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「お父様のようにはなってはいけません」 [l'histoires de femmes]

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1844年、アリックスは弱小貴族の娘として生まれました。
父親は公子ながら、生活費がなくて、国からただで貸してもらう邸に暮らしていました。

それでも家族は幸せで、弟と二人の妹と彼女は、のびのびと育つことができました。
彼女と、年の近いほうの妹ダウマーが年頃になると姉妹の美貌は評判になり、ヨーロッパ中から
求婚の申し出がなされました。弱小とはいっても、やはり「血」を重要視するのがヨーロッパの王家です。

父は貧乏公子から、巡り巡ってデンマーク王の座につきました。だからアリックスは、デンマーク王女に
なったのです。

数ある求婚のなかで、彼女の父のもとに英国王室からの申し出がありました。
当時皇太子だったエドワード王子の妃に、ということでした。

財政的に苦しかったデンマーク王室としては、英国の援助を受けられることは幸運以外の何ものでも
ありません。しかも、エドワード皇太子の母であるヴィクトリア女王が、アリックスを見てその美貌に惚れ込み、
ぜひ嫁にしたいと乗り気になったのです。

英国のような大国の皇太子と結婚できるなんて、幸運だと思うのですが・・・彼女はあまり乗り気では
なかったようです。

それは、皇太子が相当の放蕩ものだという噂を耳にしていたからです。
なにせ、皇太子の父アルバート公が亡くなったのは、皇太子が困らせたせいだと母親のヴィクトリア女王が
信じて恨み続けたというくらい。実の母にまでそう思われるならば、ホントに相当なのですw

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でも、皇太子本人もアリックスの美貌を一目見て気に入ったために、この結婚はすすめられました。
1863年、彼女は19歳で英国へ嫁ぎました。

名前をドイツ風のアリックスから、アレクサンドラに改めます。
お気づきですか? 先日、ティアラの時に少しお話した、ロシアのココシニク・ティアラを作らせたあの
アレクサンドラ女王のことなのです。

年の近い、彼女と同様の美貌の妹ダウマーとは、のちにロシア皇帝妃となり、ニコライ2世を産む、マリア
皇后のことなのです。(アナスタシアのおばあちゃんですね)

彼女にはちなみに、ロシア風のティアラのほかに、結婚時に皇太子からプレゼントされたランデルティアラと
いうティアラもありました。これはのちに分割され、メアリ女王のお気に入りのブローチと、エリザベス女王の
ネックレスになったそうです。

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まさかこの時には、これからの結婚生活が恐ろしく不毛なものになるとは、たった19歳の姫君は想像も
できなかったことでしょう。

美人な妻をもらえば放蕩はやむだろうというヴィクトリア女王のもくろみは見事に外れました。
美人は三日で飽きるというか、アレクサンドラには首にリンパ系の手術のあとがあり、結婚初夜にその
首の疵を見たエドワードは、それから気味悪がって彼女を毛嫌いしたようです。

彼女が難聴だったことも、関係があったかもしれません。

彼はアリス・ケッペルという愛人をそば近くに置き、この関係は彼が亡くなるまで続けられ、アレくサンドラを
苦しめ続けました。自分の寝室にアリスを自由に出入りさせ、時にはアレクサンドラの目の前でいちゃつく
ことも。娼館にいりびたったり多くの愛人を侍らせたり、かなりの女好きでした。

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愛し合うことのない皇太子夫妻には、3男3女が生まれました。
彼女は子供たちには愛情を注ぎました。

「お父様のようになってはいけません」と子供たちに言い聞かせていたそうです。
日本でも奥さんがこんなことをいう家庭もあるようですが・・・・
エドワードの場合はまぁ、言われても仕方のない悪行ぶりなので・・・
でもなるべく、子供にこんなことを言ってはいけないような・・・^^;;;

夫はでぶでぶに太っていましたが、彼女はいつまでたってもまるで時を止めたように美しさを保っていた
ようです。その美貌はオーストリアのエリーザベト皇后もライバル視するほど有名だったようです。

楽しみは年に一度、ロシア皇帝に嫁いだ妹と、パリで会うことでした。
妹夫婦はとても仲が良かったので、彼女は複雑な気持ちだったでしょうね。

長男のアルバート・ヴィクターが28歳で病死したことが、一番悲しかったことかもしれません。
彼女とは子育ての観点がまったく逆だった次男の嫁との確執もありました。

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彼女が57歳の時、しゅうとめのヴィクトリア女王が崩御して、やっと皇太子に王位がめぐってきました。
王は60歳、でっぷり太っていましたが、アレクサンドラはまるで30代にも思えるほどの若々しい美貌を
保っていたと言います。

彼女のエピソードとしては、マラソンの距離を42.195㎞にした人としてが一番有名でしょうか?
彼女が言ったゴール地点が42.195㎞地点だったようです。

夫が生涯を通して愛した女性は愛人のアリス・ケッペル。
アレクサンドラがいちばん憎んだ男はエドワードで、いちばん憎んだ女はアリス・ケッペル。

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王は死に際にアルス・ケッペルを枕辺に呼び寄せました。
でもアレクサンドラは彼女を追い出して死に水を取らせることはしませんでした。
彼女は死ぬまでアリス・ケッペルを嫌悪し続けたと言います。

これはエドワードを実は憎しみの裏で愛していたから・・・・というよりも、本当に憎んでいたからなのかも
しれません。彼女の女としての、妻としてのプライドを踏みにじったから・・・・。

でも私は自分の子供には、「お父様のようになってね」と言って育てたいです;;;;


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nana_hyr

反面教師とするかは子供が決めることかもですね^^;
政略結婚といっていいかわかりませんが、
離婚なんて考える余地のない世界だったのでしょうね。

見た目は大きな判断基準とはいえ、愛する努力を知らなかったかもしれないエドワードがちょっと不憫です。
by nana_hyr (2012-05-15 01:54) 

風太郎

ダイアナ妃のことを思い出しました。
by 風太郎 (2012-05-15 06:44) 

chima

きれいな方ですね~
きれいだからと言って幸せでもないという人が多いですけど^^;
by chima (2012-05-15 08:27) 

koume

どんなに辛い思いをしてきたかと思うと、
悲しいですね。
美しい=幸せ とは、いかなかったんですね。

by koume (2012-05-15 09:36) 

旅爺さん

3・5枚目の女性はやけに胴がくびれてますが、
物凄い締め付けなんでしょうね。niki さん耐えられますか? 笑
by 旅爺さん (2012-05-15 09:38) 

さうざんバー

本当に、綺麗な方ですね~(^^)美人薄幸ってなんでですかね~???
周りの嫉妬からかしら??
でも愛してもない人の子供を6人も産んでいるのだから、少しは愛情があったかも??と思いたいです(^^)
by さうざんバー (2012-05-15 09:56) 

くーぺ

いつもご訪問頂き、ありがとうございます。
「お父様のようになっては・・・」は有史以来から言われて
いたんですねぇ・・・
うちに子供がいたらやはり言われているかも・・・(--)
因みに、母親はよく言っていました(大笑)
by くーぺ (2012-05-15 09:57) 

Extar15

nikiさんこんにちは。ロンドンのナショナルポートレートギャラリーのコンピューターライブラリーでアレクサンドラ妃の肖像(絵画・写真)を見てきました。公開されているものは全て見せていただいたのですがどの肖像も本当にとても美しく、しかもただ美しいだけでない優しさや本物のエレガントを感じさせてくれるものばかりでした。晩年の写真もあったのですがとてもおばあさまには見えませんでした。努力もあると思うのですがあの美しさは天性のものだと思います。
by Extar15 (2012-05-15 11:44) 

Hirosuke

結婚って一体・・・

by Hirosuke (2012-05-15 11:48) 

sig

こんばんは。
「お父様のようにはなってはいけません」と子供に伝えるお母さんにはなってほしくないとも思います。笑


by sig (2012-05-15 17:41) 

ja1nuh

お父様のようになってはいけません、なんて悲しい言葉でしょう。
by ja1nuh (2012-05-15 22:20) 

secretariat

うちもそうして欲しいです^^;
by secretariat (2012-05-21 09:14) 

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