悪妻ミューズ [l'histoires de femmes]
悪妻だからミューズということでも、ミューズだから悪妻だということでもありませんw
ただ、彼女の場合は、(世間から見れば)悪妻でミューズだったのですw
彼女とは・・・ダリの妻、ガラです。
ダリよりも10歳年上の型破りなこの女性は、ロシアの比較的裕福な家庭に5人兄弟の3番目、
長女として生まれました。11歳の時に父が死亡、母は子供たちに良い教育を受けさせるためにと、
弁護士と再婚しました。おかげで彼女はよい教育を受けることができました。
17歳の時、それまで悩まされていた結核が悪化して、ついに療養所に入ることになりました。
彼女はスイスのサナトリウムで、ある運命的な出会いを果たします。
やはり療養に来ていた、同い年の少年の名前はポール・エリュアール。
のちに詩人として有名になります。
二人はたちまちのうちに恋に落ちました。結核が完治したのちは離れ離れになりますが、出会いから2年後、
第一次世界大戦のさなかに、彼女は彼に会うためにパリへ向かい、二人は結婚しました。
翌年には娘セシルが生まれます。
でもガラは子供には全く関心を示さなかったようです。いまでいうニグレクト状態。
彼女は夫とともに芸術家たちとの親交を深め、あらゆる芸術家たちにインスピレーションを与えるミューズに
なります。
一方、彼女が10歳のころ、スペインではダリが生まれました。
比較的裕福な、弁護士の二男として生まれたダリは、幼いころから芸術性を発揮し、父を喜ばせていた
そうです。
5歳の時に彼は夭折した兄の墓に両親によって連れていかれました。そこで両親は、「お前は兄さんの
生まれ変わりなのだよ」と幼いダリに言いました。
このことは、少なからず、のちの彼のエキセントリックな生き方に影響を与えたのかもしれません。
16歳の時、優しかった母が乳がんで亡くなりました。そして父は、母の妹、つまりダリの叔母と再婚しました。
ダリは母の死を「人生で最大の打撃」と言っていますが、叔母のことも好きだったので、泣く泣く認めたと
言います。でも、父との仲には何らかの亀裂が入りました。
彼は美術学校に入り、そこでさまざまな未来の緒芸術家たちと親交を深めました。
172cmとあまり大柄なほうではありませんでしたが、その整った容貌と長髪、ハーフパンツのスタイルなどで
注目を集めていました。
1929年の夏、二人は出会いました。詩人の妻と25歳の画家。ダリはガラにひとめぼれ、
ガラも若いスペインの画家を気に入り、二人は駆け落ちしてしまいます。
1934年には民事的に結婚、というのも、カトリックは離婚できないので、宗教的にガラの離婚が認められる前、という意味のようです。1952年に元夫のエリュアールが死亡し、その6年後にカトリックで結婚が認められて
います。
ダリは10歳年上のガラに惚れ込んでいました。
「ダリはガラ、ガラはダリ」と言ったり、「ガラ以外はすべて敵だ」と言ったり。
気が強く奔放で、ヒステリック。
女性恐怖症だったダリには、初めての女性だったとも言われます。
ガラがヒステリックだったのは、子宮筋腫によるホルモンのバランスの不均衡もあったようです。
1936年に彼女は子宮摘出の手術を受けました。
結婚してからも彼女は元夫のエリュアールをはじめ、数多くの愛人を持ち続けました。
時にはダリのいる家に連れ込むこともあったようですが、ダリはそのことに関しては何も言わなかったようです。夫婦には、夫婦にしかわからない何かがあるのでしょうね・・・。
ガラがそばにいることで、ダリは次々と前代未聞な傑作を生み出していきました。
おそらく、愛する母を多感な時期に失くしたダリにとって、ガラは母であり恋人であり、自分でも気づかない
芸術性を引き出してくるミューズでもあったのでしょうね。
ガラという女性は、たぶん、女性らしさや守ってあげたいようなか弱さは感じない、むしろ挑発的な強烈な
個性の、強力な磁場のような女性だったのでしょう。
飼っていたウサギを、長期の旅行に行く前にどうしようかと話し合った夜、夕飯にその兎を料理して出したガラ。「むしろ私たちに食べられるのが、ウサギにとっての幸せだわ」と言ったとか言わないとか。
1982年、彼女は亡くなりました。
彼女が亡くなってからのダリは抜け殻になってしまったそうです。
屋敷のボヤ騒ぎを起こしたこともあり、後追いを考えた未遂事件だったのでは?と言われたこともありました。
彼女が亡くなって7年後に彼は心不全で亡くなりました。
今や二人は、仲良く並んで眠っているそうです。
世間では「悪妻」と言われますが、ダリにとっては悪い妻ではなかったのでしょう。
「彼女こそが、わが勝利である」とダリに言わしめたガラ。
そんなに愛された彼女は、(母としてはダメだったけれど)女冥利に尽きる人生だったことでしょうね。
最後に、ダリの言葉で私が好きな言葉をひとつ。
「野心のない知性は、羽のない鳥である」
2012-01-27 00:00
coucou♪(・ω・)ノ!(304)
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男前だな=
by arles (2012-01-27 05:42)
おはようございます
インスピレーションを与える奥さん素晴しいですね。
ウサギの件はびっくりですね~
普通では一寸思いつきませんよね。
by Studio-Oz (2012-01-27 06:42)
ダリは実際に面白い人だったんでしょうね。
by 旅爺さん (2012-01-27 06:54)
ダリ、ピカソ、ゴッホ、岡本太郎などの奇才はその生き様やご本人そのものも或る意味作品のように思います。
作品だけでなく、伝記的部分も凄く興味を惹かれます。
by punchiti (2012-01-27 08:05)
おはようございます。
ダリとガラの人生そのものが芸術作品だったとも言えますね。
by 【みなと】 (2012-01-27 08:28)
ダリは夫婦共同で、芸術性を極めたのですね。
by たいちさん (2012-01-27 10:57)
野心のない知性は、羽のない鳥である、いいフレーズだ!Thank you!
by copywriter (2012-01-27 11:14)
僕は野心も知性も失ったから、羽も歌声もない鳥だなぁ。
by Hirosuke (2012-01-27 11:57)
これもまた、夫婦の形、愛の形なのでしょうね。
最後のフレーズ、良いですね(*^_^*)
by マチャ (2012-01-27 12:06)
ダリは好きな画家です。とても不思議な絵が多いですよね。
by kyon (2012-01-27 12:14)
ガラなしにダリを語ることはできないですよね。
ダリが製作したものはガラ無くしては存在しないような気もします。
魂では双子なのかもしれないと思春期には思ったものです。
by nana_hyr (2012-01-27 12:24)
大好きなダリさんのお話、読み入っちゃいました。
ダリの作品には、ガラの影響がいっぱいなんですね。
by ちょろっとぶぅ (2012-01-27 15:31)
駆け落ちだったんですね~
by chima (2012-01-27 18:08)
そこまで、愛されてみたいものです。。。
by ゆう (2012-01-27 18:52)
ダリとガラ二人の共存作だったんですね、それにしても悪妻と云われた女性を一番愛したのがだりあろうダリだったんですね(^_^.)
by 馬爺 (2012-01-27 20:27)
いろんな夫婦の形があるんですが、考えさせられました
by kiko1578 (2012-01-27 22:38)
シュールリアリズムの代表的画家として、70年代の日本の若者にも大変人気がありました。ダリによって『シュールリアリズム』を知ったという者も多かったと思います。
by 扶侶夢 (2012-01-28 23:11)