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ある意味、自由に生きたおかた? [l'histoires de femmes]

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有名な女君主の中でも、私がひとつも共感することが出来ない人が何人かいますが、
スウェーデンのクリスティナ女王もそんな一人です。

ではなぜ書くのか?と問われれば、こんな人生もあるのかと言うことをただ言いたいがためとでも
言い訳しておきましょうか(笑)

反面教師的な?( ´艸`)

生まれは、とても高貴でいらっしゃいます。

1624年にスウェーデン王グスタフ2世アドルフの娘として生まれました。
父王は三十年戦争で戦死したため、6歳で王位を継ぎました。
他に子がいなかったために、彼女は王位を継承したのです。

夫の死を深く悲しんだ母はふさぎ込み、そのために彼女は母親と引き離され、教育係の
男性たちに囲まれて育ちました。

幼いころから聡明で、ちょっと気難し屋さん。
5人の摂政が政治を執り行いましたが、18歳で親政をはじめました。

服装はいつも男装で、身だしなみは最低限のことのみ。
帝王学は教わったけれど、レディとしての教育はされなかったのでしょうか。

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凍てつく真冬に10時間ぶっ通しで狩りをおこなったこともありました。
侍女の一人、エバ・スパーレを寵愛して、同性愛的な愛情も見せました。
(でもエバは異性愛者だったので、うまいこと女王から逃げて結婚してしまいました)
従兄とは婚約を解消し、周りをハラハラさせました。

プロテスタントに飽き飽きしていた彼女は30歳の時に従兄に王位を押し付けて、突然退位します。
そしてなんと、カトリックに改宗してしまったのです。

ベルギー、大好きなフランス、ローマなどを転々として、慇懃無礼に振る舞い、ヨーロッパでの彼女は、
少々「厄介者」的な存在になりつつありました。

フランス滞在中は、「モナルデスコ事件」を起こして世間を震撼させました。

彼女がフランスに滞在中、お互いに仲の悪い二人が、彼女の世話係に任命されました。
それがモナルデスコ侯爵とサンティネリ伯爵。
サンティネリを陥れようとしたモナルデスコが、偽装した手紙を女王に見破られ、逆に処刑されて
しまったのです。実際に女王を裏切っていたのは、サンティネリのほうだったのに。

クリスティナ女王は、「私が許さないと言ったら絶対に許さない」」と言って、処刑を止める周囲の
だれの意見も聞き入れずに、モナルデスコを処刑してしまいました。


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彼女は一刻も早くフランスをでるようにとの枢機卿からの忠告でローマに向かいましたが、事の顛末を
聞き知っていた法王は彼女に会いたがらず、彼女は冷たく扱われました。
唯一、彼女に心底惚れ込んでいた一人の枢機卿だけが親切にしてくれました。

従兄のスウェーデン王が突如崩御すると、彼女は再び王位に就こうと考え、祖国に戻る決心をしました。
でも、でも。
お願いだから、戻ってこないでくれ と言われてしまいます>_<

それからは、彼女はかつて王位についていた高貴な人物とは思えないみすぼらしい恰好で
世界各地を回って過ごしたと言います。

終焉の地はローマでした。
ポーランド王位を狙ったものの、今までの行いから却下されましたw

「私を攻撃する者は、太陽を攻撃する者だ」など、突拍子もない発言をするようになったとか。

ローマでは文化的な活動をして過ごしたと言いますが、肺の病気で亡くなりました。

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ほらね?なんというか・・・共感できるポイントがないでしょう?
いけないところなら、いくつも指摘できるのですけどね・・・。


かわいそうなベアトリーチェ~一家を巻き込んだ殺人事件~ [l'histoires de femmes]

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ベアトリーチェ・チェンチは、22歳で斬首の刑で処刑されました。

チェンチ家はローマの名門貴族の家柄でしたが、ベアトリーチェの父フランチェスコは、
悪行の限りを尽くす大悪党でした。

年頃に美しく成長した実の娘であるベアトリーチェを監禁して強姦してしまいます。

これを恨んだベアトリーチェと、彼女に同情した兄、継母、使用人たちと共謀して、この父親を
殺害したのです。

父をアヘンで眠らせて使用人に撲殺させ、2階のバルコニーから突き落として事故死に見せかけました。
しかし名門貴族の死を不審に思った検察が詳細に調べた結果、他殺と判断されたのです。

執拗な事情聴取で身内の犯行が発覚したのです。

継母、兄、使用人が次々に拷問にかけられました。

継母と兄は、拷問のあまりの辛さにベアトリーチェひとりに罪を着せました。
彼女自身も貨車にかけられて関節を外される拷問を受けると、ついに自白してしまうのです。

そしてベアトリーチェ、兄、継母が処刑されました。
人々がその境遇に深く同情したにもかかわらず彼女が処刑されたのは、チェンチ家の莫大な財産を
政府が没収したかったからとも言われているようです。

絶世の美女と名高い彼女の処刑を一目見ようと、ローマの広場には大勢の人々が押し寄せたと言います。
グレイド・レーニのこの肖像画は有名ですが、本当に、気の毒な短い人生でした。



小アグリッピナ [l'histoires de femmes]

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悪名高き皇帝ネロを産んだ、古代ローマの悪女です。

母が同じ名前であったために、母は大アグリッピナ、彼女は小アグリッピナと呼ばれます。
なんと同母兄にはこれまた悪名高い皇帝カリギュラがいます。すごい兄妹@_@;;;

彼女は2度目の結婚でローマ貴族との間にネロを産みました。
その時に、占い師が言いました。

「この子はのちに皇帝になるが、そうなれば母を殺すであろう」と。

アグリッピナは不安がるどころか、嬉々として言ったそうです。
「そう? 皇帝になってくれれば、殺されたって構わないわ!」

彼女の3度目の結婚は、父の弟、つまり叔父との結婚でした。
兄のカリギュラが暗殺されて、叔父が皇帝の位についたのです。

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皇帝の妃は、淫乱なメッサリーナでしたが、殺されてしまったためにアグリッピナが妃の座に就いたのです。
かつて母の大アグリッピナがそうしたように、彼女も自分の産んだ息子を帝位に就ける野望に取りつかれました。(もしかして、彼女が裏で糸を引いていたのかも?)

かくして彼女は、毒キノコで夫を暗殺します。
そうして息子を帝位に就けましたが、息子が言うことをきかなくなってくると、権力の亡者となっていた
アグリッピナは夫の前妻の子を代わりに帝位に就けて操ろうとしたり、はては息子を意のままに操るために
誘惑して関係を結んだと言います。

兄のカリギュラも彼女と関係を持っていたというので、現代人の道徳観からすればちょっと信じられませんが、
彼女はそれをやってのけました。

しかしネロの側近の中に、母后を排除しようと強硬論を持ち出す者たちが出てきます。
ネロは母親を暗殺する決心を固めました。このままだと、母が自分のことも殺しかねないと危険を
感じたのでしょう。

兵が彼女の屋敷に押し入って、彼女を刺し殺そうとした時に、兵士に向かって叫んだそうです。

「私の腹を刺しなさい!! 皇帝はここから生まれたのだから!!」

ネロが誕生した時の占い師の予言は、真実になってしまいました。


Okuni [l'histoires de femmes]

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誰でも名前だけは知っている、出雲阿国。

なのにその生涯はよく知られていないでしょう?

鍛冶屋の娘と言われているようですが、出雲大社の巫女になったとか、
流れ者の芸人で、各地を巡業して苦労の連続だったとか言われています。

きゃしゃで小柄な女性ではなかったようで、それを利用して歌舞伎者の男装をして、
小柄な女性ときわどいラブシーンを盛り込んだ踊りを編み出して、好評を博したそうです。

カブキの創始者と思いきや・・・タカラヅカの元祖でもあるのですね~。

彼女の編み出したスタイルは「お国歌舞伎」と呼ばれ、都では遊女たちも真似をしたそうです。
夫も芸人で、夫婦してカブキのスタイルを作り出したとか。

カブキ者とは、奇抜な格好をして世間の度肝を抜くことに楽しみを見出していた人たちのことです。
バサラのながれなのでしょうね。

それがちょっとスタイルを変えて日本の伝統芸能にまでなるなんて・・・
彼女は想像もしていなかった・・・・かな?

ちなみに、男性だけが演じるようになったのは、江戸時代に女性が踊ることが風紀上禁じられたため
ですね。ゲイ文化最盛期の江戸には、超人気だったことでしょうw


ジミ姫マリー [l'histoires de femmes]

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幼いころに母を亡くし、父もすぐに再婚してしまったために、寂しい思いをしながらそだった少女が
いました。

トスカナ大公の娘、マリー・ド・メディチです。

「あなたは大人になったら、王妃となるでしょう」

そんなある修道女の言葉を、幼い娘は信じました。
幼馴染の乳姉妹であるエレオノーラ・ガリガイとともに、彼女はそんな壮大な運命にあこがれながら
育ったのです。

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マリー・ド・メディチ


チャンスがやっとめぐってきたのは、もうすでにこの時代大年増として行遅れの域に達していた27歳の
ときでした。フランス王アンリ4世が借金を帳消しにする代わりに、メディチ家の娘を王妃に迎える約束を
実行したのでした。

特別美しくもかわいくもなく、年をとりすぎて肥満気味。
お見合い写真ならぬお見合い肖像画は、10代のころのものを送ったそうです。
彼女を垣間見してがっくりきたアンリのお話は、ちょっと前に書きました。

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エレオノーラ・ガイガイ


彼女は幼馴染のエレオノーラを侍女として従えてフランスへお嫁に行きました。
フランス語もわからない孤独の隙間を埋めたのは浪費。
ダイヤ好きの彼女は、宝石を買いあさったと言います。

もしも彼女が美貌に恵まれていたら、のちの息子の嫁になるアンヌ・ドートリッシュのように、イケメンに
好かれたかもしれませんが、彼女の周りに寄ってくるのは、権力を掌握したい下心のある男ばかりでした。

美しくなくとも残薬で大いなる野望を抱いていたカトリーヌは有名ですが、マリーと言えばルーブルに
ある、ルーベンスが描いた一代記ぐらいですよね。


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結婚式の様子


大女でそのうえ年増。フランスの国民たちは彼女の輿入れにがっかりしました。
それでも彼女は王妃としての務めはきちんと果たしました。王子を生んだのです。
この子がのちのルイ13世となります。

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アンリ4世。


アンリ4世が暗殺された後、マリー・ド・メディチを思うままに操ってわが世の春を楽しんだ人々がいました。
それは幼馴染の侍女・エレオノーラ・ガリガイと、彼女の夫、コンチーノ・コンチーニ。

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エレオノーラ


コンチーノははじめエレオノーラに近づいて取り入って、まんまと彼女の夫に収まりました。
そしてその後、妻が側近中の側近で、王妃が彼女の言いなりなのをいいことに、自分も王妃に
取り入って、愛人の座に収まったのです。

コンチーニは国家財産を自分のものにしたり、爵位を買ったり、国務官に就任したりと、好き放題です。
当然のことながら、反乱が起きました。

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コンチーニ


その混乱に乗じて台頭したのがリシュリューです。彼もイタリア人。フランス宮廷はイタリア人に操られていたのですね。

彼はコンチーニの軌跡そのままにのし上がります。
つまり、エレオノーラの愛人になって王妃に近づき、その後王妃に取り入ってその愛人になるという・・・w

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リシュリュー


マリー・ド・メディチは、あまり賢い女性とは言えないかもしれません。
同じ一族のカトリーヌと違う点は、自分で行動するか否かという点かもしれません。
カトリーヌは時に狡猾に冷酷に、息子を王位につけるために壮大な計画を自ら考え実行してきました。

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でもマリーは、どちらかと言えば与えられるものにおぼれてばかりで、流されているしかなかったのです。
息子のルイ13世も、ちょっとヘンな子になってしまいました。

彼は、女性恐怖症だったのです。かといってゲイというわけでもなくて、とにかく厄介な性格でした。
だからのちに王妃となるスペイン王女アンヌ・ドートリッシュとのあいだに、なかなか世継ぎが生まれ
なかったのです。

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母の愛情が少なかったのでしょうか・・・母のかわいがっている愛人コンチーニを暗殺してしまいます。
自分に顧みず、若い愛人の言いなりになっている母を彼は監禁してしまいます。
でもマリーは監禁場所を脱出し、息子に反旗を翻すのです。母子はすぐに仲直りします。

のちに実権を握ったリシュリューを陥れようとして失敗し国外追放、ブリュッセルで亡くなりました。
なんだか寂しい人生です。

でもきっと、幼いころから愛情が足りなかったから、多少利用されているとしても、誰かにそばに
いてほしかったのかもしれないですね・・・。




2人のアンリとひとりのお姫様~国境を超えた追いかけっこ [l'histoires de femmes]

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面白い話があります。
面白すぎて結構笑っちゃえますw

タイトルは二人のアンリだけれど、主役はシャルロット・モンモランシーという姫君です。

アンリと言う名はフランス史にあふれているので区別が大変ですね。
ここでのアンリとは、カトリーヌ・ド・メディシスの娘マルゴと結婚して離婚した、「ミドリのスケベおやじ」こと
アンリ4世と、コンデ公アンリ2世のことです。

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コスプレしたアンリ4世


アンリ4世はよく登場しているので「あ~ぁ」と思うかたもおおいでしょう?
このアンリ4世が、40代になってある日ひとりの美少女にひとめぼれしました。

それがモンモランシ―公の姫君シャルロットです。
彼女はまだ14歳の、妖精のような美少女でした。

王がいくら言い寄っても彼女は逃げ続けました。
そりゃあ、40代のお父さんくらいのおじさんに言い寄られたら、普通の中学生は逃げますよねw
でも王は彼女の婚約者に婚約を解消させて着々と愛妾にする準備をしていきます。

で、前回の失敗、覚えていますか? アンリエットに大金を要求されたり、王妃いにしろと責められたり
しましたよね。だから今度はシャルロットを結婚させてから愛妾にしようとするのです。

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コンデ公


言うことを聞きそうな貴族を探し、コンデ公アンリ2世に目をつけました。
でもコンデ公はシャルロットにひとめぼれしてしまいます。
彼女のほうも、おじさんよりは6歳年上のコンデ公のほうが良かったのでしょうね。
王がシャルロットを連れて来いと言ってもっコンデ公は断固拒否しました。

それで、勢い余って変装して彼女のもとへ逢いに行くのです。
森の中でさらおうとすると、シャルロットは悲鳴を上げて逃げて行ってしまいましたw

これを聞いたコンデ公、妻がさらわれては大変と、ベルギーに彼女を連れて逃げます。
ベルギーはスペイン領でした。だからアンリ4世はスペインに対して宣戦布告したのです。

もう、ミドリのおじさんは完全に血迷ったとしかいえませんw

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たったひとりの自分になびかない女のために、一国との間に戦争を起こそうというのです。
でもこれは実行に移されませんでした。
なぜって?

アンリ4世はある日、暗殺されてしまったからです。

これには官僚たちも大使たちも、正直、ほっと胸をなでおろしたことでしょうね。
え? シャルロットとコンデ公ですか?

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もちろん・・・フランスに帰国して、末永く幸せに暮らしましたとさ。



彼女は作られた小悪魔 [l'histoires de femmes]

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彼女はカトリーヌ・アンリエット・ダントラーグ。
彼女は母親の特別な「教育」を受けたために、歴史に名を残す悪女となりました。


まずはアンリ4世についてさらっとおさらいしましょうか。
彼はカトリーヌの娘マルゴを結婚したなヴァール王でした。二人の結婚の時に例の聖バルテルミーの
大虐殺が起きなのですよ。

原因は、マルゴの兄のシャルル9世が、プロテスタントの娘マリー・トゥーシェに熱を上げて、それを
よく思わないカトリーヌがシャルルをけしかけて起こした事件でした。

シャルルはそれから間もなく死んで、弟のアンリ3世がポーランド王の座を捨ててフランス王になりましたが、
ここでいわゆる「3アンリの戦い」なるものが起きます。

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ギーズ公アンリ

アンリ3世とナヴァールのアンリと、ギーズ公アンリの権力争いです。
で、結局、アンリ3世は暗殺されたし、ギーズのアンリもアンリ3世に暗殺されました。
それでアンリ4世が即位したわけです。

ものすごい女好きでしたが、ものすごい男好きの王妃マルゴとはお互いにまったく興味を示さなかった
ようですww 遊び人同士はうまく行かないのでしょうか。離婚してしまいます。

それで、ガブリエル・デストレとか、数多くの愛妾を持つわけです。
「ミドリの男」と呼ばれますが、これはフランスでは「いい年をして女好きなスケベおやじ」の代名詞
だそうですww  なんでミドリなのかというと、よくわかっていないようですが。
ミドリは狂った人の色とも言われていたようなので、色狂いからそう呼ばれたのかもですね。

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アンリ4世


で、ガブリエル・デストレが亡くなってしまって落ち込んでいたアンリ4世のもとに、ある美女情報が
寄せられました。

シャルル9世の愛妾だったマリー・トゥーシェがアントラーグ伯に嫁いで生んだ娘は、母に劣らず絶世の
美女らしい、と。

王はいてもたってもいられなくなって確かめに行きます。するとうわさ通りのうら若き美女でした。
でも、このアンリエットは、実は一筋縄ではいかない女だったのです。

母のマリーが徹底的に「教育」していたおかげです。
アンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレが亡くなったと聞いて、マリーはひそかに自分の娘を送り込こむ
チャンスだと思ったに違いありません。

アンリエットは王を焦らします。
自分と関係を持ちたいのならば、まずは10万エキュくださいなと言います。
これはアンリ4世のもと妻・マルゴの母カトリーヌ・ド・メディチがフランスにお嫁に来る時に持参した金額と
同額だったと言われます。

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挙句の果てには「結婚してくれなきゃ(=私を王妃の座につけてくれなきゃ)、寝ません」と言って、王が
承諾すると誓約書を書かせました。

実は借金を帳消しにする代わりにトスカナ大公から、その娘マリー・ド・メディチを娶ることが決まっていた
アンリ4世は、「男の子を生んだらそうしてやろう」と言うのです。

あらら。

アンリエットは妊娠します。アンリ4世はピンチです。
でも結局、アンリエットは死産でした。それは男の子だったので、彼女(と母親)の悔しかった気持ちは
ものすごいものだったでしょう。

そうこうしているうちにマリー・ド・メディチが輿入れしてきます。
肖像画はほっそりした美女だったけれど、実際は肥満体で当時としては大年増の27歳。
王はがっかりしました。

いよいよマリー・ド・メディチとアンリエットが対面するときがきます。
「この者は私によくつかえてくれました。今日からはあなたによくお仕えするでしょう」と、アンリ4世は
アンリエットをマリー・ド・メディチに紹介し、スカートのすそに口づけて服従をあらわすときにアンリエットが
立ったままだったので、頭を押さえつけて挨拶をし直させたと言います。

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マリー・ド・メディチ


アンリエットが激怒したのは言うまでもありません。
それから女の戦いが始まりました。

アンリエットが妊娠すれば、王妃も妊娠する。
王妃が男の子を生めば、アンリエットも男の子を生む。
「余には君主と臣下が同時に生まれるのだな」とはアンリ4世のお言葉。

彼女の至らなかったところは、王妃相手に怖いもの知らずでいたことでした。
彼女は自分の産んだ息子を王位につけるためにスペインと陰謀を企みます。
彼女は2度ほど、陰謀を企てたそうです。

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修道院に送られそうになった時に、王がとめたと言います。
陰謀を企んでも、まだいとしかったのですね;;;

アンリ4世はその後暗殺されてしまいました。
その陰にはアンリエットがいたのかも・・・・といううわさもあります。

悪女の娘も悪女、おそるべし。

王妃の座を目前にして・・・Gabrielle d'Estrees [l'histoires de femmes]

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ガブリエル・デストレは、アンリ4世の有名な寵姫の一人です。

彼の生涯、56人もの愛人たちの中でも、特別な存在であったといえるでしょう。
親同士が決めた結婚だったアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディチの娘マルゴとは、決して夫婦として
仲良くできることはありませんでした。それどころかもう、彼らの結婚は初めから波乱を含んでいて、
カトリーヌ・ド・メディチのせいでアンリとマルゴの結婚は、サン・バルテルミーの大虐殺で不吉に彩られ、
最後まで不仲が続きました。

王妃マルゴについてはこちら。 →  http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-04-27-2


アンリとガブリエルが出会ったのは、ガブリエルが17歳の時、父の城にアンリが訪れたときでした。
実はアンリの部下が彼女の恋人だったのですが、かねてから彼女のことをいろいろと自慢する彼から、
ガブリエルを奪ってやろうとアンリは画策していたのです。

でも、ガブリエルは一国の王子にもなびきませんでした。
これがかえってアンリの心を燃えあがらせたようです。
贈り物とラブレター攻撃が始まり、ついに周りに説得されて、ガブリエルはアンリの寵姫になりました。

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恋人になると、ガブリエルは惜しみなくアンリにつくしました。
厭世について行ってはかいがいしくアンリの世話をしました。
お洗濯までしたそうですよ!!

政治や外交文書は彼女が作成して、アンリはサインするだけ。
野営地で3人も子供を産みました。

スペインがふいに責めてきたときは、自分の所持金を提供、募金も募って軍資金を調達します。
天使の名前のこの女性は、美しく聡明なだけでなく、機転もきくのです。
カトリックとプロテスタントの争いのためにパリに入城できなかったアンリに改宗を勧めたのも彼女でした。

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王妃がもはや王妃の役割を放棄して、アンリを夫として認めずに遊び狂っているために、
アンリはローマ法王に離婚を申し立てます。
この申請がやっと許可されたとき、ガブリエルは4人目の子を身ごもっていました。

いよいよ結婚式が取り決められました。
花嫁と花婿は、式まで1週間、離れなくてはいけないしきたりがありました。
1週間の別れの時、ガブリエルはとても悲しくなって、突然、アンリにすがって泣き出したそうです。

これは予感だったのでしょうか?

翌日に陣痛が始まり、ひどい難産の中、まる一日苦しみのた打ち回り、その次の日にあっけなく
亡くなってしまったのです。わずか26歳。

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毒殺ではないかと言う噂もたちました。

でもこの場合は…死産でしたが、お産が直接の原因だったというのが一般的なようです。

彼女はアンリの計らいで、王妃として王家の墓、サン・ドニ大聖堂に葬られました。
翌年、アンリはイタリアから前の姑の一族・メディチ家より新しい王妃を迎えることになります。

つくしてつくして愛されて・・・王妃の座を目の前にしてあっけなく亡くなった彼女は、幻の王妃と
言えるでしょう。


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これは有名なガブリエル・デストレの絵です。
最初ルーヴルで見たとき、首をかしげました。
「????????????これがゲイジュツ?」(理解できない・・・)なんて^^;;;

向かって右がガブリエル。左は妹です。
ガブリエルは左手にアンリからもらった指輪をつまんでいます。
妹がガブリエルの胸をつまんでいるのは、妊娠を表しているといわれています。

・・・なぁるほど?

マリーとエリザベート [l'histoires de femmes]

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昔々、ひとりの不幸な王様と、ひとりの不幸な王妃様、そして一見無害に見えるが実はしたたかな愛妾が
おりましたとさ。

マリー・トゥーシェは16世紀に役人の娘として生まれました。
それはそれは清楚なかわいらしい少女でした。
父はプロテスタント。
ある秋の日に、狩りに来た若い王様に見初められることになります。


その王様とは、わずか10歳で即位したシャルル9世。
「黒の王妃」・カトリーヌ・ド・メディチの息子です。

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カトリーヌのお気に入りの息子・アンリ3世の一つ上の兄にあたります。
小さなころから癇癪持ちで気難しくて、そのせいで母に愛されなかったようです。
母は弟のアンリばかりをかわいがりました。なんか、家光みたいですね。かわいそう。

母の愛情を得られなかった少年の心のよりどころ、初恋の人とでもいいましょうか、それは早逝してしまった
兄・フランソワ2世のお妃だった、スコットランドのメアリ・ステュアートでした。

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メアリは幼いころにフランソワ2世の婚約者としてフランスにやってきたので、まぁ、一緒に育ったというか、
幼いころから身近な存在だったのですね。

きっと、ほわんとした女の子らしい女の子だったのかもしれませんね。
フランソワ2世が亡くなった時、カトリーヌの意向でスコットランドに返されました。
その時10歳だったシャルル9世は、うわぁ~~~んと大泣きしたそうですw

そんなシャルルが狩りに出てひとめぼれしたのがマリーでした。
彼はふつうに、真摯に愛を告白します。
若い王様から愛を告白されたら悪い気はしないようです。彼女はシャルルの気持ちを受け止めて、
彼の妹マルゴの侍女となりました。

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ところが、これを母のカトリーヌはよく思いませんでした。
だって、マリーはプロテスタントの娘です。彼女にのめり込むあまり、シャルルはカトリックから改宗すると
今にも言い出しかねない状態でした。

そこで、神聖ローマ帝国マクシミリアン2世の娘・エリザベートと結婚させるように画策しました。
シャルル9世のおじいちゃん、フランソワ1世の後妻となったエレオノールは大叔母にあたるという縁です。

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なんか、おとなしい感じのおかたです。
彼女は「ごく普通に」政略結婚でフランス王妃になり、娘をひとり生みました。
この年が、かの有名な聖バルテルミーの大虐殺が起きた年です。

マリー・トゥーシェを愛するあまりに、プロテスタントの長・コリニーを父のように慕っていたシャルル9世。
カトリーヌは何度もコリニーを暗殺しようとして失敗します。

でも、仕方ないと言えば仕方ないですよねぇ?
母の愛情に飢えていたし、父も早くに亡くしてしまったから、愛情が欲しかったのですよね。
でもコリニー提督はシャルルをそそのかしてスペインに宣戦布告させてしまったので、カトリーヌも
堪忍袋の緒がぷっちんと切れてしまいました。

コリニーを暗殺しようとしたのは自分だとカトリーヌはシャルルに告白します。
錯乱したシャルルは、殺してしまえ~~~~とユグノー(プロテスタント)殺害の命令を下したと言われます。

結局、それが彼の精神を狂わせてしまったのでした。
それからというもの、奇行ばかりが目立ちました。
そして弟のアンジュ―公アンリがポーランド王に選定されて間もなく、血を吐いて死んでしまいました。

マリーは男の子を生みましたが、もちろん傍系なのでこの子を王太子にはできませんでした。
彼女はのちに再婚して女の子を生みます。そしてまたまた、フランス王家に波乱をもたらすことになります。

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一方、エリザベートはと言うと、たった数年で未亡人になり、国へ帰りました。
たった5歳で娘も死んでしまいました。
そして彼女自身も38歳の若さでひっそりとなくなってしまったそうです。

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マリー・トゥーシェは可憐な少女からしたたかな女へと華麗な変身を遂げたけれど、シャルルと
エリザベートはなんかかわいそうですね。

ステュアート・スキャンダル・・・おしゃれ番長の最期 [l'histoires de femmes]

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メアリー・ステュアートは、スコットランド王ジェームズ5世とフランス貴族の母との間に生まれました。
生まれてすぐに父王が死去したため、生後6日でスコットランド女王になりました。

しかし隣国イングランドのヘンリー8世は、自分の息子(王太子)とメアリーを結婚させることでスコットランド支配をもくろんでいました(イングランド皇太子はメアリーのイトコにあたります)。

これによってメアリーの母は、イングランドに国を取られないように、彼女が6歳の時、メアリーをフランス王家に託したのです。

この6歳から16歳までのフランスでの生活が、メアリーにとっては一番幸せで輝かしい日々だったのかもしれません。
mary.FrancoisII1.jpgフランソワ2世

フランス国王アンリ2世は彼女を娘のようにかわいがってくれ、1歳年下の王太子フランソワとおままごとのような結婚をさせました。そしてアンリ2世がなくなり、王太子が王位につきます。
メアリーは16歳。

スコットランド女王にして、フランス王妃。

ヨーロッパ1の高貴な身分の女性になりました。
義母カトリーヌ・ド・メディチからは、大きな7粒のパールをもらいました。

しかしその1年後、夫が早世してしまいました。
中耳炎を放っておいたために脳炎を引き起こしたのです。
17歳にして未亡人になり、スコットランドへ帰ります。
しかし実際の政治は異母兄に任せ、メアリーはフランス式の生活を続け、毎日を享楽的に過ごしました。

やがて、従弟のダーンリ卿と愛し合うようになり、周囲の反対を押し切って(特にヘンリー8世亡き後のイングランド女王になっていた従姉のエリザベス1世の)、再婚します。
はじめは愛し合っていたものの、ダーンリの軽薄な性格が鼻についてきたメアリーは、次々と浮気を始めます。そのたびにダーンリは、浮気相手を殺してしまうのです。
mary.bothwell2.jpgボスウェル伯

24歳の時、30歳のボスウェル伯と出会い、本気の恋に落ちました。
そして彼女は、夫を殺害する計画を実行に移します。

mary.bothwell1.jpgメアリーの右にボスウェル、左の赤い服がダーンリ卿。

爆破した屋敷の中から、ダーンリの絞殺死体が発見されました。
サスペンスドラマさながらの大スキャンダルです!!
そのあとすぐに、彼女はボスウェルと結婚するのです。

この再再婚から2か月後、民衆はこの愚かな行為に憤慨し、彼女を王の座から引きずり下ろしました。
メアリーは隣国イングランドの従姉エリザベスの元に亡命します。

日ごろから「お姉さま」「妹よ」と呼び合う仲だったエリザベスを頼ったのです。
しかしエリザベスはメアリーを牢に入れてしまいました。
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そして19年間監禁された挙句、エリザベス暗殺計画謀略の罪で斬首の刑に処されました。

これは囚われの身でありながらも、メアリーがエリザベスよりも自分の血統が正統的であることを主張したためです(エリザベスの母はヘンリー8世に斬首されたアン・ブーリンなので、エリザベスは婚外子になると主張したのです)。
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処刑に際して、ヨーロッパ1のベストドレッサーとしてのプライドをかけ、死に装束を自ら厳選したと言います。
テンの毛皮のついた黒いビロードのドレス、白いヴェール。
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死刑の際に取り乱す人も多いでしょうが、メアリーは泣きもわめきもせず、極めて冷静だったそうです。
さすが、フランス王妃にしてスコットランド女王です。

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処刑台に上がりするりと黒いドレスを脱ぐと、真っ赤なペチコートとコルセット。
人々の間にざわめきが起きました。おしゃれ番長の最期の晴れ舞台・・・。

marystuart.sentenceofdeath.jpg映画『Elizabeth;The GoldenAge』より、サマンサ・モートンが演じるメアリーの処刑のシーン。

赤い手袋をはめて全身真っ赤な格好になると、彼女は静かに祈りをささげ、その44年の生涯を閉じました。
ちなみに、彼女はかつらをかぶっていて、死刑執行人は気づかずに落ちた頭を持ち上げたので(普通は髪の毛をつかむようです)、かつらがとれて頭がごろんと落ちたそうです>_<。。。

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前半生にすべての運を使い果たしてしまったような、数奇な人生でしたね。
ちなみに、姑からもらった真珠は、刑執行後、エリザベスが没収してしまいましたとさ。




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