品を
残す文人でもありました。

彼女の産んだ娘はのちにあらゆる意味で「偉大な」フランス王・アンリ4世を生みます。

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それにしても「友達母娘」なんて言葉も最近はあるようですが、ルイーズ・ド・サヴォワとマルグリットの
ような、前世は敵同士だったのではないかと思われるような母娘も、存在するのですね・・・。

フェレンツェの花 [l'histoires de femmes]

simonetta6.jpgボッティチェッリの『春』の、春の女神フローラ。

「麗しのシモネッタ」と呼ばれた、15世紀のフィレンツェの美女、シモネッタ・ヴェスプッチ。
父はジェノヴァの豪商、母はジェノヴァ一の美女。

彼女も金の髪に薄茶色の瞳の美少女でした。

15歳でフィレンツェの豪商マルコ・ヴェスプッチに嫁ぎます。
フィレンツェでは彼女の美しさが徐々に評判に。

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なんと、ロレンツォ豪華王もその弟のジュリアーノも、彼女の美しさにほれ込んでしまいます。
メディチ家の当主をも魅了する美しさ。

simo.Lorenzo de' Medici.jpgロレンツォ・デ・メディチ。

ボッティチェッリも彼女をミューズにして、様々な作品を描いています。
ほかの画家たちも、彼女を描くためにフィレンツェを訪れたといいます。

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そんな彼女には秘密の恋人が。
秘密なのに、フィレンツェ中が知っているのです( ´艸`)

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それがジュリアーノ・デ・メディチ。

シモネッタとは同い年の、当時のフィレンツェ中の若い女性たちの憧れの的の美青年。
まさに美男美女です。
詩人も二人の美しさを謳いあげるくらいに。

1474年の馬上槍突き試合で、勝者になったジュリアーノに、「戦いの女神」に指名された
シモネッタが勝利の兜を渡しました。(これはジュリアーノが勝者になるのが決まっていたのですが)
二人の美しさに、フィレンツェ市民たちは賛美を浴びせたそうです。

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夫の立場はないですね;;
でも仕事が忙しすぎて、妻のことなど構っていられなかったのかもしれません。

彼女は翌年、23歳の若さで結核のために亡くなりました。
フィレンツェ中の人々が、その死を嘆いたといいます。

ボッティチェッリは彼女の面影を思い浮かべながら、『春』と『ヴィーナスの誕生』を描いたのだろうと
言われています。

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ジュリアーノはその2年後に暗殺されてしまいました。
佳人薄命な二人ですね。


「鹿の苑」の女主人 [l'histoires de femmes]

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ポンパドゥール夫人は、銀行家の娘で平民ながらも、ルイ15世の寵姫となりました。

女の一生は、結婚しても華やかさが続く人は続くのですね・・・・。

既婚者ながらそのたぐいまれな美しさのために、ルイ15世の目に留まったのだそうですよ。
王が相手では、旦那もどうしようもないのですね^^;;;;

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でもルイ15世は好色なので、すぐに飽きてしまうのです(サイテー)。
でも彼女はただ涙をのんで去るようなことはしなかったのです。
みかけに寄らずしぶといですww

(彼女は体が弱かったので、王の性欲には付き合いきれなかったから、お相手をしなくてもよい方法を考え付いたともいわれています)


ルイ15世は、森のはずれに「鹿の苑」と呼ばれる館を所有していました。
ここは彼が、若い娘と遊ぶためだけの場所です。


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ポンパドゥール夫人は、ここの管理を自らかって出ました。
そして町から若い娘をさらってきては、王の相手をさせていたのです。

王の寵愛が一人に集中しないようにと、娘たちは頻繁に入れ替えられました。
当然、王の私生児は60数人に上ったと言われますが、その後の処理もすべて彼女が担当したようです。
娘たちは自分が相手をさせられる男が何者なのかも知らないままだったと言います。


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・・・ひどい話です。

王の愛人から「共犯者」へ格上げになった彼女は、政治にも介入するようになりました。
王が遊びほうけている間に、彼女が秘書的な業務をこなしていたようです。

美人で有能なのかもしれませんけど・・・・自分の保身のために何も知らない娘たちを翻弄するなんて、
コワイ人です。

ちなみに、ヘアスタイルのポンパドールは、このポンパドゥール夫人に由来しています。



なんとしてもマリア!? [l'histoires de femmes]

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マリア・カロリーナ・フォン・エステルライヒ・・・ときいてもぱっとこないでしょう?
でも、彼女の母親の名前ならば大抵の日本人も知っています。

彼女の母はオーストリア女帝・マリア・テレジアです。
マリア・カロリーナは1752年の夏に、この偉大な女帝の13番目の娘として生まれました。
アントワネットのお姉さんです。

彼女はなんていうか、偶然が重なってナポリの王妃になりました。

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ヨハンナ。


まず、姉のマリア・ヨハンナとナポリのフェルディナンド王との間に、婚約が調いました。
でも、マリア・ヨハンナはふこうにも当時流行していた天然痘にかかって、婚約後にあっけなく亡くなって
しまいます。

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ヨゼフィーナ。


そこで今度は、その妹であるマリア・ヨゼフィーナがなくなった姉の代わりにお嫁に行くことになりました。
彼女はお輿入れのためにアルプスを越えてイタリア入りしました。

でも・・・・

亡くなった姉にサヨナラを言うために遺体安置所を訪れていた時にどうやら彼女も天然痘に感染して
しまっていたのでした。
せっかくお嫁に来たのに・・・17歳の若さであっけなく姉のあとを追ってしまいました。

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フェルディナンド。


さて、どうしてもハプスブルクの血を引いたお嫁さんが欲しかったナポリ王家。
どうかどうかと女帝にすがりついて、マリア・カロリーナをお嫁にもらうことを取り付けました。

これが三度目の正直というのかどうかですが・・・・
姉たちのお嫁入り道具がすでにそろっていたために、今すぐにでもお嫁にいけそうな勢いでした。
豪華なお嫁入り道具を持ち、彼女はイタリアへ。

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彼女は無事、フェルディナンドのもとへ嫁ぎ、お世継ぎも生んで役目を果たすことができました。
ママが偉大でも娘が同様であるとは限らなくて・・・カロリーナにしてもアントワネットにしても、やはり
母親ほど賢明ではなかったようですが、まぁ、カロリーナは一応、数奇な運命と言えばそうだったのかも
知れませんね。

One of the most beautiful women in the world [l'histoires de femmes]

waterhouse.creopatra.jpgウォーターハウスの『クレオパトラ』。
高校の世界史の教科書には、彼女の関する記述はたった2,3行ほどです。
それなのに多くの人がその名をよく知っています。

クレオパトラ。

正確には、クレオパトラ7世。
父も母も姉も兄弟もすべて王位についています。
エジプトプトレマイオス朝最後の王です。
cleopatramichelangelo.jpgこれは珍しい、ミケランジェロの描いたクレオパトラ。

父と姉が王位を争い、姉が処刑されるという、すごい家系。
父亡きあとはその遺言により、18歳で弟と結婚して共同統治しますが、
弟側の側近たちの陰謀により失墜します。

クレオパトラはローマの将軍カエサルがエジプト征服を企ててアレクサンドリアに
滞在していることを知り、味方につけようと会いに行きます。
でも、彼女とカエサルを会わせては大変と考える政敵たちの妨害により、警備は固かったのです。
そこでカーペットの中にくるまって、カエサルへの貢物に紛れて忍び込むことに成功しました。
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くるくるとひらいたカーペットの中から、うら若き美女が出てきて(しかもかなり薄着?)、
それがエジプトのファラオと知ったカエサルの驚きったら。
(このエピソードは事実とは思えませんが、伝説の人物には伝説がつきものですw)

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ほかにも、バラのお風呂に入ってその香気をまとい、バラの花びらを部屋一面に敷いて
カエサルを迎えて誘惑したとか、大きな真珠のイヤリングを、惜しげもなくワインか酢にいれて
飲み干したとか、豪傑美女伝説の持ち主です。
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数か国語を自在に操り、数学、物理、哲学などあらゆる学問に秀でていたといわれる彼女は、
気品と才知にあふれた女性だったのでしょう。
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よく黒髪の姿がイメージされますが、あれはかつらであって地毛のヘアスタイルではありません。
彼女はギリシア系だったので、ギリシア美人を参考にしますと、肌は浅黒く、
髪はブルネット、とてもエキゾティックな女性だったのかもしれません。

ギリシア美人はこんな感じ。歴代ミス・ギリシアたち。
  ↓   ↓   ↓    ↓ 
greek2010.jpgミスギリシア2010。

geek2009.jpgミスギリシア2009。

greek2005.jpgミスギリシア2005。

カエサルのおかげで王位に返り咲いたのもつかの間、カエサルは独裁政治の行き過ぎで暗殺されてしまいました。
するとクレオパトラは、今度はアントニウスを誘惑します。
カエサル存命中からクレオパトラに惹かれていたアントニウスは、妻がいながらクレオパトラと結婚してしまいます。
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当然、ローマは反感を抱きます。
エジプトをせめてアントニウスを殺し、クレオパトラをとらえようとします。
そして彼女は服毒自殺を遂げたのでした。39歳。

毒蛇に胸を噛ませて死んだとも言われますが、これも伝説のようです。
しかし、なんらかの服毒自殺を遂げたことは本当らしいのですが。

ローマにとっては国の英雄を二人も手玉に取った悪女に思えるかもしれません。
でもエジプトにとっては、国を守ったあっぱれなファラオとして賞賛を受けたことでしょう。

言い伝え通りの絶世の美女であろうとなかろうと、魅力的な女性であったことは間違いないでしょう。

おまけ。
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20世紀のクレオパトラと、
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21世紀のクレオパトラ。

イメージ的にはアンジーのクレオパトラのほうがリズよりも、
普段のクレオパトラのしていた恰好に近いと思います。




美人で詩人でモデルなママ [l'histoires de femmes]

メディチ家の豪華王・ロレンツォのお母さんは、裕福な貴族の出身でした。

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ルクレツィア・トルナブオーニ(1425-1482)。
19歳でコジモの息子ピエロと結婚して、6人の子を産みました。

旦那様は「痛風王」と呼ばれる、病弱なおかた。
外交官としては天性の才能がありましたが・・・

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治世もわずか5年間でした。でも美男美女で、子供たちには当時最高峰の教育を施しました。
ルネサンス人と言えば万能の人=ダ・ヴィンチなどを連想しますが、この夫婦の子供たちも相当な
万能人です。とくに長男のロレンツォ。

教育は惜しみなく。
芸術家たちのなかで育てて、勉強だけでなく、感性も育てました。
ロレンツォの万能ぶりはまた次回ということで・・・・

さて、ルクレツィアは美しい女性でした。
そして才気にあふれていました。

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女は美しければいいとか、かわいければいいとかは、パワーのある男は思いません。
すべてを兼ねそろえてこそ、美女と呼ばれるのです。

彼女は夫とともに芸術家たちに惜しみない援助を与えましたが、自らも芸術に携わりました。
詩才に恵まれて、神を称える詩をいくつか残しています。
たくさんあったのかもしれませんが、現存しているのはほんの数編だそうです。

自分たちの子供たちと同じようにかわいがっていた芸術家に、画家のボッティチェリがいます。
息子のロレンツォよりも5歳年上でしたが、若いころから才能にあふれた画家でした。

彼はこのパトロン夫人をモデルに聖母を描きました。それが『マニフィカトの聖母』です。
聖母はルクレツィア。

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膝に抱く赤ん坊は、彼女の孫娘で同じ名前のルクレツィアがモデルになっています。

そして・・・・

向かって右手、インク壺を持つミドリの服の横顔の天使。これが長男のロレンツォ。
その隣の黄色い服の美少年がその4つ年下の弟のジュリアーノです。

メディチ家は芸術家のパトロンであっただけに、たくさんの肖像画が残されています。
肖像画以外でもこのように新古典主義の神話や宗教画のモデルにもなっています。

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孫のルクレツィア。


見れば見るほど、美しい絵ですね。

聖母の表情の美しさには、思わず見とれてしまうほどです。

ちなみに、同じ孫にはあの「黒の王妃」カトリーヌ・ド・メディチもいますw

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小さなころのカトリーヌ(向かって右側)


赤毛のエレオノーラ [l'histoires de femmes]

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それにしても、同名が多いので区別が大変です^^;;

豪華王ロレンツォのおじいちゃん、芸術の庇護者コジモ。

彼の末息子ピエトロは、14歳で一つ年上のエレオノーラと結婚しました。
お母さんと同じ名前ですね。

肖像画を見ると、けっこうかわいらしい女性です。

彼女は侯爵令嬢でした。
両親がフィレンツェに滞在中に生まれ、そのままメディチの宮殿でコジモが実の娘のように育てました。
コジモは子供好きだったのかもしれませんね。

年頃になると一番年の近いピエトロと婚約させられたのです。
幼いころからコジモの子供たちとは実の兄弟のように育ったのですが、一番の親友は9歳年上の
お姉さん、イザベラでした。

イザベラはローマとの結びつきを強めるために16歳でパオロ・ジョルダノ・オルシーニと政略結婚させ
られました。11歳で12歳のパオロと婚約というから、メディチの力を強めるための戦略の道具ですね。

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ちなみに・・・長女のマリアもフェラーラ公アルフォンソと婚約していましたが、結婚前に17歳で亡くなって
しまいました。

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これはマラリア死亡説が強いですが、秘密の恋人がいてそれを知ったコジモが怒って
殺してしまったという言い伝えもあるそうです。そして結局は彼女の代わりにマリアとイザベラの妹、
ルクレツィアがアルフォンソと結婚しました。

さて・・・話を戻します。
エレオノーラとピエトロの間には愛は芽生えなかったようです。
きっとお互いに興味がなかったのかもしれませんね。

それで、エレオノーラは恋人を作ります。
もちろん秘密の。

でもピエトロは気に入らなかったようです。
彼女が23歳の夏・・・

メディチ家の別荘で、事件は起きました。
衝動的か計画的かといえば・・・たぶん、状況を見る限り衝動的だったのだと思います。
ピエトロは、なんと、犬の首輪でエレオノーラを絞め殺してしまいました。

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そして翌日兄のフランチェスコに手紙を書きます。
「事故で妻が死にました」と・・・・。

兄のフランチェスコもエレオノーラの不倫を知っていたに違いありません。
あくまで事故死として処理したために、誰もがそうでないことを知っているのにピエトロは裁判に
かけられることはなかったのですから。

そしてエレオノーラの恋人を投獄しました。
そんな自分はあちこち遊びまわって、複数の女性との間に多くの子供を作ったのですけどね・・・。
ちなみに彼が死んだ後、彼のすべての非嫡出子はメディチ家が引き取って養育したそうです。

エレオノーラと仲の良かったお姉さんイザベラも、実はそれから間もなく夫に絞殺されるという同じ
死に方をしました。彼女は夫のイトコと愛し合ってしまったそうなのです。だから夫とそして実の兄の
フランチェスコに殺されたと言われます。

おそろしや、華麗なる一族。


トレドのエレオノーラと子供たち [l'histoires de femmes]

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その美しさゆえに多くの肖像画が残されている、トレドのエレオノーラ。
フィレンツェを芸術の中心地にしたアーティストたちのパトロン、コジモの妻でスペイン人でした。

ロレンツォ豪華王はコジモの孫ですが、父親はピエロ・デ・メディチ、彼女が生んだ息子ではないので
血は繋がっていないです。

上の肖像画は、4番目の子で次男のジョヴァンニと描かれたものだそうです。
長女のマリアはどことなく腹違いのビアと似ているような気がするので、コジモの血統に似ているのかも
知れませんね。

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マリア


次女のイザベラも美しいです。
イザベラは芸術家たちのパトロン的要素が強かった女性でしたが、不幸な亡くなり方をしました。

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イザベラ


そしてもっとも悪名が高いのは末っ子のピエトロ。
どんな人だったかは、姉のイザベラの死、そしてピエトロの妻の死とともに、次回お話します。

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ピエトロ


彼女は美しいだけではなく聡明な女性だったそうです。
子供たちに最高の家庭教師を付けて教育しました。

でも、いい子になるとはやはり・・・かぎらないのですねっw





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