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No one understands... [l'histoires de femmes]

彼女は、数奇な運命のもとに生まれました。


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彼女の父も母も、数奇な運命の人だったのですが、彼女自身も同様で、
そしてそれゆえに、であるのか、数奇な人生の終焉を迎えました。


たった19年の人生。


大陸と日本のそれぞれ高貴な血を受け継いだ少女。
お母様の美しさを受け継いで、美しい女性に成長するはずだったことでしょう。


清朝最後の皇帝・溥儀の弟、愛新覚羅溥傑の娘、慧生さん。
「エコちゃん」と呼ばれていたそうです。
彼女の母の自伝を読んだことがあります。

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満州で生まれ、日本に移住し、父が戦犯としてとらわれた時は、周恩来に手紙を中国語で書き、
そのおかげで父との文通が認められたそうです。

将来は大陸に戻り、大陸の人と結婚させたいと望んだ母の意向で中国語を習っていたと言います。
幼いころからピアノを習い、またたいへんな読書家だったようです。

そんな彼女の人物像を総合すると、行動力ある、情熱的で大胆な勇気ある、そしてたいへん聡明な少女であったと思われます。


父がまだ戦犯管理所にとらわれている間、母の実家から学習院大学文学部国語国文学科似通うようになりました。

そして彼女は文字通り「運命のひと」である、大久保武道氏に出会いました。
それからまもなく、初冬の天城山中で、二人は冷たくなって発見されるのです。


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嵯峨家は大久保氏の過剰な執着心による無理心中だと主張し、同級生たちは合意の上の心中だと主張しました。


1957年12月1日。
一緒に死んで欲しいとピストルを出した大久保氏をなだめすかしたが、二人はこの日に消息を絶つ。

タクシーの運転手の証言で、天城山へ向かったことはわかっている。



12月7日。
天城山の八丁池の南側のくぼ地の百日紅の木のそばで、二人の遺体が発見される。

拳銃は4発発砲されていて、そのうちの1発は不発だったという。
状況から見て慧生が先に撃たれたことは明白だった。




彼らの若さ、彼女の出自の珍しさから、世間はこの事件を悲劇の心中としてもてはやしたようです。
映画やドラマにもなりました。


嵯峨家では大久保氏の過剰な愛情と独占欲による無理心中であったと主張しています。
実際、大久保氏は彼女がほかの男子学生と話しただけでも嫉妬心をむき出しにしたそうです。
彼女も彼の束縛に辟易していたとか、あまりのひどさに注意した人を階段から突き落とそうとしたとか、客観的に見ても彼は独占欲の強い、激しい性格の人だったみたいです。

同級生たちは合意の上の心中であったと主張しています。
二人をよく知る周囲が、二人の死についての文章をまとめ、それがベストセラーになったらしいです。



物の見方と言うのは、見る人の考え方や立場によって変わってきます。
「ただの事実」としてみなしてもよいことをまとめれば、

*彼女は12月の予定を綿密に立てており、年賀状を書いていたとか仕上がってくる新しいコートを楽しみに待っていたなど、普段と変わりなかった


*彼はやきもちやきで、悲観的な性格だった


*時々、彼女は彼の嫉妬心に辟易していた



そして寮に届けられた慧生の遺書(最後に書いたとみられる手紙)。
これはWikiから挿入させていただきます。

『なにも残さないつもりでしたが、先生(新星学寮の寮長)には気がすまないので筆をとりました。 大久保さんからいろいろ彼自身の悩みと生きている価値がないということをたびたび聞き、私はそれを思い止まるよう何回も話しました。二日の日も長い間大久保さんの話を聞いて私が今まで考えていたことが不純で大久保さんの考えの方が正しいという結論に達しました。 それでも私は何とかして大久保さんの気持を変えようと思い先生にお電話しましたが、おカゼで寝ていらっしゃるとのことでお話できませんでした。私が大久保さんと一緒に行動をとるのは彼に強要されたからではありません。 また私と大久保さんのお付き合いの破綻やイザコザでこうなったのではありませんが、一般の人にはおそらく理解していただけないと思います。両親、諸先生、お友達の方々を思うと何とも耐えられない気持です 』


ということで、結局、真相は謎のままです。

恋愛は見えるものを見えなくしたり、二人だけに見える世界を作り上げたりします。
彼の嫉妬心に嫌気がさしたとしても、もう付き合いたくないと言っても、それが本当に本心なのかと問われると、本心だろうと断言することは、第三者にはできないでしょう。

喧嘩ばかりしていても、「どうして付き合い続けるの?」と訊かれても、別れない人たちはたくさんいます。

結局、当人でなければ何もわからないですね。




一つ言える真実は、彼女が若くして命を落とした、ということだと思います。









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