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いま、大切なこと。

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ちょっと長文になりますので、めんどい時はスルーしてくださいw

・・・私はエラいヒトではないし、教育者でも専門家でもないし、誰かを批判するのも気分が悪くなるから
嫌なのですが(´∩`。)

でもこの前、海外の知人に日本の車座社会とかいじめについて説明していて、ここ数日ずっと考えていること
をまとめてみました。

私たち日本人は、自己と違う他者を認めるとか異質なものを認める寛容性とかが低いと常々思います。
他者が自己と同じならば、安心していられます。だから議論の場でほとんどの人が賛成すれば、たとえ
ちょっと納得がいかなくても、つい賛成してしまう。そんな経験が誰にでもあると思います。

集団でいれば単独でいるよりも安心するし、心強い。
大きなもの、より強いものに従っていれば、身の安全を感じる。
自分が安心するためには、多少の犠牲をいとわないと思う。
生きるための本能ですから、この点は責められるべき点ではありません。

でも・・・・・

滋賀県の大津市で去年の10月に自殺した少年の件は、法律や集団心理では片づけられない陰湿さと
残虐性、大人たちの取り返しのつかない幼稚な誤りが招いた悲劇です。

いじめられたことがある、いじめてしまったことがあるという人は、少なくはないでしょう。
私が子供のころは、誰かがいじめられてある一定の期間が過ぎれば別の子がいじめられ始めるというような
ローテーションいじめでした。もちろん、私もいじめられましたよ。

高度経済成長期に生まれた人たちの子供たちは、共働きの親も多く、かぎっ子だったり親が子供に
かまう時間が少なかったりして、悪く言えばちょっと放置気味に育てられました。
(よく言えば=「とても自由」)

だから好きなことを好きなだけするという悪習慣が身についたし、やがて自分たちが親になってからも
子供の前でも好き勝手にふるまい、子供にも好きなことだけすればいいという悪いお手本になりました。
(もちろん、すべての人がそうではないですよ)

この時期から、日本人の情操教育は経済発展の二の次になってしまいました。

モノがあふれていて親たちも経済力があるために、子供たちはなんでも買ってもらえます。
給食費を払えない家は貧しいわけではなく、「払わない」だけで、そんな親はケータイ料金は払っています。
自分の子が幼稚園の劇で木の役だと聞くと、どうしてうちの子が主役じゃないのかと苦情を申し立てたり、
他の子とケンカして転ばされてひざをすりむいたからと言って、狂ったように相手方の親に持ち込んだり。

自分が気に入らない父兄や子供がいれば、「あの子とは遊んじゃいけないよ」と教え込んだり、母親同士
でも仲間外れや陰口をしたり。自分の子がいじめられたからと、相手の子供をいじめられた子の親がボコ
ボコにしたり。

・・・子供は空っぽのいれものですよね。
その大きさや形さえも、最初は定まっていません。

それを生まれた時から愛して善悪の区別を教えて愛情豊かな子供に育ててあげることで、そのからっぽの
入れ物の大きさや形が子供自らによって徐々に作られていきます。その入れ物が、その子の人間性に
なります。もちろん土台ができていれば、成長するにしたがって自分で形成していきますね。

どうしてそうしてはいけないの?

どうしてそうするべきなの?


そういうことを幼いうちから話し合って自分で考える力を身につけさせることが、子供の人格形成にヒントや
大きなよい影響を与えます。

自分がされたら嫌なことを、ひとにしてもよいのか。

ひとを犠牲にしても、自分が良ければいいのか。


ある中学生が、言いました。
「学校でいじめをしている奴らは、自分よりも弱い奴だけいじめるんだよ。そうすると、自分がちょっと
強く見えて、もっと強い奴らからも一目置かれていじめられなくなるんだ。弱い奴をいじめるのは自分を
強く見せるためなんだってよ」

・・・・そんな子供に、どうしてなってしまうのでしょうか。
自分よりも強い相手に挑んでいくならばわかります。でも、自分より弱いものを守るどころか、いじめて
自分を強く見せて自分がいじめられないようにする、その発想は、成長過程のどの時点で形成される
のでしょうか?

ただ衣食住を与えて学校に通わせていれば、子供は大きくなっていきます。でもそれだけではこういう
子供が増えるだけです。「子は親の鏡」とは、よく言うもので、子を見ればその親がだいたいどんな人
なのかわかります。「私はダメな親だ」というひとは、そんなにダメではないと思います。自分がダメ親
だと思わない人たちが、問題だと思います。

子供を叱れない親というのも増えていて、どうして自分の子をそんなに恐れるのかわからないですが、
顔色をうかがってこわごわ接するようです。(同じ趣味を持つとか親子で悪態をつき合うとかというようならば、
コミュニケーションは健全にとれていると思われますw)

教育関係の知人もけっこういますが、不登校気味の娘にびくびくしてなんでも言うことを聞いてしまっている、
娘のダメな点をどうにかするのではなく、世間を娘の都合に合わせようとしている母親もいるようです。
私の友人の保育士が言っていましたが、モンスターどころかそういう親も増えてきているそうですよ。
子供にとってよくない環境を指摘したら、保育園を変えた母親とか。

中学生の子供のために、たばこを買ってあげる母親もいましたね。
子供が突然怒り出して人前でも構わずに母親を罵倒して、母親はおびえた目でごめんなさいを連発する
という光景も、見たことがあります。

父親は働いていればいいとか、父親の愚痴を母親が子供に言って父親をいつもけなすのも、子供には
良くないですよね。母親だけではどうにもできない部分は、父親にもどうにかかかわってほしいですし。
もちろん、そうできない事情があることも考えれば、誰か相談できる存在がいることが親の精神状態にも
大切かもしれません。

「完璧な・よい親」なんて、存在しないと思います。
だめな部分も見せてこそ、子供にも完璧な人間は存在しないと教えられるのでむしろよいことではないで
しょうか?子供も安心するでしょうし。

でも・・・・コミュニケーションをとることはとても大切です。

家でコミュニケーションがとれていない子は集団の中でもわがままで他人に譲ることができず、ひどい子に
なると怒られても少しも非を認めずに大人を睨み返します。ひどい暴言や悪態をつく子に「だれがそんなふうに
言うの?」ときくと、「パパ」と答えたり。たぶんその時点では、悪いと思ってまねているわけではなくて、
きっといいことだと思ってまねているのでしょう。他者を見下すような態度や言葉も、親の影響が強いようです。

もちろん、両親が離婚してしまったり、あるいはどちらもいないという子もいます。
そういう時は、周りの大人が血がつながっていようとなかろうと、よき理解者になってあげることが必要だと
思います。おじいちゃん、おばあちゃん、おじさんやおばさん、近所のおにいさん、おねえさん。あるいは、
地域。

いま学校は教育現場の中心とは言えないと思います。
なぜかというと、家庭で教育されていない子供たちが好き勝手に行動して、先生たちもめんどうだから
見て見ぬふりをしたり、自分がしんどいために適当にあしらうからです。これでは、まともに育てられた子供
たちにとっても、いい環境とは言えません。

問題が起きれば一般父兄に責められるし、子供を怒ってもモンスターペアレントたちに責められます。
だからノイローゼになって心療内科に通ったり、休職する教師も新米だけでなくベテランも多いそうです。
一見、正常に見える教師でも学校の前で信号無視したり児童買春したり、ふとタガが外れてしまうことも
あります。もちろん、そんな教師ばかりではないですよ。

教師が全面的に悪いのでしょうか?
彼らが悪いとすれば、それは二次的に、です。(でも大津市のあの中学の先生たちや教育委員会は悪い)
教師たちは自分が子供のころのいじめや学校での人間関係で状況を考えるために、自分の生徒たちが
やっていることをたいしたことはない、そのうち終わるとでも思っているのかもしれませんが、それは分析不足
です。今のいじめをする子たちには、加減がわからないようですから。

教師たちももっと、子供たちを観察するべきです。怖がっている場合ではありません。

彼らを責める前にまず、家庭での教育が大切だと思います。
親が子供をよく観察しておくことです。何を見て、何を考えているのか。
どんなに愛情をかけても、子供は間違うときがあります。その時を指摘して修正してあげるべきです。

小さくてもひとりの人間として認識して、もし間違った方向に進みそうなら丁寧に時間をかけて軌道修正
してあげる、それが勉強ができるできないよりもまず一番大切な教育だと思います。

私が小学4年生の時、どうしようもない欠陥教師のせいで学級崩壊になりました。
(どんなにダメかというと、授業しないでずっと昼寝していたり、女教師へのラブレターを生徒に渡して来いと
使い走りにさせたり、あるいはひとりの女子児童を殴って流血するケガをさせたり)

ほとんど1年間、私たちは何も教わらず、どこかの観光地のサルのように凶暴化しましたw
でも5,6年生で担任が変わり、私たちは性根を叩きなおされてまともになりました。30代初めの男の先生で、
すごく厳しかったけれど昼休みは必ず私たちと遊んでくれていました。今思えば、先生がそうやって信頼関係を
築いていたからこそ、怒られたら本当に悪いことをしたと納得できたのでしょうね。

私の嫌いな言葉に「勝ち組・負け組」があると何度か言いましたが、こんな価値観が流布していることは
悲しいことです。この言葉の先には、なにがあるのでしょうか?(闘争心は人間の本能ですけどね)

他者にたいして勝つか負けるかが一番大切なことでしょうか?
ピンやキリはどこにあるのでしょうか?
もちろん、自分で人生を選択できるくらいの能力は身につけておいたほうが本人のためにはなると
思いますが、それは自分の可能性のためであって他者と競争するためではないと思います。

私たちが「選んであげた」政治家たちは自分たちの保身にいそがしくて、震災の復興問題のことも子供たち
の教育のことも、正直、頭にないと思います。もし少しでも考えていたら、今の彼らの状況はありえないと思う
からです。

大津市の自殺した少年の学校はアンケート調査を行いました。
先生も生徒たちもいじめがあったことは知っていました。それを巧みな言葉づかいで逃げて、自分たちに非は
ないかのように発言する教育委員会。「いじめはなかった」とテレビで言い切ったのにはびっくりしました。
「因果関係がない」? 彼らは教育者であって、法律家ではないはずです。なにかものすごい勘違いを
しているのか、教育者としての自覚がないのでしょうか?

「自殺の練習をさせられていたという事実はない」と生徒たちに言いきったそうですが、事実か事実では
ないかの一体何が重要なのでしょうか?
本人がトイレで泣いていたら、されていることはあきらかないじめです。
実際、ひとりの幼い命が消えてしまったのに。
あの教育者の方たちは、もし自分の子供が被害者になっていたら、同じことを言いきれるのでしょうか?

死んだスズメや蜂を口に入れろと言った子供は、完全に精神的に異常です。おぞましく恐ろしい発想です。
亡くなった子の貯金を自分たちが遊ぶために引き出させたとか、万引きさせたとか、明らかに異常です。
たった13,4歳の子供の発想かと思うと、末恐ろしくなります。

対抗できない子を組み敷いて自分は強いと思う子供がそのまま成長すれば、いつかは恐ろしい犯罪や
事件を起こすことになるかもしれないのに、アンケートだけで放置してよいのでしょうか?

少年のお父さんが警察に行ったときも、警察はしょうもない対応をしました。
確かに、本人が亡くなってしまっていれば話を聞いて被害状況や程度を正確に知ることはできないから
法律的には難しいかもしれません。そんなとき唯一、味方になってくれるのはメディアです。

「言った・言わない」、「いじめはなかった」などの言葉を発表することの、なにが大事なのでしょうか?
それは自分たちの体面を保つ、ただそれだけのことだと思われます。被害児童やその死を悲しむ家族の
ことなど、少しも考えていないことの表れでしょう?

もしメディアが取り上げられなければ、ただの思春期の少年の自殺でひっそりと終わっていしまいます。
たぶん、取り上げられないいじめの悲劇は、日本中にあるのでしょう。(でもメディアはもろ刃の剣であって、
良いことばかりではありません。必要以上に煽動したり、真実をそのまま伝えない場合もありますから、
100%信じられる存在でもないのですが)

教師は、学校を休みがちの子や教師に反発して言うことを聞かない子たちを悪とみなします。
教室に行けない子たちの逃げ場である保健室の養護教諭から、「めんどくさいから来ないでくれる?」と
言われた子がいます。

「おまえはばかだ」と担任に言われた子、やってないことまで「どうせおまえがやったんだろう」と言われた
子もいるようです(これ、中学生が言われたことですが、つい先日、小学1年生が同じことを女の担任に
言われ、それ以来、学校に行きたくないと毎朝泣いているという話も聞きました)。

でもできれば、先生たちももう少しひとりひとりをよく観察するべきだと思います。
大人が子供をちゃんと理解してあげずに思い込みや決めつけをしては、子供がかわいそうです。

むしろ俗にいう「不良」で家庭裁判所や少年院の世話になるような子たちよりも、ごく普通に見える子供
たちの心の状態にも目を配るべきです。ある日、些細なことがきっかけで誰かが被害者や加害者になる
のです。

そしていじめを発見したら、当事者に問いただしたりいじめているほうをその場だけ諭しても無駄だと気付く
べきです。理由なんてないか、ないに等しい実に下らない場合が多いからです。
でも誰かが死んでしまったら、取り返しのつかないことになります。亡くなった子の家族も一生悲しむことに
なります。

子供も人間です。まずは上から目線でしかるのではなく、人間対人間で、じっくり話し合うことが、学校でも
家庭でも大切なことだと思います。最悪のことが起きて後悔するよりも、無限の可能性を良い方向に伸ばし
育ててあげることが、大人の義務だとおもいます。

大人も子供も、人間だから間違いを犯します。
その間違いをもみ消したりごまかしたり、見て見ぬふりをしてはいけないです。間違うことは、機械には
許されないことでも、人間ならば仕方のないことだからです。大切なのは、それをどう処理するかです。
そう、人間だし、まして子供は人生経験が少なくて未熟だから、他者をいじめてしまうこともあります。
それをどう導くかが重要なポイントです。

震災後に「絆」とか大々的に言ってみてもどこか実感がないのは、思いやりの気持ちが理解されていなから
なのかもしれないと感じます。

「自由」は、自分のやりたいことだけをする、嫌なことはしない、他人は関係ないということではないです。
自分が優位に立つために他人を陥れることでもありません。

「思いやり」は自分が持っているものを他者に施すことではありません。
子供には、自分が多少不便でも他者を思いやるという優しさを教えてあげるべきです。
自分の視線を、相手に合わせて物事を見て、考えること。
「分け合う」ということ、「譲り合う」ということ、「弱者を守る」ということが「強さ」だと教えるべきです。

子供もいないくせにエラそうにと思われてしまうかもしれませんが、もし自分に子供がいたらいじめられて
ほしくないしいじめてほしくもないと思うので、痛ましいニュースを見るたびにこんなことを思ってみます。

毎回そうですが、いじめた子供たちの実名を暴露しろとか、同じことをしてやれと言う意見も多く出ます。
感情論だけで言えば、そう思ってしまうのも仕方がないと思います。
(でもこれは、メディアに強い影響を受けた個々の感情論だから、なんの解決にもつながりません)

そうすればその子たちが心を入れ替えるという保証はないですね。
どういう過程でそんな残虐性や暴力性が生まれたのかカウンセリングして、要因を解明することが重要です。
そういう場合、脳の一部に損傷をきたしている可能性もあるわけですし、科学の時代なのですから徹底的に
解明するべきです。

小動物を殺したり、いじめに残虐性が見られる子は明らかに異常ですから、どうにかしてあげないと
大変なことになります。放置し続ければ、社会がサイコパス・モンスターを育てることになってしまいます。
今回のような恐ろしい子供たちが今後出てこないためにも、この加害者側の子供たちの処遇も大切だと
思います。

個人的には体育でHioHop教えるなんていいなと思いますが、それよりも護身術を教えたらいいのかも?
小柄な子でも力のない子でも自分を守ることができる方法を教えてあげたらいいのにと思います。
精神的にも強くなりますし。小児性愛者などの変態からも身を守れますしね。

「先生」と呼ばれて上から見下ろして叱る、手におえないものは見て見ぬふりをする、もうそんな教育は
やめるべきです。生徒が怖いならば、学校に1~2人くらい、もとK-1ファイターだったとか傭兵だったとか、
そんな人たちを教師の給料を減らしてでも不適格者を首にした代わりにでも、警備として雇ったらいかが
ですか?

こどもはヒトを見分けるのです。
本当に信用してよい大人なのかどうしようもない大人なのか、ちゃんと見分けています。彼らの信用を
勝ち得ないでいろいろと言ってみても、馬耳東風です。だれも大人は本気で心配してくれない、だから彼らの
閉塞感は膨らむばかりでそれが欲求不満となってスケープゴートを必要とするのかもしれません。

話し合いの時間をたくさん取って、いろいろなことを考えさせることも大切だと思います。
ひとの意見を聞く、これ、日本人の苦手なことですねw
TVでもなんたらの肩書のあるエラい人たちが議論を始めると、ひとの話を聞かないで自論をごり押しするから
みんな一斉にしゃべって聞き苦しいw

相手の論を分析して、反論したり同様の意見を述べたりすること。

考えること。
シンプルだけど、一番大切です。

まぁ、職場でもいじめはある=大人でもいじめはする ので・・・・子供だけでなく、大人にも大切なこと
だと思いますw

そうすればまともなモラルも生まれるので、「自分だけは大丈夫」と思い込んで飲酒運転する人や、
東電や政治家や自分たちの恥部は徹底的にもみ消そうとするお役所体制も、ちょっとは常識的になる・・・
かも?(「私たちはこんなに努力している」といくら熱く訴えても、世間がそう思っていなければ努力している
ことにはならないということも、理解できるでしょうか)

少子化の今の時代、子供は大切な社会の宝ですよね・・・

弱者はいじめるのではなく、守るものですよね?



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conta

中学・高校と男子校だったせいか喧嘩は日常茶飯事。不良やガキ大将はいくらでもいたけどイジメは記憶にありません。自分が鈍感だったのか、時代がそうだったのかわかりませんけど。

by conta (2012-07-10 00:29) 

ニッキー

最近のイジメはとても陰湿で限度というものがないように思えます。
自分がされて嬉し事そして嫌な事・辛い事etc・・・そういったことをちゃんと自分で考えるように教えていかないと、こういった問題はなくならないのではないかと思えます。
子供より先にちゃんと考えなくちゃいけない大人が多い世の中にも思えますが・・・。
by ニッキー (2012-07-10 00:53) 

chacha

結局のところ、余裕
(この言い方は適切でないと思いますが・・・)
がなくなったのだと思います。
自分にとって徳なのか、損なのか、
上か下かが判断基準になってしまった。

私もいじめられた経験があります。
こいつらと一生一緒に過ごすわけではない。
そう思う毎日でした。

「和をもって尊し」
どこから間違ってしまったんでしょう。

by chacha (2012-07-10 07:53) 

koume

私の時代にもいじめはありました。
同じくローテンション制でした。何人の子が傷つき、人知れず泣いたものです。もちろん、私にも順番がまわってきました。

今は大切な命が奪われてしまうまでのいじめ。
とても悲しいことです。

nikiさんのお話を読んで、涙がでてきました。
私も反省すべきこともあるし、こういう事件は早くなくなってほしいです。

by koume (2012-07-10 08:14) 

rtfk

幸せなことにいじめをしたこともされたことも無いので
実感として言えないのですが
とても知恵や文明を持つ人間がする所業とは思えませんが
昔からはるか昔からあったのだと思います
しかし今はそれにブレーキをかける存在が少なくなってしまって
いるのではとも思います
自分の子供達には戦争で人を殺めるよりも卑しいことだと
教えています


by rtfk (2012-07-10 09:15) 

竜太郎

私も小学校時代にいじめに会いました。
みんながまとまって私に意地悪になったのです。
「みんながまとまる」ためにだれかをいじめるのです。
私は「群れる」人たちが今も好きになれません。
by 竜太郎 (2012-07-10 12:31) 

hatumi30331

全く同感!
学校の主役は子どもたちです。
勘違いしてる先生が多い!!
偉いと思ってるンですよね・・・・・
自分たちの立場を守ろうと必死!
まず・・・・・こんな事になった事を謝るべきです!
当事者に、ご家族に・・・・・・
生徒たちに・・・・・・・・
担任は即刻懲戒免職にスべきだと思います。
言い出すとキリが無いので・・・止めます。
by hatumi30331 (2012-07-10 17:09) 

扶侶夢

今の日本人に共通する欠陥の問題は「痛みを知らない」「感受性が鈍い」という事だと思います。
その事が、様々な社会問題の核心部分になっているように思います。全て“他人事”で済ましてしまう非情さ、無関心さ、空虚さ…。『絆』の言葉も虚しく響いていますね。
怒りと憤りを感じる人だけが、何かを変えてゆく事が出来そうです。
by 扶侶夢 (2012-07-10 18:15) 

あらっ!たまちゃん。

御意にござります。
聖職者が聖職者たるべきこと。
昔は、「サラリーマン化」したと揶揄しました。
今は、「官僚化」したとでも言うのでしょうか?
官僚も公僕なんですがね。^^
憂います。
by あらっ!たまちゃん。 (2012-07-10 23:27) 

PATA

いじめに遭ったこともしたこともあります。
そのおかげで、小・中学生の頃は今でも思い出したくないくらいです。

いじめられた子供は一生傷つくんですよね。
今回の事件は私にとっても人事ではありませんでした。
今の日本人は「寛容性」がないのだと思います。
by PATA (2012-07-10 23:54) 

michaela

全面的に共感します!
ちょうど私も今日、自分がされたらどうか?という想像力の欠如について書いたところでした。
by michaela (2012-07-10 23:55) 

這い上がるママ

少年の自殺のニュースでの、あの教育委員会の会見は非常に腹立たしかったですね。因果関係が不明?、な訳ないだろうが!とテレビに向かって怒鳴りました。

一方、家庭でも親と子どものコミニュケーションは減ってきていると思います。ケータイやネットに夢中で無言の一家団欒。

身近な大人である親が、子どもたちにほんの一言、「学校でいじめられても死ぬことはない。学校が世の中のすべてじゃないんだから。」と教えてあげればいいのに・・・と思います。
by 這い上がるママ (2012-07-11 00:18) 

secretariat

僕も父親歴中1になりました。
まだまだ青い親父です^^;
by secretariat (2012-07-11 00:28) 

大林 森

私はやられる方でしたねえ。(>_<)小中高とやられて最後の職場でもありましたし、フリーになった今も・・・・(ヽ´ω`)ウハハハ

私の仕事って、やっぱよくからかわれるんですよね。(つд`)一番きついのは理解のありそうな同業他者の作家さんですねー。悔しいんで奴らよりも何倍もがんばってますー!∠( ゚ω゚)/!!
by 大林 森 (2012-07-11 02:26) 

末尾ルコ(アルベール)

こうしたことは外国でもあるわけですが、日本の場合は明らかに「家庭教育」「テレビメディアの商業主義」「ムラ社会メンタリティ」などが強く悪影響を及ぼしていますね。
「戦後」特に「バブルから」を真剣に考え直さねば日本社会は変わらないでしょう。

                                  RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2012-07-11 07:43) 

BP

校長を見て情けなくなるのは、「なんで私が責任者の時にこんなトラブルが起こったのか、退職金をもらうまで、あと少しの期間なのに、ついてないとしか言いようがない」との気持ちが溢れていることです。教師、公務員は辞職願を自ら提出することなんかないのです。
by BP (2012-07-11 22:39) 

etu

ちょうど先生のことで悩んでいるときだったので
時間があるときに、じっくりお邪魔しようと思ってました。
精神的に疲れて…
ブログに遊びに来ることもできなかった。
親も、モンスター化してるけど、
先生も。。。><
自分は・・・気を付けますね。
by etu (2012-07-12 03:06) 

がり

実は昨日私はおめにかかったことはなかったのですが
取引先の40歳にもならない方が自分で命を絶ち、お通夜がありました。
他県から転勤でこられてたので、
突然の訃報に残されたご家族はどんなに無念なことか。
人間関係と仕事で悩まれてたようです。
面識はなくても、残念でなりません。
by がり (2012-07-12 11:45) 

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