夫を殺し、愛人と栄華を、のちに息子に幽閉された王妃 [l'histoires de femmes]
「フランスのイザベラ」とよばれたのは、イングランド王エドワード2世の妃のイザベラのことです。
彼女は「怖い女」として知られています。
エドワード2世はエドワード1世の王子です。
このころ、ウェールズを押さえつけるために、エドワード1世はこの王子に「プリンス・オブ・ウェールズ」の
称号を与えました。ここから以後、イングランド皇太子をプリンス・オブ・ウェールズと呼ぶようになり、
現代のウィリアム王子に至ります。
イザベラの夫、エドワード2世。
でも・・・・。
でも。
このエドワード2世は、実は「イングランド歴代のなかでも最低の王」という嬉しくない称号をいただいています。
なぜって?
それは、その性質にありますよ。
放蕩三昧で政治は同性の愛人たちの父親たち任せ、
バイセクシャルなのは理由に当たらないとしても、とにかく堕落しきっていました。
「イングランドの領海でとれたチョウザメは、イングランド国王のもの」なんて法律を作ってしまったようですね。
イザベラはフランス王フィリップ4世の娘で、たった4歳で当時はまだ皇太子だったエドワード2世と
婚約、13歳くらいで結婚しました。
2週間も続いた披露宴は、その後の不幸などまるで暗示させないほどに絢爛豪華なものだったのでしょうね。
息子もこれまたエドワード、が生まれますが、なんとなんと、
エドワード2世は寵臣コーンウォール伯と一緒に、イザベラにいろいろな嫌がらせを始めたと言います。
女の愛人を作ってそのひとから嫌がらせをされるならまだわかりますが、
男の愛人がライバルだなんて、女としてはフクザツですよね・・・。
国王よりも王妃のほうが国民に信頼されているので、ヤキモチを焼いたのかもしれませんが、
エドワード2世はイザベラをロンドン塔に軟禁したこともありました。
夫からのこの仕打ち。
恨みに思わないわけがありません・・・・。
彼女の中に、夫への憎しみが少しずつ育ってきたとしても、なんの不思議もないでしょうね・・・。
フランス王位を継いだ兄にお祝いを述べに行くという名目で、彼女は息子を連れてフランスへ里帰りします。
その時に、イングランド王室で政治の権力争いに敗れてフランスに亡命していたロジャー・モーティマーと、
急速に親密になります。
二人は反乱を起こす決心をしました。
兄のフランス王シャルル4世は名目上、この策に加担することなく二人をフランスから国外退去させることで、
外交上の義理を通したようです。
イザベラとロジャーは、700余りの兵を連れてイングランドへ向かいました。
おどろいたエドワード2世はロンドンから逃亡しますが、とらえられてしまうのです。
ケニルワース城に幽閉され、泣く泣く譲位書にサインさせられて廃位されたそうです。
これによってイザベラの幼い息子がエドワード3世として即位し、イザベラは摂政として権力を手にしました。
チーク城。ロジャーのお城。
ロジャーもマーチ伯の称号を与えられ、イザベラの愛人として勢力を伸ばしました。
さて・・・。
黒いうわさが立ちました。
廃位されたエドワード2世は、「焼け火箸を、肛門に何度も突っ込まれて死んだ、
これは体に拷問の後をのこさずに殺されたのだ」という・・・・。
真実は闇の中です。
イザベラの子エドワード3世。トランプのキングみたい( ´艸`)
その後は、好き放題でしたが、エドワード3世が母とその愛人に反旗を翻します。
彼のおじをロジャーが処刑したことが発端になりました。
ロジャーは死中引き回しの上に絞首刑、そのあとは遺体をバラバラに切断されるというむごい
殺され方をしました。
イザベラのほうは、フランスの王位継承権を持っていたために処刑されず、28年もの間、
ライジング城へ幽閉されたそうです。
幽閉中は、愛人のむごたらしい最期を思い出して精神的に崩れていって、時々発狂したそうです。
遺言はロジャーの近くに埋葬してほしいとのことでした。
この遺言は聞き入れられ、いまでも二人は僧院で眠るそうです。
エドワード3世って本当にトランプのキングみたいですね~(^_^)
by えのみ (2011-08-08 02:42)
怨みは怖いですね。
by arles (2011-08-08 06:01)
いつも素晴らしいお話に尊敬するばかりです。
その人の持つ知識は、その人の品格がよく表われますね。
とても素敵な方ではないかと勝手に想像しています。
いつもFBで紹介すると高評価を得られますよ。
素敵です(^ω^)
by たもちゃん (2011-08-08 12:48)
エドワード2世って阿部ちゃんみたい・・
すごいお話しでした。
by 坊や (2011-08-08 13:32)