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コンコルド広場 [Paris 2015]

ルーヴル美術館 → カルーゼル凱旋門 → テュイルリ庭園→ オランジュリ美術館と来て、お隣はコンコルド広場です。


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ルイ15世の騎馬像が置かれていたので、「ルイ15世広場」という名前だったのが、革命ではその孫ルイ16世夫妻や多くの貴族たちがギロチンで公開処刑された場所です。
のちにコンコルド(調和)と改名されました。

(アントワネットがここで処刑されたときの様子は、この下の記事です)




中心に立つのはラムセス2世の治世をたたえたオベリスク。
1826年にフランスに贈られ、1833年にここに建てられたそうです。



てっぺん部分は2500年位前にすでに盗まれていてなかったため、フランスが金ぴかのをつけたのですって。



ここはパリで一番広い広場。



八角形の広場のそれぞれの隅には、フランスの8大都市の象徴である女神像が置かれています。
南北にそれぞれひとつづつある噴水は、海と川の象徴です。



北の噴水は川。ローヌ川とライン川。そしてフランスの農作物である小麦やブドウ。
南の噴水が海。大西洋と地中海を表し、真珠や魚などの海洋産業物も見られます。船がパリを表しているそうです。


『プラダを着た悪魔』では、ここの噴水に主人公がボスからの連絡着信中のケータイを投げ捨てます。「私はやっぱり、この世界では生きるのはごめんだわ!」というような、象徴的なシーンでしたね。




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うーん。
やっぱり写真のセンスないですな(笑)。
うまく撮れません;;;



以前撮った、夕日に染まる一枚がお気に入りです。
エッフェル塔と女神像とオベリスクが入っているやつ。

             
 ↓












ここは女性のスリ集団の活動地点だそうです。
でもね、それっぽいかたがたはいなかったですね。
今回はスリという人々には遭遇できなかったです(ちょっと残念)。




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この、広場に固まっている自転車に乗った人たちは、サイクリングしながらパリの名所を回るツアーのひとたちです。こういうオプショナルツアーは欧米人に人気がありますよ。




さっきまで晴れていたのに、ちょっと雲が立ち込めてきました・・・




さぁ、次は近所の大きな教会へ行ってみましょう~。





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ma6.jpgこんなにも優雅で美しかったのに・・・






exe5.jpg幽閉生活ですっかり面変わりしてしまったアントワネット。



14日にアントワネットを断頭台に送るきっかけとなったネックレス事件のことについて書きましたが、今回はその後日譚です。



1789年に市民が武器庫であるバスティーユ牢獄を襲って、革命が勃発しました。
怒りに燃えた民衆は、ルイ16世一家をパリのテュイルリ宮に身柄を移させました。



そして2年後、国王一家はオーストリアへの脱出を図ります。
手助けしたのはアントワネットの愛人、フェルゼン伯でした。
しかし一家はあと一歩というところで正体がばれてしまい、パリに送還されます。



exe00.jpg幽閉中のアントワネット。




一家はタンプル塔に幽閉されました。
でも、この幽閉生活は一家団欒の平和なものだったようです。
バスタブや豪奢な家具、多くの使用人を持ち込んでいたと言います。
ここから、恋人のフェルゼンに、手紙と金の指輪を送っています。




exe.louisXVI1.jpgルイ16世の処刑。




しかし、革命裁判が始まると、ルイ16世は先に死刑に処せられました。
アントワネットの息子ルイ17世も、革命派に連れ去られてしまいました。



アントワネットは裁判で事実に反する多くの罪状について自ら反論します。
でも、いくら反論しても無駄なのです。
だって革命派たちは、革命のための犠牲として、国王夫妻を民衆の憎しみの対象に仕立て上げていたからです。



exe1.jpg法廷で証言するアントワネット




結局1793年10月15日に、アントワネットに対して死刑判決が下りました。



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ルイ16世に遅れること10か月後のことでした。




exe6.jpg処刑の日の朝。泣いているのは娘です。




翌日、拘束されていたコンシェルジュリの独房で髪を短く切られ、粗末なナイトキャップと粗末な服を着せられて、彼女は馬車ではなく、荷馬車でコンコルド広場のギロチン台まで運ばれました。死に装束は全身白です。



exe8.jpg幽閉先のコンシェルジュリから引き出されるアントワネット。





あまりのショックで一晩のうちに髪がまっしろになった、とはよく言われることですが、
酷いストレスを受けると、短期間で白髪になってしまうことは、本当にあるようです。



exe01.jpg実際の幽閉されていた部屋。コンシェルジュリ。リアルな蝋人形が置かれています。





彼女は動揺する様子もなく、泣きもわめきもしませんでした。
義妹にあてて書いた遺書は、革命派のロベス・ピエールによって長い間隠されていたと言われます。
(でも捨てられなくてよかったです)




exe11.jpg連行中。





荷馬車に載せられた彼女に、憎悪を向けて罵声を浴びせる民衆。
彼女はどんな悪態を投げかけられても、まるでなにも聞こえていないかのように無表情でした。




exe13.jpg”The Affair of the Neckless"でアントワネットを演じているジョエリー・リチャードソンが、処刑台に連行されるシーン






断頭台はステージのように高座になっています。
もと王妃が階段を一歩ずつ上がると、群衆の興奮が高まり、歓声が次第に大きくなりました。



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王妃だったころはファッションリーダーとして、つねに注目の的だったアントワネット。
美しかった面影はどこにも見られないほどにやつれ、容色は色あせた花のように衰えてしまいました。






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有名なエピソードは、階段を上がる途中に死刑執行人の足を踏んでしまったアントワネットが、
「あら、失礼。わざとではありませんのよ」と言ったということです。





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当時、死刑は一種の公開スペクタクルショーのようなものでした。
私たち現代人の常識からすればちょっと理解しがたいことですが、罪人が首を落とされる様を熱狂して見物するということは、古代ローマからよくあることでした。





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14歳でフランスに輿入れした時、彼女は別の熱狂で歓迎されました。
しかし今は、憎悪を一身に浴びているのです。




ところでギロチンというk処刑器具は、罪人の首を木の板にはめ込み、上から三角の大きな刃を落とし、一瞬にして罪人を苦しむことなく処刑するものです。


以前からあった拷問・処刑道具のひとつでしたが、パリ大学医学部のギヨタン博士が、罪人も苦しまずに死ぬ権利があると三部会で主張したために、革命の罪人処刑に導入されるようになったそうです。




・・・そう、このギヨタン博士の名前から、「ギロチン」と呼ばれるようになったのです。




キャップをはぎ取られ、乱暴に首枷に押し込まれたアントワネットは、ひとつの深いため息をついて
おとなしく従ったと言われます。




最期は・・・・どんな死に方であれ、気高く逝こうとしたのでしょうね。







実は、義妹への遺書の中に、



「私には友人たちがいました。彼らとの永遠の別れを思うと、彼らの苦しみを思うことが死にゆく私にはもっとも辛いことなのです。最後の時まで彼らのことを考えていたことを、せめて彼らが知ってくれますように」




と書いたと言います。

「彼ら」となっていますが・・・・これはフェルゼン伯のことをさしていたようです。
彼女が死の間際まで思っていたのは先に無くなった夫ではなく、彼のことだったようです。



三万人の兵が取り囲む処刑台。
それを取り囲む、あまたの民衆。



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ギロチンの刃は特別なもったいぶりもなくさっと落とされ、アントワネットの頭部は籠の中にごろんと落ちました。死刑執行人が、まだ血の滴る首の髪をつかみ、宙に掲げました。



一瞬、静まり返った群衆は、アントワネットの首を見てどっと歓声を上げました。



「共和国、万歳!!」



そうして人波は引いてゆき、興奮もどこへやら、広場は日常へ戻りました。




exe.jpg最後の肖像画。未完成のままでした。





「すべての敵が、私に加えた危害を許します」と遺書にあります。
37歳。




亡骸はごく一部が、革命が落ち着いた後にサン=ドニ大聖堂に安置されました。
(ぞんざいに扱われたため、一部でも発見されたのが奇跡的なことでした)



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その死にざまは、威厳に満ちた、立派なものでした。











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スコットランドのおしゃれ番長の最期はこちら。
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アントワネットの姪で、ナポレオンに泣く泣く嫁いだマリー・ルイーゼはこちら
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