ある意味、自由に生きたおかた? [l'histoires de femmes]
有名な女君主の中でも、私がひとつも共感することが出来ない人が何人かいますが、
スウェーデンのクリスティナ女王もそんな一人です。
ではなぜ書くのか?と問われれば、こんな人生もあるのかと言うことをただ言いたいがためとでも
言い訳しておきましょうか(笑)
反面教師的な?( ´艸`)
生まれは、とても高貴でいらっしゃいます。
1624年にスウェーデン王グスタフ2世アドルフの娘として生まれました。
父王は三十年戦争で戦死したため、6歳で王位を継ぎました。
他に子がいなかったために、彼女は王位を継承したのです。
夫の死を深く悲しんだ母はふさぎ込み、そのために彼女は母親と引き離され、教育係の
男性たちに囲まれて育ちました。
幼いころから聡明で、ちょっと気難し屋さん。
5人の摂政が政治を執り行いましたが、18歳で親政をはじめました。
服装はいつも男装で、身だしなみは最低限のことのみ。
帝王学は教わったけれど、レディとしての教育はされなかったのでしょうか。
凍てつく真冬に10時間ぶっ通しで狩りをおこなったこともありました。
侍女の一人、エバ・スパーレを寵愛して、同性愛的な愛情も見せました。
(でもエバは異性愛者だったので、うまいこと女王から逃げて結婚してしまいました)
従兄とは婚約を解消し、周りをハラハラさせました。
プロテスタントに飽き飽きしていた彼女は30歳の時に従兄に王位を押し付けて、突然退位します。
そしてなんと、カトリックに改宗してしまったのです。
ベルギー、大好きなフランス、ローマなどを転々として、慇懃無礼に振る舞い、ヨーロッパでの彼女は、
少々「厄介者」的な存在になりつつありました。
フランス滞在中は、「モナルデスコ事件」を起こして世間を震撼させました。
彼女がフランスに滞在中、お互いに仲の悪い二人が、彼女の世話係に任命されました。
それがモナルデスコ侯爵とサンティネリ伯爵。
サンティネリを陥れようとしたモナルデスコが、偽装した手紙を女王に見破られ、逆に処刑されて
しまったのです。実際に女王を裏切っていたのは、サンティネリのほうだったのに。
クリスティナ女王は、「私が許さないと言ったら絶対に許さない」」と言って、処刑を止める周囲の
だれの意見も聞き入れずに、モナルデスコを処刑してしまいました。
彼女は一刻も早くフランスをでるようにとの枢機卿からの忠告でローマに向かいましたが、事の顛末を
聞き知っていた法王は彼女に会いたがらず、彼女は冷たく扱われました。
唯一、彼女に心底惚れ込んでいた一人の枢機卿だけが親切にしてくれました。
従兄のスウェーデン王が突如崩御すると、彼女は再び王位に就こうと考え、祖国に戻る決心をしました。
でも、でも。
お願いだから、戻ってこないでくれ と言われてしまいます>_<
それからは、彼女はかつて王位についていた高貴な人物とは思えないみすぼらしい恰好で
世界各地を回って過ごしたと言います。
終焉の地はローマでした。
ポーランド王位を狙ったものの、今までの行いから却下されましたw
「私を攻撃する者は、太陽を攻撃する者だ」など、突拍子もない発言をするようになったとか。
ローマでは文化的な活動をして過ごしたと言いますが、肺の病気で亡くなりました。
ほらね?なんというか・・・共感できるポイントがないでしょう?
いけないところなら、いくつも指摘できるのですけどね・・・。
確かに、最後まで共感出来ない生き方ですね^^;;
でも、自由奔放さには、ちょっとだけあこがれますw
by たかれろ (2011-08-03 07:01)
共感させない程の自己中。ある意味偉人。
by 坊や (2011-08-03 10:28)
こういうタイプの人は意外とご本人は充実していたのかもと思います。
by punchiti (2011-08-03 18:47)
親のしつけが大切...といいたいけれど、庶民とは違うからなあ。
こうなったら、彼女はそれが性格としか言いようがないですねえ。
...だっt、聞く耳持たないんでしょう?
by ナツパパ (2011-08-03 19:49)
クリスティナ女王。
哲学者デカルトを寒い国スウェーデンに呼んで,早朝に講義を行わせ,彼の死期を早めさせた…らしいです。
by 【みなと】 (2011-08-04 19:56)
私はまんざら嫌いじゃないです・・・・・・。
こーゆー破天荒な女性というのも。
by JUNJUN (2011-11-24 22:32)
う~~ん、風変りってところはオーストリアのエリザベートにも
似ているけど、エリザベートはもっと繊細で聡明だしね・・・。
やっぱ、バカっぽい?
by sadafusa (2012-11-06 08:17)